2025年
恐らく、初の開催だと思います「関門トンネル本坑ウォーキングツアー」!
1回20名限定で、午前、午後の2回の開催です。関門トンネル記念館もご視察頂けます。
安全確保のため、様々な参加条件がありますので、お申込みも含め、詳しくは次のJR九州トラベルデスクのホームページをご覧ください。
【終了しました】多数のお申込みありがとうございました。
https://widgets.bokun.io/online-sales/9f45d152-5771-4466-8821-9a964830296c/product-list/95260?page=1
【開催日】2025年9月20日(土)
【午前の部】関門トンネル記念館(集合)→関門トンネル→下関駅(解散)
【午後の部】下関駅(集合)→関門トンネル→関門トンネル記念館(解散)
【参加費用/お一人様あたり】大人(18歳以上):39,800円
【申し込み締切】開催5日前
◎関門トンネル記念館
住所 〒800-0026 福岡県北九州市門司区梅ノ木町5-3
アクセス JR門司駅南口徒歩10分 ※駐車場はございません
【お問合せ】
JR九州トラベルデスク 電話番号:092-482-1489
営業時間:9:30~12:30、13:30~16:00(土・日祝日休業)
大里駅構内の様子(現門司駅から現門司港駅に向け撮影)
この写真と線路平面図は、今は無き鹿児島本線「大里(だいり)駅」のものです。関門トンネルの門司側のアプローチ部は、この構内にあたります。広い構内を持ち、ここには「大里機関区」というSLの基地や貨車留置線群、宿舎などもありました。
これは、本州と九州の貨物輸送が下関~小森江(操車場(桟橋))間の「関森(かんしん)航路」(1911~1942年)を介して、貨車ごと船に積んで輸送し、1kmほどの貨物線を経由して大里駅で鹿児島本線と接続していたためです。大里機関区所属のSLはこの貨物列車を牽引していました。
関門トンネルの計画にあたっては、更に大規模な、駅、機関区、操車場などの鉄道施設が現門司駅の西側に建設、移転されたため、1891年に開業した大里駅は1942年の現在の門司駅への移転・改称に伴い、51年でその名が消えることになりました。
関門トンネルのアプローチ部は大里駅のホーム辺り、関門トンネル記念館は、図面中央付近にある大里機関区の機関庫辺りとなります。
【写真は、現門司駅方から現門司港方を撮影。平面図は、左側が現門司港方】(写真・線路平面図:九州鉄道記念館蔵)
大里駅の線路平面図 左側が現門司港方 「哩」・「鎖」という「m」表示の前の表示が残っている
YouTubeの「産経鉄道チャンネル」で関門トンネルと関門トンネル記念館が特集されました。
ロケでは、関門トンネル記念館でトンネルの概要を区長より説明させて頂き、その後、豆トンネル、本線トンネルの一部をご案内しました。日ごろ一般の皆様にご覧頂けないトンネル内の貴重な映像も満載です!
どうぞご覧ください!
【貴重映像】山陽本線・関門トンネルの最深部に徒歩で潜入!
https://www.youtube.com/watch?v=xkbX8kfT1sc
今回は、私たち門司保線区の社員が、関門トンネルの保守作業で利用している、「豆トンネル」をご案内しながら歩いて見学するツアーが開催されます。
「豆」というだけに断面も小さく、私たちが保守作業で通る際もよくヘルメットをトンネル上部にぶつけます。
正式には「試掘坑道」という名称です。通称「豆トンネル」と可愛く呼ばれていますが、この豆トンネル無しでは関門トンネルの本線トンネルは建設できませんでした。豆トンネル建設時に、本線トンネル建設に向けた地質の状況を探り、本線トンネルの工事中は資材の運搬や作業員の出入りなどに使用されました。完成時に埋められましたが、豆トンネルから、本線トンネルに向け数本の通路トンネルも設置されていました。
試掘坑道は、1936年に竪坑が着工され、1939年に完成しました。下関方の弟子待竪坑と門司方の小森江竪坑をほぼ直線で結んでいます。本線トンネルの排水路も兼ねており、海底の真ん中付近が一番高くなっています。
なお、このツアーでは、当、関門トンネル記念館も見学して頂けますので、その際に当時の写真をご覧頂けます。
たくさんの皆様のご参加をお待ちしております。
1.開催日時:2025年3月23日(日) 午前、午後の2回開催
2.集合場所・時間:門司港駅 改札口付近
午前の部8:30集合 午後の部12:10集合
3.参加費用:19,800円(お一人様あたり、大人・子供同額)
※安全上の理由により小学生未満のお子様はご参加頂けません
4.予約方法:インターネット予約(クレジットカード決済限定)にて発売
【終了しました。たくさんの皆様のご参加ありがとうございました】
次のJR九州トラベルデスクのホームページよりお申込みください。
(午前の部)https://coubic.com/jrkyushu-travel/4147167#pageContent
(午後の部)https://coubic.com/jrkyushu-travel/3633143#pageContent
2024年
11月になると、15日の関門トンネルの開業●●周年と20日の当関門トンネル記念館の開館●周年がやってきます。ちなみに今年は関門トンネルの第1線(現下り線)開業から82周年、関門トンネル記念館の開館から4周年です。
このような中、関門トンネルをアルミカート(保守作業用のカート)で関門トンネル(本坑)内部を往復走行し、途中豆トンネル(試掘坑道)を見学でき、さらに関門トンネル記念館も見学できるすごい体験ツアーが開催されます。募集人数は6名と少ないので、売り切れ必死です。
ツアーの概要は次のとおりで、11月11日(月)9:30から特設予約サイトより先着順での発売です。
1.開催日時:2024年12月7日(土)10:30~14:30
※アルミカートに乗車し、トンネル内をご案内する時間は約120分を予定しています。
2.集合場所・時間:門司駅 改札口付近 10:20集合
※受付終了後、徒歩(約10分)で関門トンネル記念館へご案内いたします。
3.募集人数:6名
※参加者が3名未満の場合、開催を中止させていただく場合がございます。
4.参加対象者:18歳以上
5.参加費用:65,000円(お一人様あたり)【終了しました】
6.予約方法:インターネット予約(クレジットカード決済限定)にて先着順
発売 https://coubic.com/jrkyushu-travel/booking_pages#pageContent
詳細はJR九州のホームページよりNewsReleaseをご覧ください。
8月8日、関門トンネルの上り線トンネルは1944(昭和19)年8月8日の開業から80年を迎えました。下り線トンネルから2年ほど後の開業ですが、当時は戦時中で、国内のエネルギーがひっ迫する中、筑豊産の石炭を本州に大量に輸送するという社会的要請があったため、完成を急ぎ、当初の計画より8カ月早く完成させています。労働力や資材がひっ迫していた中でその苦労は大変なものであったと思います。
上り線トンネルは、海底中央部付近の地質が悪い部分において、工事による下り線トンネルへの影響を避けるため、勾配を変更して下り線との離隔をとったため、下関方の勾配は22‰(水平距離1000mに対し垂直距離が22m変化する)、海底最深部から門司方には25‰の急勾配が約400m存在しています。下り線では下関方も門司方も20‰となっています。
重い貨物列車にとって関門トンネルの勾配はきついもので、国鉄時代のEF30電気機関車が牽引していたころは喘ぎあえぎゆっくりと登っていきましたが、最近のEH500はグイグイと力強く登っていきます。
5月20日に「2024年度関門トンネル防災訓練」が開催されました。この訓練は、1953年6月28日に北九州地区を襲った豪雨により、その雨水が関門トンネルに流入したためトンネルの半分(約1.8km)が水没し、完全復旧までに21日間を要す大規模な輸送障害となりました。このようなことを二度と発生させないよう、1954年にトンネルの坑口付近に、流入防止の様々な防災設備を設置し、毎年、梅雨時期前にこれら設備の取扱いの訓練を行っています。
(写真:九州鉄道記念館蔵)
新たに関門海峡を横断する下関北九州道路が橋梁で計画されています。
関門海峡を横断する鉄道についても、今から100年ほど前の大正時代に、①トンネル案だけでなく、②橋梁案、③フェリー連絡案の3つの案が検討されました。その結果、工事費が安価であり、また、当時の世界情勢から爆撃や砲撃を受ける可能性があることも考慮し、トンネル案に決定されました。フェリー案は速い潮流や海峡を航行する船舶が多いことにより不適当とされています。
当時の資料によると、橋梁案の場合、現在の関門橋付近に写真(イメージ)のような橋梁が架設され、山陽本線や鹿児島本線からの取付部のルートも大きく異なっています。写真はイギリス北部のエディンバラのフォース鉄道橋(複線、1890年完成、世界文化遺産)で、最大支間521m、桁下高さ46mですが、關門鉄道橋梁案ではこのフォース橋と同様のカンチレバー構造で、最大支間560m、桁下高さ61m、複々線と、さらに大きなものが検討されていました。
ただ、橋梁案だと太平洋戦争中の鉄不足で橋梁自体が完成していなかったかもしれませんし、完成していても攻撃を受け破壊されていたかもしれません。
写真は門司側の海底掘削の基地である小森江付近の工事用設備の様子です。やぐらは上り線の第二竪坑に設置されていたもののようです。竪坑の深さは地上から15mほどありました。海底から掘削された岩石や土砂は、このような竪坑からトロッコごと地上に搬出され、貨車に積みかえられ(一段高い位置からトロッコを横転させて貨車に積みかえ)、工事用臨時列車で、門司操車場(現 北九州貨物ターミナル)の工事現場に運搬し、海岸の埋め立てや造成に使用されました。(写真:九州鉄道記念館蔵)
2023年
関門トンネルは、11月15日で第1線(下り線)が開業して81年を迎えました。 昨年の80周年の時のようなイベントはありませんでしたが、今日も関門トンネルは九州と本州を鉄道でつなぐ重要な交通インフラとして、お客さまや貨物の移動を支えています。 81年前の開業のときは、海底(の下)を列車が走るということで、皆さまわくわくしてご利用されていました。中には「列車の窓越しに海中の様子が見える!」と思われていたお客さまもいらっしゃったようです(写真は開業前の10月11日に初めて走った臨時旅客列車の関門トンネル通過時の車内の様子)。しかし、今ではお客さまの日常生活に溶け込み、海底トンネルの通過を意識されている方は皆無ではないでしょうか。 お客さまが、安全に無意識のうちに関門トンネルを通過して頂けることがインフラを預かる我々の重要な使命であり、これからもトンネルをしっかりと守り、お客さまや貨物の移動を支えてまいります。(写真:九州鉄道記念館蔵)
再びシールド工法区間の話です。シールドマシンを使用して掘削後、その後方で鋼製のセグメント(環片)を取付け、前後のセグメントをインパクトレンチを使用してボルトで締め付けていきました。その後工程で、鋼製セグメントがシールドマシンの推進の反力をとるために使われたため、セグメント間の隙間が狭まりボルトが緩むため、写真の1.5mもある巨大なハンドレンチで締め直しがなされました。とても重そうです! (写真:九州鉄道記念館蔵)
殆どのトンネル(隧道)にはトンネルの名前などを刻んだ「扁額」と呼ばれる額が坑口の上部に取り付けられています。関門トンネルには下関側に1枚、門司側に2枚の扁額があります。下関側の1枚は、上下線間の上部に、「關門隧道」(着工決定時に鉄道大臣だった内田信也揮毫)が設置してあります。門司側には下り線の上部に「關門隧道」(揮毫者不明)、上り線坑口上部には、開通10周年を記念して設置した「道通天地」(開業時の鉄道大臣だった八田嘉明による揮毫)が設置してあります。門司側の扁額は1953年の水害後の防水対策工事で隠れ、外からは見えなくなってしまいました。 門司保線区には門司側の「關門隧道」の扁額の元となった揮毫もあるのですが、誰によるものなのか分かっていません。(写真:下り線門司側坑口上部の扁額)
1953(昭和28)年6月末に北部九州で甚大な被害を出した「昭和28年西日本水害」から70年が過ぎました。門司地区では6月28日の豪雨により、いたるところで土砂崩れが発生し、関門トンネルの近くを流れる川も上流部で土砂崩れにより堰き止められて氾濫し、下流に当たる関門トンネルが排水口のようになってしまい、トンネルは延長約3.6kmのうち約1.8km(上り線は約1.9km)が水没してしまいました。そして、この影響で20日間にわたり、九州と本州との間の鉄道輸送が途絶えてしまいました。 九州と本州を結ぶ大動脈である関門トンネルを二度と水没させないため、トンネルのアプローチ部の防水壁のかさ上げ、トンネル坑口等への鉄扉の設置、排水ポンプの増強などが行われました。そして翌1954年から、このような際の設備の取扱い方法を確認するために、梅雨前に毎年、駅、保線区、電力区、信号通信区が合同で関門トンネル防災訓練を実施しています。2023年は5月31日に行いました。 (写真:九州鉄道記念館蔵)
シールドマシンは、門司方の地上部の竪坑から搬入し、組み立てたのちに下関方に向けて工事が進められました。先端部で掘削ののちにシールドマシンの推進を行い、その後ろでセグメント(環片)をトンネル断面に沿ってリング状に設置していきました。軟弱な地盤からの漏水を防ぐため気圧を上げた空間で作業を行う圧気工法も併用し、関係者にとっては身体的にも大変な状況下での工事となりました。写真は推進が完了し、解体中のシールドマシンです。シールドマシンは外壁のみが残され、トンネルの一部となっており、現在も海底でしっかりと関門トンネルを守っています。なお、コンクリートで覆工されているので、この状況を見ることはできません。写真の奥には、下関側から普通工法で造られた区間が見えています。 (写真:九州鉄道記念館蔵)
シールドマシン(以下、「マシン」と言います。)の内部での掘削が進むと、マシン後端部に設置された24台(上り線用は22台)の油圧ジャッキを調整しながらマシンを推進していきました。そして後ろにできた隙間に、マシンの環片(セグメント)組立機で鋳鉄製(上り線の一部は鉄筋コンクリート製)の環片をトンネル断面に沿って、1断面12枚のセグメントをリング状に組み立てていきました【写真は環片を組立機で所定の位置に組み立てているところ】。セグメントのトンネル方向の幅は75cm(上り線は80cm)でした。(写真:九州鉄道記念館蔵)
関門トンネルはシールド工法を使ったトンネル工事では国内初の成功例です。円筒形をしたシールドマシンの外径は7.0m、最大長さは5.8mあります。現在のシールドマシンのように先端のカッターで地山を掘削していくのではなく、シールドマシンの中で作業員が人力で地山を掘削していくというものでした。シールドマシン自体は後端部のジャッキで押していきます。 関門トンネルでは、門司側の陸上部と海底部をまたいだ区間の地質状況が悪く、地下水が多い区間で、補助工法として圧気工法を併用しながら、下り線では725.8m、上り線では405.0mをこの工法で施工しています。 (写真:九州鉄道記念館蔵)
関門トンネル開業80周年のイベントでご参加頂いた皆さまに歩いて頂いた試掘坑道(通称「豆トンネル」)は1939(昭和14)年4月19日に貫通しました。最後の発破は、合図を東京の鉄道大臣から送られ行われました。当時の関門トンネルへの期待の高さが分かります。貫通点は、門司側の立坑から753m、下関側の立坑から569mの地点でした。この後、豆トンネルは本坑掘削前の地山へのセメント注入のヤードや本坑建設のための資材運搬の通路として大活躍し、トンネル開業後も、関門トンネル本坑の排水や、我々が保守を行うための通路として活躍しています。
ようやく新型コロナが落ち着きつつあり、社会も賑わいを取り戻しつつあります。嬉しいことです。ちょうど3年前に、開業77周年記念で門司駅の5・6番ホームに設置した「関門トンネル案内板」も、新型コロナが無ければ、鉄道の先輩方をお招きして盛大な序幕式を企画していましたが、中止せざるを得ず、2020年の3月27日に門司駅長と門司保線区長の2人で寂しく覆いを外しました。関門トンネル記念館と合わせてこちらにもお立ち寄りください。
この3月10日には北九州市の岩田門司区長が関門トンネル記念館を見学されました。お忙しい中ありがとうございました。世界中のトンネルの中でも有名な関門トンネルがある街としてどんどんPRしてください。
(当日の様子は、北九州市のホームページをご覧ください)
2022年
去る12月3日と4日に「関門鉄道トンネル開通80周年記念ツアー」が行われ、各日45名ずつのお客さまにご参加頂き、通常、トンネルの保守を行う社員などが使用する試掘坑道(通称:豆トンネル)を通って本坑内を見学頂きました【写真】。また、当関門トンネル記念館も見学頂き、さらに、構造物や電力設備の点検などで使用する高所作業車も体験して頂きました。お蔭さまで本ツアーは、ご参加頂いたお客さまからも大変ご好評を頂きました。ありがとうございました。 また、当ホームページのクチコミ欄へのコメントや写真の投稿もありがとうございます。 (写真提供:鉄道事業本部営業部)
※現在は、コメントや写真の投稿はできません
11月15日で関門トンネルは旅客列車の営業開始から80年となります(1942年当時は現在の下り線トンネルのみの単線での開業で、上り線は掘削工事中でした。)。 鉄道省のトンネル技術者の方々が、本トンネルが世界的にも海底トンネルの嚆矢ということもあり、その威信をかけ、シールド工法をはじめとした当時のトンネル掘削技術をフルに投入し、大変なご苦労の中でしっかりとしたトンネルを造られています。80年経過した今でも、ヒビからの漏水の対策は必要ですが、列車の安全運行に支障はありません。 この関門トンネルを、我々はこれからもしっかりと保守し後世に引き継いでまいります。 傘寿をお祝いしましょう! また、当館も11月20日で開館2周年を迎えました!(写真:九州鉄道記念館蔵)
今年は関門トンネル開業から80周年です。これを記念してJR九州では普段立ち入ることができない関門トンネルの本坑までご案内するツアーを企画しました。またこのツアーでは当関門トンネル記念館もご覧いただけます。是非ご参加下さい。
ツアー名:「特別公開!関門トンネル開通80周年記念」【新たな福岡の避密の旅適用】(18歳以上の方限定)
出発日:12/3(土)、12/4(日) (各日45名限定)
出発地:博多駅 詳細はJR九州のホームページをご覧ください。 (ツアー詳細) https://www.jrkyushu.co.jp/common/inc/news/newtopics/__icsFiles/afieldfile/2022/11/08/221108_kanmon80th_tours.pdf (ツアー予約サイト:JR九州ツアーデスク) https://coubic.com/jrkyushu-travel/526134#pageContent
※本ツアーは終了しました。多数の皆様のご参加ありがとうございました。
少し前になりますが、今回は5月27日に実施した防災訓練の話題です。 関門トンネルが開業して10年ほどたった1953(昭和28)年6月28日に北部九州を襲った豪雨により、門司駅周辺も浸水し、さらに関門トンネル坑口の山手の河川が氾濫し、濁流がトンネルに流れ込みました。その結果、関門トンネルは上下線とも約半分の1.8kmの区間が水没するという大きな被害を受けました。これに対し当時の国鉄職員の復旧に向けた献身的な努力により、7月14日に単線で開通、7月19日に完全復旧し、九州と本州を結ぶ大動脈が完全復活しました。 二度と関門トンネルを水没させないため、坑口付近の防水壁のかさ上げ、地上部と坑口部に防水扉を設置を行うなど浸水対策を強化し、また、揚水ポンプも強化しました。そして、毎年、梅雨時期前に、このような豪雨を想定し、保守を担当している門司保線区、小倉電力区、小倉信号通信区などが合同で、防水扉の閉扉・開扉、この際の電力設備や信号設備の取扱訓練を行っています。この訓練の際には関門トンネル記念館が本部として使われます。(写真は訓練でトンネル坑口の巨大な鉄扉を閉めているところ)
鉄道線路には「建築限界」という、列車運行の安全のため、これを侵して建造物を造ってはならないという空間があります。写真は、関門トンネル構造物完成時に建築限界が確保できているかを測定するために製作した建築限界の形状をしたパネルをトロに積んだものです。これをモータカーで牽引してトンネルの壁がこれに当たらないか確認しました。 現在では、高速軌道試験車(マヤ34)にレーザーで測定する機器を搭載し建築限界を測定し管理をしています。(写真:九州鉄道記念館蔵)
80年前の今日(6月11日)、関門トンネルの現在の下り線に初めて試運転列車が運転されました。1896(明治29)年、博多で開催の第5回全国商業会議所連合会で構想が発表され、その後、国内の経済状況により2度の着工延期があったものの、1936(昭和11)年に着工、複雑な地層でかつ海底ということもあり、難工事の連続でしたが、国民の皆様の支援、多くの鉄道技術者の献身的な努力により、構想から約半世紀、着工から約6年の歳月を経て完成しました。 そして、6月20日から臨時の取扱いとして貨物列車の営業運転を開始し、7月1日から貨物列車専用で開業します。旅客列車の営業開始については新たな下関駅の工事の進捗や夏に台風で被災することにより11月になります。(写真:九州鉄道記念館蔵)
写真の2つめがねの物体は何でしょうか? 実は関門トンネルの本体です。門司側の陸上部約200mの区間では、長さ約30mの鉄筋コンクリートの函体を地上で製作し、地面を掘削しながら沈めていく「潜函工法」と呼ばれる工法で施工しました。合わせて7つの函体(うち1つは下り線のみの1つめがね)を沈め、1942(昭和17)年3月27日に函体と函体の間の最後の隔壁を取り除いて、下り線が一本のトンネルとなりました(海底部は前年の7月10日に貫通していました)。 今年は関門トンネルの下り線開業から80年。傘寿を迎えます。お祝いしなきゃ!
関門トンネルの門司側の接続部の工事のため鹿児島本線の大里(だいり)駅は1942年4月1日に現在の門司駅の位置に移転しました。全国的にも「大里」より国際貿易港であった「門司」の方が著名であったため、「門司駅」と改称し、「大里駅」の名前は消えてしまいました。同時に初代「門司駅」は「門司港駅」と改称され現在に至っています。 写真は現在の門司駅の建設中の状況を、2002年頃まで使用していた8番のりばの小倉側から写したものです。左側(関門海峡側)奥にはのちにサッポロビールとなるサクラビールの工場が見えます。今年4月1日には門司駅は改称から80周年を迎えます。(写真:九州鉄道記念館蔵)
2021年
11月15日で関門トンネルは下り線の開業から79周年を迎えました。皆様、ご利用頂きありがとうございます。我々門司保線区の社員も日々トンネルの点検、補修を行い、皆さまに安心してご利用頂けるように努力しているところです。 さて、写真の中で、トンネルに帯のように巻いている白い物が何か分かりますか?これは、トンネルのコンクリート本体のヒビから染み出す水がレールに落ちないようにするための「漏水樋」です。染み出した水がレールに直接かかるとサビがひどくなりレールが折れる原因にもなるのでこのような対策を行っています。また、11月20日で当記念館もオープンから1周年です。皆様のご来訪をお待ちしております。
8月8日、関門トンネル上り線は1944(昭和19)年の開業から77年の「喜寿」を迎えました。 開業当初は、この2年前に開業した下り線トンネルの補修を行うため単線運転を行い、9月9日から上下線別線での複線運転が開始されました。 開業に向けた試運転の初列車運行後、工事を担当する下関地方施設部より東京の鉄道省本省に、「次男坊生レタリ、長男坊ヨリ出来ガヨシ」と報告されました。 新型コロナの影響もあり、長男坊(下り線トンネル)が喜寿を迎えた際のようにセレモニーができなかったことが残念ですが、これも次男坊の宿命でしょうか?
新型コロナの感染がやや落ち着いた2021年3月20日、門司駅主催の「JR九州ウォーキング」のコースに入り、初の一般公開となりました。当日は301名のお客さまにご来館頂きました。ありがとうございました。「いつ開館したの?」、「毎日開いているのか?」、「また仲間とじっくり見に来たい」などのお声を頂きました。ご予約の上、是非、またご来館下さい。