川上神社 田楽の囃子 びんざさら
拝殿でのからす田楽奉納
昭和時代の奉納風景(田楽保存会資料から)
田楽の囃子 長老達の太鼓
出典 youtube からす田楽から
川上神社とは
川上神社は、西暦645年大化元年に創祀され、福知山市三和町や京都綾小路の大原社など、多くの地方分霊の元社である大原神社の摂社で、当地美山町樫原地区の氏神様である。
川上神社は祭神に猿田彦命を祀り、導き・あらゆる災い除けにご利益があるとされている。
この神社では、600年以上伝承され続ける田楽「からす田楽」が執り行われる。正しくは「樫原の田楽」ではとされているが、田楽奉納の所作から「からす田楽」と親しまれる極めて古典的で素朴な田楽で知られる神社である。
京都府無形民俗文化財 第一号登録証書
(保存会資料より)
山の神へ向かう道中の田楽衆
(保存会資料から)
山の神へ向かう道中の田楽衆
(保存会資料より)
出典 youtube 京都美山からす田楽
(2024)より
境内 阿形狛犬
からす田楽の由来
「からす田楽」は、笛1人・太鼓・4人・びんざさら4人の計9人(9人衆)で構成される。長老から大太鼓・中太鼓・小太鼓。そして若手のびんざさら囃子方3人は編み傘を被るが、一番若手は烏帽子を被り「からす役」を務める。
以前は氏子の若手が嫁を娶ると田楽衆に加わり「からす役」となり、最長老の大太鼓役は役から退くとされていた様だが、近年では地区の若手は町に出て田楽衆の若返りが難しい様だ。
田楽奉納にあたり、社務所で所作などの一通りの手順を確認した後に拝殿へ移動。神職の祝詞・お祓いから田楽は始まる。笛の合図で一同立ち上がり、太鼓・びんざさらを奏でながらその場で何かを祓うかの様な所作がある。その後びんざさら役2名が田楽衆が囲む陣内を拝礼の姿勢で1周づつ回り、ついで「からす役」が陣内を1周回った後、両足を揃え、両手を広げ笛の音に合わせ前方へ3回飛び、3歩すり足で下がる。この所作が「からす」の動作に似ていることから「からす飛び」と呼び、この田楽を「からす田楽」と呼ばれている故である。これは山を荒らす害獣を、神の使いである「からす」が追い払う様子を模したものとも言われている。その「からす」は、一説には神話にも登場する八咫烏であるとの見解もあり、山仕事で道に迷った時、里まで導きくださる神の化身と考えられている。これは「導きの神」である猿田彦命を祀りすることからもそれらは合点できる。
この「からす田楽」は室町時代前期から中期が起源とされており、600年以上を樫原の氏子達だけで延々と守り続け、昭和58年に京都府無形民族文化財第1号に登録されている。
田楽奉納は対向陣形で、一つひとつの所作や奏でる楽器はけして華美ではなく、稲の豊作を願い祝う田楽・猿楽の草創期の古典的な素朴さを、現代にそのまま伝承していると考えられており、この田楽の起源は13世紀中ごろ寺社での祭礼に広まった、鎌倉時代中期までも遡る可能性もあると考える。
田楽の奉納は拝殿・山の神の祠前・川上神社社殿前の3か所で奉納される。かつて山の神の祠は川上神社から400mほど離れた山の中腹にあったが、近年では境内に祠をお移ししている。
川上神社への奉納が終われば神職による弓矢での的当ての神事がある。3本の矢のうち1本でも当たれば来年の稲は豊作、当たらなければ凶作になるとの口伝えから、神職も緊張の面持ちで執り行う。
田楽奉納後は、皆でその労をねぎらう直会を行っている。その昔は行事食として世話役が用意した鯖のなれ寿司を食したことから「寿司講」とか「鯖講」とも呼ばれていたが、近年では会費制でのお弁当とし、世話役の負担を軽減している。
からす田楽は 山仕事の安全と、猪や熊などの害獣から身を守り、稲などの農作物の豊作を祈る神事であるとされている。(保存会資料から)
近年では毎年10月の「スポーツに日(祝日)」に、天候に関わらず奉納されている。
是非 「からす田楽」は見ておきたい、貴重な無形民俗文化財である。
南丹無形民俗文化財研究会
2025年川上神社社殿前奉納 びんざさら囃子
右烏帽子は「からす役」
川上神社 本殿前での田楽奉納
翌年の稲の作柄を占う的当ての神事 当れば来年は豊作。当たらねば凶作とか 宮司緊張の恒例神事
(季刊銀花16号1973年より)
1970前後の奉納風景。
かやぶきの民家は当時の樫原にも多く、刈取り後の稲木干しも見られる。
からす田楽と鯖ずし
半世紀ほど前までは、田楽奉納に合わせ鯖ずしが作られていた。当時は奉納にあたり、世話役の当番というのがあり、夫婦健在である氏子宅を年の順に当番がまわった。当番に当たった家では、各氏子宅へ鯖ずしを配るため、四斗樽になん樽もの鯖寿司を漬け込んだ。親類縁者は当番宅にあつまり、田楽奉納の1週間前からこしらえをした。奉納当日は、朝早くから田楽衆に来てもらい朝食を振る舞い、お昼には鯖ずしをつけた本膳を出した。それらを食した田楽衆は、午後1時頃笛を吹き、太鼓をたたきながら、川上神社に行ったものだった。
この鯖ずし、十月十日(当時)の田楽奉納日に合わせ、七日間の発酵がこの季節は適していたという。なれずし用の鯖を魚屋から取り寄せ、小骨を取り、鯖一匹に一合三勺の御飯を用意し、塩味に握った御飯の上に鯖をのせ、笹の葉で巻き、わらで結ぶ。これを樽の中に重ねていくが、空気が入らないように御飯を詰め、しっかりと蓋をした。一昼夜たったら上まで水を入れ、重石をのせ、田楽前日には樽を逆さにて水を切り、すしがこぼれない様に台の上に伏せ、今度は樽の底から重石をし完全に水を絞る。田楽催行日には、適度な酸味を加えた風味豊かな、なれずしとなる。
夏につくると腐り、冬につくると発酵が進まない。生活の知恵でなりたつ行事食であった。
(出典:季刊銀花16号より引用)
南丹無形民俗文化財研究会
さばずしの仕込み(出典::季刊銀花より)
樽への漬け込み(出典:季刊銀花より)