(戦国時代 豊臣秀吉による小田原城包囲の約2か月前 )
江戸時代から近隣の信仰を集めていた不動様で、小さな滝が行場であった。大正頃には二階建ての行屋があった。滝の近く、宝剣にクリカラ竜が巻きついた形の倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)の石塔がある。不動明王を現したものである。狭い境内には数多くの奉納物があり信仰の強さを物語っている。紫桂楼(ともしび)と書かれた石灯篭は文政7年(1824)に竹原村の医師篠塚周伯が奉納したもので、石鳥居は明治23年(1890)、手水石は嘉永7年(1854)、不動尊の石額は文政4年(1821)の奉納物。本堂向拝の龍彫刻は千倉の後藤義光の作で、明治25年(1892)のもの。堂内には祈願の絵馬がたくさん奉納されている。倶利伽羅竜王の隣には弘化4年(1847)の出羽三山碑がある。(館山市立博物館より引用)