Music Video, 3DCG Animation, Motion Design, Graphic Design, Rotoscoping
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死神
竹雫まい様のカバー「死神」のMVを担当した。今回は「the DEATH」と題しオリジナルのアニメーションを制作した。
米津玄師さんは本楽曲を作詞作曲する上で、落語の演目である「死神」をモチーフにしている。
本映像も映像も落語の演目である「死神」とグリム童話「死神の名付け親」を物語のベースとして、また新たな死神の創造を試みた。
男が死神と出会い、契約するも調子に乗って死神の逆鱗に触れて最終的に死神の仲間入りを果たす物語を展開した。
本作品は原作となった落語「死神」やグリム童話「死神の名付け親」にならって蠟燭をモチーフとした演出が数多く出てくる。
1つは大雑把に大胆なタッチで描かれた蠟燭のアニメーション。そしてラストに登場する3DCGの蠟燭だ。
これらは同じ存在として描いておらず、前者のアニメーションは場の状況であったり男の心理を表すメタファーとしての演出である。
後者は物理的な、実際の蝋燭という設定であり「命」そのものである。この蠟燭は消えると、命も尽きる…というものである。
男の最期に燃え移った炎は、男の「命の蝋燭」である。死神の力によって、蝋燭の火が一気に火力を増した。
「自分に燃え移った火を消してくれ」といった要求を死神に向ける。死神は承諾した。
火が消えた瞬間、男の人生は燃え尽きた。
この作品は、作者が「楽しい」と「楽する」の境界とは何かを考えた結果として生まれた作品である。
作者は、「楽しい」と「楽する」は必ずしも一体ではないと考える。まず、「楽しい」は主観的な経験や感情に拠るものである。
これに対して、「楽する」は行動に直接関連するので、効率的で簡単な手段や方法といったものを指す。
感情と手段は、そもそも対立の関係にすらなり得ない。金銭的な成功が直ちに楽しい状態につながるわけではない。
作者は、この二つを混合した場合、楽を追求することが本当に満足や幸福に結びつくのかどうかを問うている。
作品の主人公は、「楽しい」と「楽する」の区別が曖昧であり、楽を追求することで富と快楽を得るが、それが本当の幸せではないことに気づかない。
主人公は、「成功の反動」に惑わされてしまい、金に困窮していることすらも「都合の良い口実」として利用する。
この主人公の失敗は、感情と行動手段のバランスを取る難しさを浮き彫りにしている。
作者は、「楽しい」と「楽する」に明確な線引きがなければ、どこかで過ちを犯すであろうことを静かに表現したいと考える。
その上で、この主人公は作者が反面教師にしたいと思う人物像を作中に登場する「男」として描いた。
原作 初代三遊亭圓朝 原曲 米津玄師
歌唱 竹雫まい 監督 カンコタワークス
挿絵 わたしだ Mix パラドックスサウンズ
本映像は「楽」とは何か、という問いを主題として
「懈怠」「死念」「憤慨」「詭弁」「頽廃」「虚脱」「怨念」「因果」「堕獄」「死神」と、
10のセクションに分けて展開している。
映像の迫力、特にラストシーンは竹雫まい様のはっきりとした、力強く芯がある歌声と相まって強いインパクトを実現することが出来た。
制作時には最初に小説を執筆して綿密な世界観を構築した。映像の中には最初に執筆した小説のフレーズであったり、それを英訳したものが登場する。
所々には、カットとカットの間に男や死神の過去・記憶といったものを描写したカットをインサートする事で男や死神のアイデンティティーを補強した。
作者は、落語の死神と男のキャラクターを再解釈し、新たな死神の創造と再構築を試みた。
カット毎に込めた意味を最大限表現する術として今回は実験的に独自の手法を取り入れた。
写実的表現へ重きを置いた3DCGのシーンだけではなく、突如一瞬だけディスプレイされる線画を連想させられるラフなタッチで描いたテイストのシーン、
また罪悪感や罪の意識といったものはソ連のプロパガンダを連想させられるデザインシステムを用いたカットもある。
これらの表現方法や技法は、主人公の心理や状況に応じて変化し、作品の雰囲気や感情を伝える役割を果たしている。
構成はハイテンポだが、まったく頭に入ってこない展開速度は避けた。繰り返し見て内容を理解したくなるようなストーリーと構成を心掛けた。
そういった意味でも、とにかく衝撃的な映像を目指した。
ある意味、見る人にとっては「干渉できない」「没入できない」雰囲気をあえて醸し出して逆に詮索・考察したくなるような作品を構築した。
カラーグレーディングはタイトルに「死」という言葉がある事から「恐怖」「逃避」といったものと同時に、
男は自分の罪から逃げており「逃避」のイメージを感じさせる、深刻で陰鬱な冷たさを意識した。
不鮮明で、ノイズやグレインが強く適応されているシーンは死という現実をはっきりと見つめることができない、
あるいは見たくないという男の心理をビジュアライズしている。
時には記憶がワンビジュアルに収められて走馬灯のように流れる。それらは重ね合わせられたり切り取られたり歪められたりしている。
本映像に登場する男のアイデンティティーを構築する上で、作者は「楽しい」と「楽する」の境界とは何かを考えた。
「楽しい」「楽する」の表裏は、必ずしも一体では無い。単語の働きから考えれば単純だ。
まず「楽しい」は主観的な経験や感情に拠るものだ。これに対して「楽する」は行動に直接関連するので、効率的で簡単な手段や方法といったものを指す。
感情と手段。これらの単語は、そもそも対立の関係にすらなり得ない。金銭的な成功が直ちに楽しい状態につながるわけではない。
その上で、この2つを混合した場合どうなるのかを考えてみた。
すなわち、楽を追求することが本当に満足や幸福に結びつくのかどうか。
この男は稼いだ金を一瞬にして飛ばし、そして困り、稼ぎ、困り…を繰り返した。
そうして、最終的には恩がある筈の死神すら騙して金を儲ける。
男は「楽しい」と「楽する」の、本来イコールにもならないものをイコールにしてしまった。
その上、自分の状態に危機感を覚えなかった。
金銭的成功が直ちに絶対的な楽しい状態につながるわけでは無いのに。(これは人によるかもしれません)
「成功の反動」に惑わされてしまった男。
金に困窮している事(自身が苦しい状況下にある事)ですらも「都合の良い口実」としている。
故に、楽を追求することが本当に楽しい状態に繋がるわけでは無い。男は区別が曖昧であることに気づかず、過ちを犯した。
この男の失敗は、感情と行動手段のバランスを取る難しさを浮き彫りにしている。
だから「楽しい」と「楽する」に明確な線引き(区別)が無ければ、何処かで過ちを犯すであろう事を静かに表現したいと考える。
そのうえで、この男は作者が反面教師にしたいと思う人物像を描いた。
※これも主観に過ぎません。作者が探し続けている問いの一つです。
Original: The FIRST Sanyutei Encho
Composer: Kenshi Yonezu
Vocalist: takeda252525
Director: KhanKota.works
Illustrator: Watashi__ich
Mixing Engineer: PARADOX SOUNDS
After Effects / Blender / Unreal Engine 5
illustrator / Photoshop / Animate
Quixel Bridge / Dreamweaver
Camera: iPhone13