きのこ会(原爆小頭症被爆者と家族の会)

 私たち「きのこ会」は 核兵器の廃絶を 強く求めます

わたしたちの声を聴いてください きのこ会.pdf

「わたしたちの声を聴いてください」

※PCでは画像右上の四角いマークをクリックすると拡大できます。

核兵器禁止条約締約国会議が行われた2022年にきのこ会が制作したパンフレットです。
原爆小頭症被爆者の妹・中井葉子さんのメッセージや、きのこ会の沿革などが記されています。

お知らせ

◆2024年5月9日
きのこ会で初代事務局長を務められた作家の文沢隆一さんが、2024年5月9日に亡くなりました。96歳でした。
心よりお悔やみ申し上げます。

長い間、原爆小頭症の当事者たちを支えてくださいまして、本当にありがとうございました。

きのこ会誕生会(2018年6月)

原爆小頭症の岡田佳一さん と 母のタメさん
(重田雅彦氏撮影)

きのこ会 とは

きのこ会は、原爆小頭症の被爆者と家族の会です。

原爆小頭症の当事者となる会員数は2023年7月1日現在で11人です。(内訳:広島市5人、広島市以外の広島県2人、北海道1人、神奈川県1人、大阪府1人、山口県1人)

妊娠早期の胎児が強力な放射線を浴びると小頭症の子どもが生まれるということは、専門家の間では知られていましたが、一般に公表されることはありませんでした。アメリカが広島と長崎に設置したABCC(原爆傷害調査委員会)では、原爆投下6年後の1951年から胎内被爆児について追跡調査を行い、早くから小頭児の存在について把握していました。しかし親たちには「この子の障害の原因は栄養失調だ」と偽りを伝え、その存在を隠し続けていました。

原爆小頭児の存在が市民に明らかになったのは、広島のジャーナリストの調査からです。岩波新書の「この世界の片隅で」で、秋信利彦氏が胎内被爆児の取材を始め、広島研究の会のメンバーたちの手によって、ひとり、またひとりと探し出していきました。当時、研究者たちから家族に対して正しい情報を与えられることはなく、原爆小頭児の親のほとんどは「子どもの障害は自分たちの家族だけのもの」と思っていました。しかも被爆の翌年に生まれた胎内被爆小頭児たちの障害は、原爆によるものと認められていませんでした。

広島研究の会の呼びかけで1965年6月27日、6家族が集まって原爆小頭児の親たちの集まりが結成。活動の柱を「原爆症認定」「終身補償」「核兵器廃絶」の3点とし、名前を「きのこ会」と決めました。

「きのこ会」という会の名前には、『きのこ雲の下で生まれた小さな命ではあるが、木の葉を押しのけて成長するきのこのように元気に育ってほしい』という親たちの強い願いが込められています。1967年9月、きのこ会の原爆小頭児6人が「近距離早期胎内被爆症候群」として原爆症認定を受けました。(その後2年以内にすべての会員が原爆症認定を取得)

きのこ会にはこれまで25人の原爆小頭児が在籍しましたが、うち14人が他界しました。

人類が同じ原爆小頭症の子どもたちを作らないことを願って、私たちきのこ会はこれからも核兵器の廃絶を訴え続けます。

原爆小頭症の女性

原爆小頭症 とは

原爆小頭症とは、母親の胎内で被爆し、強力な放射線を浴びたことが原因で発症する原爆後障害のひとつです。

「小頭症」の症名のとおり、頭が小さいことなどが特徴で、多くが脳と身体に障害を負っています。

ABCC(原爆傷害調査委員会)が1972年に発表した調査によると、原爆小頭症の子どもは、広島で48人、長崎で15人の 合計63人いたとされています。

厚生労働省によると、2023年3月末現在で原爆小頭症と認定された被爆者は全国で13人です。(※2023年4月1日に1人死亡しました)

胎内被爆者は、被爆後に誕生したことから被爆2世と誤解されるケースが少なくありませんが、原爆小頭症の障害は遺伝によるものではなく、胎児のときに被爆したことが原因です。

原爆小頭症の被爆者は、母親の胎内で直接被爆した「最も若い被爆者」といえます。

きのこ会・原爆小頭症 に関する報道

(画像・タイトルをクリックすると、各社のサイトにジャンプします)

RCCテレビ(2020年放送)49分

胎内被爆者できのこ会の支援者でもある男性の目を通して、被爆者差別の本質について見つめるドキュメンタリー番組。
この番組では原爆小頭症の被爆者と家族のライフストーリーが紹介されています。

きのこ会 役員

会 長 長岡義夫

事務局長 平尾直政

メール  kinokokaiあoutlook.jp  (「あ」を @ に置き換えてください)

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