エドガー・キネのメトロの駅からゲテ通りを南に入ると、モンパルナス劇場とゲテ・モンパルナス劇場という小さなテアトルが道を挟んで建っている。どちらもあまり大きくなく小じんまりとした風情だが、以前はこのあたりも繁華街として賑わったのだろう。今も小さな酒場がところどころにあって、かつての名残を伝えている。
モンパルナス駅の東側、地下鉄13号線のゲテ駅からモンパルナス大通りにかけてモンパルナスの歓楽街が連なる。映画館や劇場、ビストロ、カフェ、あるいは商店などが並んでいる。右岸のモンマルトルなどとは比べ物にならないほどに今はさびれた感がある歓楽街だが、それでもその昔、文化の中心地として栄えた臭いはどこかに残っている。建物や通りを歩く人とともに、壁一面にはられたポスターの中にもその臭いは感じられる。
モンパルナス大通りから南へ入り、市の開かれるエドガー・キネ大通りを渡るとモンパルナス墓地がある。ボードレール、モーパッサン、ブールデル、サン・サーンス、サルトル、ボーボワールらフランスを代表する多くの芸術家や作家が眠っている。長く続く墓地の外壁づたいに歩いていると、いつの間にか方角が判らなくなり、気がつくと自分の思いとは逆に墓地の南の街なみの中に迷い込んでいた。そんなときに出合った古いビストロである。
モンパルナス駅から東のラスパイル大通りまでの600mほどを結んでエドガー・キネ大通りが延びている。毎週水曜と土曜の午前には市(いち)のテントが立ち並び、野菜や果物、魚介類、雑貨などが売られ、買い出しの市民らでにぎわう。モンパルナス駅周辺はかなり再開発され、ギャラリー・ラファイエットやモンパルナスタワーなど近代的な表情になってしまったが、この市の通
りにはまだ古き時代のパリが残っている。建物の壁に書かれた広告の文字が新しく変わっていく街並みを静かに見下ろしていた。
モンパルナス大通りには、かつて芸術家、小説家たちがたむろして、彼等の生き様とともに伝説化されたカフェが多い。特にヴァヴァン交差点近くには、にらみ合うように三つの名の知れたカフェが集まっている。緑のテントがさわやかなセレクト。それに対抗するかのような真っ赤なテントのロトンド。そしてこの二つの店の反目を道の反対側から見下ろすかのように、落ち着いた雰囲気のドーム。気難しい芸術家たちは、それぞれ好みの店が決まっていたようで、ヘミングウェイはもっぱらドーム党だったらしい。この絵のカフェは、さらに東のポールロワイヤル交差点近くにある、木もれ日がきれいなこじんまりとした店である。
サン・ジェルマン大通りを西に歩いていくと、レンヌ通りとぶつかる交差点で急に視界が開ける。ふと見上げると、その一角にサン・ジェルマン・デ・プレ教会がとがった鐘楼を空にそびえさせている。パリで最も古いと言われる教会がこの街の中に何の違和感もなく溶け込んでいることにあらためて感心する。何気ないことのようだが、それは多くの人々の努力と良識の成果に違いないと思う。この絵は教会の前のサン・ジェルマン・デ・プレ広場からセーヌ川へぬけるボナパルト通りを描いた。
左岸の人々のの憩いの場所、リュクサンブール公園。佐伯祐三も描いたポールロワイヤルから続く木立の中を通って公園に入っていくと、広い芝生と美しい噴水の向こうにリュクサンブール宮が翼を広げるように迎えてくれる。現在、オルセー美術館にある印象派の絵画は以前ここに展示されていて、腹をすかせた無名時代のヘミングウェイも気をまぎらわせるためによく訪れたらしい。そしてどうしても我慢できなかったのか公園の鳩をパチンコで殺し、こっそり持ち帰ったというエピソードも残っている。
サン・ジェルマン・デ・プレ広場からボナパルト通りへ進む角にある書店。ソルボンヌに代表されるカルティエ・ラタンの大学街や、セーヌ川沿いの国立美術学校など学校が多いせいか、このあたりには書店も多い。図書全般を扱う書店だけでなく、一つの分野に特化した書店が多いのも目につく。書店のある風景は、街も知的に見えてしまうから不思議である。
リュクサンブール公園西側の通りを南へ歩いていくと、街角にフランス国旗が立っていた。特別な日というわけでもなく不思議に思っていると、どうやらこの建物は学校のようで、地図で見るとモンテーニュ校とパリ第五大学の敷地である。平日の昼間で物音一つ聞こえない。厳格な授業の最中なのだろうか。
セーヌ川には多くの橋が架かっているが、おそらく日本人に最も知られているのはポンヌフ、その次はミラボー橋というところだろうか。新橋という意味のポンヌフだが、今ではパリで最古の橋になってしまった。16世紀ごろまでは橋の上に店や家屋が建てられるのが普通だったが、景観を損ねるということで初めて家のない橋が造られた。それゆえ新橋ということらしい。ちなみに「ポンヌフの恋人」という退廃的な若者を描いた映画があったが、あの橋はすべてセットというから驚きである。
セーヌ川左岸の道を歩いていくと、緑のパラソルを立てたカフェを見かけた。国立美術学校の隣で、さらに路地を挟んで隣は画商のようで、黒っぽい落ち着いた町並みに、この店だけが明るく浮かんでいるように見える。授業が終わる頃には、美術学校の学生たちで賑わうのだろうか。