音響流という「音が伝播する際に媒質を加速する」という現象があります.この現象は伝播する音の大きさがかなり強い場合(120dB SPLを超える程度)に発現する「非線形音響効果」の一種であり,空中に放射した超音波のビームを用いて発生させた場合,これは「超音波が作り出す気流」になります.超音波ですから,空間内の狭い領域に局在させられますし,その外側では聞こえません.
気流を発生させるのであれば,扇風機やジェットを使うという既存の手法が定着しているわけですが,音響流には「音がその場の空気を加速する」という特徴に基づいたいくつかの実用上のメリットがあります.例えば,扇風機やジェットを用いる場合,流れの始まりはそれらの装置の位置に固定され,そこから離れるほど流れは弱くなり,また広がっていきます.これに対し音響流の場合,超音波放射装置が十分な面積の放射面を有していれば,原理的には装置の任意の遠方領域に超音波のビームを構成できます(Hasegawa+ 2017 , 2019 ).この時,装置の遠方に流れの始点に相当する箇所を作り出すことができるので,従来不可能であった,「空間の好きな場所に,十分局在化したレーザービームのような強い流れ」が生み出せるというのが音響流の大きな特徴になっています.
この原理に基づき,「音響流ならではの時空間的な特性を有する流れ場の生成」を基礎的な研究課題として位置づけ,「匂いの遠隔輸送・提示システム(Hasegawa+ 2018 )」「感染性エアロゾルへの直接曝露防止音響流パーティション(Nagata+ 2024 )」などの応用研究も並行して行っています.現在のビジョンとしては「屋内において『かゆい所に手が届く』安全・快適・機能的な空気環境の提供」という目標に向けて研究を進めています.
音波はしばしば非接触計測に用いられますが,これは超音波の場合にも当てはまります.自然界においては,コウモリやイルカが超音波を用いて環境情報を取得する例(エコーロケーション)が知られていますし,工学的応用としては,人体内のイメージングや構造物の非破壊検査などが代表的な例といえるでしょう.これらの例は多くの場合「線形の波動現象」としての反射・回折・散乱をベースとした音響計測ですが,我々は「強い超音波が示す特有の現象」である「非線形音響効果」を用いることで初めて見えてくる物理情報を活用する計測技術の開発に取り組んでいます.
例えば,音響計測の原理としては,移動している物体の発する音波の周波数が観測者との相対移動速度に依存して変化して観察される「ドップラー効果」が良く知られますが,これを非線形音響効果である「パラメトリック結合波」と組み合わせた「パラメトリックドップラー効果」を見出し,「観測位置に依存しない移動体速度計測技術」としての可能性を実証しました(Kotoku+ 2024 ).また,パラメトリック結合波と電子的に収束位置を操作可能な超音波焦点とを組み合わせることで,可聴音の場を単一のマイクの録音からイメージングすることに成功しました(Kozuka+ 2025 ).これらはいずれも,従来であれば複数の計測素子(マイクロフォン・ハイドロフォン)を用いて計測の(広い意味での)指向性を持たせていたところを,対象とする音場を一旦パラメトリック音に変化させ,それを単一の素子で計測することで間接的に指向性を含めた情報を取得する手法になっており,センサアレイによる受動的指向性計測とは異なり,対象への空間選択的な働きかけによる能動的指向性計測といえます.
近年,空中における非線形音響効果の研究が少しずつ活発に行われるようになりましたが,その契機となったのが「空中触覚ディスプレイ」を実現すべく開発された「空中超音波フェーズドアレイ」です(私の研究グループの発明ではなく,2008年ごとに当時東大の篠田裕之教授によるものです).これは電子的に指向性を制御できる超音波放射音源であり,「瞬時に所望の時空間分布を有する大振幅超音波の場を空中に作り出せる」というこれまでにない技術的特徴を有しています.これにより,例えば音響パワーを用いて空中で物体を浮かせて操作する「音響浮揚」の分野において人間が生活する空間における応用システム(Human-Computer Interaction分野のシステム)が次々に提案されるなどの形で広がりを見せています.一方で,フェーズドアレイシステムは素子を制御する回路が大規模で消費電力が大きく,価格を抑えることが難しいためどうしても大型化が難しく,現在提案されている応用システムはどちらかというと卓上規模のものが多いようです.ただ,空中で超音波を収束することを考える場合,物理的には放射面積は大きいことが望ましいです.超音波放射面はレンズの働きをするため,波長に対して十分に大きくなければ「遠くで十分な強さでボケの無い超音波焦点を作る」ことができなくなります.このハードルを低コストで解決できれば,「屋内のどこであっても音響流やパラメトリック音,あるいは音響浮揚のような非線形音響効果を活用できる」という状況を実現することができます.
これに向けて「フェーズドアレーとは異なる新しいアプローチによる収束超音波の生成法」を我々は研究しています.その一つとして,「固定の放射パターンを持つ音響放射体の上に,放射の一部を遮るマスクを被せる」という手法を見出しました(Kitano+ 2023 , Hasegawa+ 2025 , Hasegawa 2026 ).これはもともとは「フレネルゾーンプレート」として知られる手法ではあるのですが,「不均一な空間的放射パターンを有する振動体に,目標とする焦点形成パターンに対応したマスクを被せる」という形で拡張することにより,フェーズドアレーほどではないにせよ簡単に形成超音波の場を大きく変化させられる安価かつ大型化が容易なハードウェアの設計指針を示しました.
非線形音響効果は「音響流:音による流れ」「音響放射力:音が物体を押す力」「パラメトリック結合波:音の非線形干渉によって生じる二次音」が代表的なものとして知られています.我々のチームでは上記の通りこれらの物理的効果を最大限に活用した応用システムの研究に取り組んでおり,単に「すでに知られている効果をどう活用するか」といった視点にとどまらず「ある効果の物理的本質は何か」という観点を大切にしながら新しい切り口でのシステムの構築に取り組んでいます.
以下,最近の研究例について簡単に紹介します:
・「渦ビーム対を用いた波長より大きな物体の音響浮揚」
音響浮揚において,波長より大きな物体をリアルタイムで空中操作することは難しい問題ですが,これを「中央に物体のトラップ領域を有する音場を2組の渦状音響ビームの対を干渉させることで形成する」という方略で実現しました(Momoki+2026 ).これによって「大きな軽量物体」を空中で操る新しい音響技術の発展が期待されます.
・「放射角度を制御したパラメトリック音提示によるパーソナル立体音響」
パラメトリック音の「自己復調」(変調した超音波ビームが空中で「自発的に」復調される現象)を利用した「超指向性可聴音提示」は古くからおこなわれていますが,このヒトに対する放射角度,および音源の方向による主観的音像の空間移動効果について,心理物理実験によりモデルを構築し,個人差がかなり小さいことを明らかにしました(Momoki+2025 ).これにより,小規模なパラメトリック音源群によって立体音響を楽しむことができるようなシステムの実現が期待されます.
・「容器内液体に対する特定モードでのスロッシング誘起」
非線形音響効果のうち,物体に力を発生させる「音響放射力」については現状のデバイスでは数10mN(数gf)程度と非常に弱く,機械的なアクチュエーションの対象はごく軽量の物体に制限されていました.しかし,アクチュエーション対象が共振系である場合はこの限りではなく,放射力の「時空間的分解能の高さ」を生かし,数100gの容器内液体を非接触で大振幅加振することに成功しました(Hijikata+2024 ).
・「収束超音波による2段階触覚フィードバックを有する空中押しボタン」
上述の通り,空中超音波フェーズドアレイは音響放射力による「見えない非接触触覚提示装置」としてもともとは開発がすすめられたもので,「現在では空中超音波ハプティクス」という触覚研究の一つの大きな分野を形成しています.日常的に触覚を活用する場面として「入力した実感を伴った押しボタン」が挙げられますが,これを空中超音波で実現する研究において「入力感」の触覚的表現には課題がありました.この研究では空中の指先の上下動作に対し,仮想的なボタンに「触れた瞬間」と「指を持ち上げた瞬間」の両方にごく短い時間の超音波振動を加えることで,一方だけに加えた場合と比較して飛躍的に「入力感」を向上できることを明らかにしました(Sugawara+2025 ).