中世では音楽文化の中心は宮廷。王侯貴族の館でプライベートコンサートが催された。
18世紀以降、ヨーロッパではクラシック音楽の公開演奏会が盛んになる。
イギリスでは1700年頃から大都市の私邸や居酒屋で有料演奏会が催されるようになり、席数数百程度のコンサートルームが多く建てられた。
ハノーヴァ・スクェア・ルーム(1775年頃、ロンドン、席数約800)
席数約800。イギリスで初めての有料公開コンサートが開かれ、ハイドン、モーツァルトなどが演奏した。
18世紀後半になると、中産階級の台頭に伴い市民階級対象の演奏会が生まれる。
ゲヴァントハウス・コンサートホール(1781年、ライプツィヒ)
席数約400。
バロック〜古典派時代は、演奏会場の規模や音響条件に合わせて作曲されることが多かったが、ロマン派以降、特に19世紀後半の作品では客席数1500以上で残響の長い大型ホールを想定して作曲されるようになった。編成も大きくなり、シンフォニー・オーケストラが生まれた。これに伴って楽器の改良やパワーの増大も行われた。
ウィーン楽友協会(1870)
席数1680。シューボックス型。
アムステルダム・コンセルトヘボウ(1888)
ステージ奥に合唱席が設けられたアリーナ形式
ボストン・シンフォニーホール(1900)
シューボックス型。
20世紀になると新しい形式のホールが登場する。
ベルリン・フィルハーモニーホール(1963)
ブロックごとに分割された座席がステージを取り囲むように配置されたアリーナ形式=「ヴィニャード型」
聴衆の視線がステージに集中し空間的な一体感を得られる一方、座席の位置によって音響的な差が生じ、設計が難しい。
ステージ上部が高くなり演奏者への反射音が不十分となるため、吊り下げ式の反射板(浮き雲)が用いられる。
ノイエス・ゲヴァントハウス(1981)
ヴィニャード型
ミュンヘン・フィルハーモニー(1985)
扇形
クライストチャーチ・タウンホール(1972)
楕円形
日本では木造建築が主流で、ヨーロッパのような響きの長い石造の空間は作られなかった。
また伝統芸能を上演するための空間は開放的で、響きは求められていなかった。
<大正〜昭和>
主要都市で公会堂が建設されたが、そのほとんどが劇場形式の多目的ホールで、響きを重視するクラシック音楽の演奏には適さなかった。
旧東京音楽学校奏楽堂(明治23)
日本最初のクラシック音楽専用ホール。木造。
日比谷公会堂(昭和4年)
多目的ホール。クラシック音楽の演奏会場としても利用された。
<戦後>
多目的ホールが各地に建設されたが、一部では専用ホールとして建設されたものもあった。
神奈川県立音楽堂(1954)
クラシック音楽の演奏を念頭に設計された。
東京文化会館(1961)
クラシック音楽のための多目的ホール。
オーケストラ、オペラ、バレエの上演が可能な大ホール。席数2327。
リサイタルなどのための小ホール。席数653。
<1980年代>
コンサート専用ホールが盛んに建設されるようになる。
ザ・シンフォニーホール(1982)
合唱席を設けたアリーナ形式
残響2秒を目標に設計された
サントリーホール(1986)
ヴィニャード型
〜参考文献〜
コンサートホールの科学(コロナ社)