いじめはやる側にとって、最も価値のない時間の使い方、即ち時間の無駄だと思う。いじめというのは、自分より下の立場の相手に対して、相手がやり返してこないのをいいことに、嫌がらせをすることを指します。能力に関係ない人種差別や、血筋がいいからと他人を下に見る、いわれのない仲間外れ等もこの類です。断言しましょう、いじめをする人間は弱い、即ち、承認欲求が足りてないから、他者を否定し、自分が優位に立った気になり悦に浸る、と。
- 他のことをやるほうが有意義です。努力するか遊ぶ (楽しむ) か休みましょう。
- いじめる側、いじめられる側双方の損なので、組織の大損です。
- いじめるのは力がないから。実力がある者は、やって見せればわかせることができる。誰かと (あるべき自分とかも含め ) と比較し、受け入れてくない現実から目を背ける「自慰行為」みたいなものです。
- いじりといじめは違う。いじりは立場関係ない、というか力関係を変えない。いじられる側がいじる側の尊敬する人や目上でもいじりは成立する。いじめはいじめる側が「いじめる側がいじめられる側より立場が上」という力関係を押し付ける。
- 辞めさせるには注意するより、褒めるとか認める (承認欲求を満たす) が有効です。
参考記事:
人のを格付けし、ランクで付き合う相手を選ぶのは最大級の愚行だと思います。人間みな能力が同じではないので、能力の高い、低いということはあると思います。一方、「価値の高い/低い行動」はあるけど、「価値の高い/低い」人間はいないと私は思います。好きも同じ、」好き」というのは、「価値が高い」とは異なります。
- 相手の格で付き合う相手を選ぶと、打算が丸見え。すなわち、都合のいい時だけ自分の利益を取りにくるくせに、肝心な時やこちらが大変な時に我先に逃げる人物と思う。自分の都合のいい時だけ相手を利用し、自分だけ利益を得るような身勝手が許されると思うことがバカだと思います。そういう人間を私は信用しません。
- 格が高い相手との約束を優先的に守り、格が低い人との約束は破っていいと考えることは、信頼をなくします。仕事の話は返すけど、プライベートの話は返さないとかもこの類です。約束を無下にする人を誰が信用できるというのでしょうか。できない場合は、ちゃんと自分から頭を下げて、説明して、それから一緒に打開策を考えることが大切だと思います。
- 一般に、格が上とされる人ほどすり寄る人間が多いので、すり寄ったところで、「またか」程度に思うので効果が薄く、言い寄る側が相応のものを相手に与えないと満足しません。一方でこれからの人の立場に立ってみれば、無名なうちから自分を認め、目にかけてくれた人は、有名になってからも大切にしたいと思うでしょう。既に格が高いと言われている人より、満足させるハードルが低いことが多い。無名な時は無下にしておきながら、有名になった途端に掌を返す人間に、協力したい気持ちになりますか?私は絶対になりません。
- 格が高い相手、凄い人も間違えます。格が低い、まだ凄いと認知されていない人も凄いことをすることがあります。確かに、格が高いと言われている人ほど、良いことを言う/する可能性が高いですが、完璧な人などどこにもいません。きちんと自分で判断する目を持っていないと、どこかでドツボにはまり、どん底に落ちるでしょう。人ではなく、言動などの内容で判断することが大切です。「格」で他人を判断している限り、考えていない、決断していないということです。結論、これをやる人間はバカ、ということになります。
- 凄い人と繋がっても、自分が凄い人になるわけではありません。付き合う人間は自分の力量の鏡になりません。凄い人になりたければ、自分を強く、魅力的にする方向に努力すれば良いでしょう。もし、自分を良く見せるために付き合う人を選んでいるのだとしたら、それでは落ちるだけだと思います。
- 自分が評価する側だと思っている人間は、評価をつけようとする相手に上から目線で来ることがありますが、大きな間違いだと思います。評価はどちらかが一方的につけるものではなく、お互いにつけるものです。例えば、部下であっても上司を評価しているのが当たり前。評価する側が偉いと考えるのは筋違いだと思います。
- 強ければ (能力が高ければ、魅力的であれば、有能であれば、ランクが上であれば) 悪いことをしても良い、と考えるのは間違いです。そのような人間は、利用価値 (実力等) が圧倒的でなくなり、代わりになれる人間がでた途端に見限られます。
- 凄い人とそうでない人を分けて、ランクについて考えることそれ自体がそもそも時間の無駄だと思います。そもそも格というのは誰が決めたのでしょうか。誰が決めたのかもわからないローカルルールを理由なく認める必要はないと思います。所謂、メモリの無駄遣い。こういうことを考えないほうが、別の事に頭を回せて仕事が進むと思うのですが。
参考記事:
どんな人であれ、ひとそれぞれ違う環境に生き、違う考えを持った別の人です。理解者、家族、恋人であっても、自分ではないことを念頭に。他人の前例、自分の考えがあったとして、目の前の相手がそれと同じかは限りません。お前は~だからと~のひとはこうなんだと他人の例を当てはめられると、人として向き合われていないと思い、凄く嫌な気持ちになります。
- 分かってないくせに、わかったつもりで上から目線でこられると、凄く腹が立ちます。善意でやっていても、求めていない同情等は腹が立つだけです。
- 自分の考えを一方的に押し付けても相手には届きません。相手がどういう相手なのか、ちゃんと分かって初めて伝わると思います。
- どちらか一方だけが相手を把握する、所謂管理する関係では人間関係が成立しません。人間関係は100と0 (どちらかが自分の考えを押し付けるか、相手の考えを例え嫌でも耐えるかの関係) ではなく、お互いのことを分かり合いながら、互いに歩み寄ることがコミュニケーションだと思います。
- 自分が知らない何かを持っている相手は、自分にはない何かを持っているかもしれません。自分の考えが及ばない相手を盲目的に遠ざけると、多くのチャンスを失うと思います。自分にはないものを相手が持っていること、逆に相手にないものを自分が持っているのが当たり前だと思います。
参考記事: