資料集

  私たち「きのこ会」は 核兵器の廃絶を 強く求めます

Please hear our sirenced voices.pdf

Please hear our silenced voices

2022年に開催された 核兵器禁止条約締約国会議 に合わせてきのこ会が制作したパンフレットです。
ICANがウィーンで開催した「市民社会フォーラム」の会場などで配布しました。

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わたしたちの声を聴いてください きのこ会.pdf

わたしたちの声を聴いてください

核兵器禁止条約締約国会議が行われた2022年にきのこ会が制作したパンフレットで、「Please hear our silenced voices」の日本語版です。
原爆小頭症被爆者の妹・中井葉子さんのメッセージや、きのこ会の沿革などが記されています。

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きのこ会趣意書(きのこ会会報No1 より)

きのこ会趣意書

 この「趣意書」は、きのこ会が発足した翌月の1965年7月24日、2回目の会合で発表したものです。支援者や報道関係者らに対し「きのこ会」と「原爆小頭症」について理解を求めるために作成し、配布されました。
 この趣意書には、原爆小頭症の子を持つ親たちの切実な思いが込められています。


 趣意書の本文は以下の通りです。
(注:原文のままであり、私書箱は現在使用しておりません)

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きのこ会趣意書

 わたしたちの子供は、原子爆弾の放射能により、母の胎内で取り返しのつかない被害を受けました。しかし、その事実をしらないまま、どうしてこういう子供が生まれたのだろうかと、ひとりで悩み苦しんできました。

 生まれた時から虚弱なからだで、その上精神薄弱をともなう小頭症という、治療法のない不幸な子供たちです。その原因が原爆のせいだと聞かされた時、今更のように原爆の恐ろしさと、戦争の悲惨さを感じました。
 来年はこの子たちも成人式を迎へ、一人前の大人になります。しかし、この子たちは一生独立して生計を営むことができません。わたしたちがいつまでも面倒を見てやれるか考えますと、将来のことが不安でなりません。今までわたしたちは一人の親として、できるだけのことをしてきました。それには限りのあることです。

 二十年目の今日、同じ悩みを持つ親たちが集まり、ここに「きのこ会」というささやかな会を発足させることができました。原子雲の下より生まれた不幸なこの子たちに、少しでも希望と勇気が得られますように、みなさま方のお力ぞえをお願いいたします。
 また、わたしたちも二度とこうした不幸のおこらないよう、平和を守るために精一杯の努力をつくす決心でいます。なにとぞよろしくお願いいたします。
  昭和四十年七月二十四日

    広島中局私書箱一一九号 きのこ会
みなさま

年表

◆1945年8月6日 アメリカが 広島にウラン型原子爆弾を投下
◆1945年8月9日 アメリカが長崎にプルトニウム型原子爆弾を投下

◆1945年9月 GHQがプレスコードを発令 原爆に関する報道を規制

◆1946年 原爆小頭児の多くが誕生

◆1946年 アメリカが ABCC(原爆傷害調査委員会) を設立 被爆者の原爆放射線の影響を調査・研究

◆1951年 ABCCが胎内被爆児の調査を開始

◆1952年 サンフランシスコ講和条約発効により プレスコードが失効

◆1952年 ABCC  プラマー医師・・・広島で胎内被爆児に7人の知的障害のある小頭児を確認

◆1953年 ABCC ストウ医師・・・広島で13人・長崎で2人の合計15人の胎内被爆小頭児を指摘

◆1953年 阿川弘之氏『魔の遺産』 ABCCプラマー医師の研究結果として原爆小頭症を小説の中で紹介

◆1954年 ABCC ヤマザキ医師ら・・・長崎で被爆した女性が出産した子どもに知的障害児の出現率が高いことを指摘

◆1955年 広島大学医学部 舟橋鋭徳医師・・・広島市の胎内被爆児42人を調査し、頭囲の劣る8人を指摘

◆1956年 ABCC  ミラー医師・・・広島で胎内被爆による15人の知的障害のある小頭児を確認

◆1957年 原爆医療法制定(被爆者健康手帳の交付など)

◆1957年 記録映画「世界は恐怖する」や週刊朝日の記事で 原爆小頭症の女性を報道

◆1964年 広島大学医学部 平位剛医師・・・広島の胎内被爆者に9人の知的障害を伴う小頭症を指摘

◆1965年  秋信利彦氏ら広島のジャーナリストが 個人の立場で 原爆小頭症を調査

◆1965年6月27日  秋信利彦氏らにより見つけ出された6家族が集まり「きのこ会」結成

◆1965年7月20日 『この世界の片隅で』出版 

◆1966年1月12日 きのこ会成人式

◆1967年  原爆小頭症の被爆者6人が「近距離早期胎内被爆症候群」として認定(その後2年のうちに 当時申請をしたすべての会員が認定へ)

◆1981年  原子爆弾小頭症手当 創設

◆1991年  きのこ会45歳を祝う会 事務局が会員に「開かれた会」への転換を提案

◆1995年  被爆者援護法 施行

◆1996年  きのこ会50歳を祝う会 支援者たちによる「きのこ会を支える会」結成

◆2003年  きのこ会会長死去(会長が不在に)

◆2006年  「きのこ会」と「支える会」が合併(親の高齢化などで活動が困難になったため)

◆2009年  前会長の次男が会長に就任(小頭症被爆者のきょうだいが会長に)

◆2010年  秋信利彦氏 死去

◆2014年  きのこ会の「最後の親」が死去


きのこ会に関する書籍

きのこ雲の下から、明日へ

斉藤とも子 著、ゆいぽおと (2005年)


俳優・斉藤とも子氏による、原爆小頭症の被爆者と家族の記録。

患者と家族の生活史や、きのこ会の運動の記録、支援者の活動など、原爆小頭症に関する情報が、わかりやすくまとめられています。

原爆小頭症の被爆者ときのこ会について関心のある方は、ぜひご一読ください。

原爆が遺した子ら 胎内被爆小頭症の記録

 きのこ会 編、渓水社 (1977年初版、1984年 2刷)絶版


きのこ会の父母、そして原爆小頭症の被爆者本人による手記集。

この記録を残した方々は、すでにみなお亡くなりになりました。
この本は、当事者の手による貴重な記録です。

この世界の片隅で

山代 巴 編、岩波新書(1965年)絶版


広島研究の会による被爆20年目のルポルタージュ集。

風早晃治の「IN UTERO」によって、原爆小頭症児の存在と20年間にわたっておかれていた状況が明らかにされました。「風早晃治」とは、のちの昭和天皇の記者会見で原爆投下について質問をした秋信利彦記者のペンネームです。

このルポにつながる秋信氏の取材活動が、きのこ会結成へのきっかけとなりました。


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