上永良町のホームページ
最終更新日 2025/9/6
上永良町のホームページを開設(2022/4/16)
上永良町のホームページ
最終更新日 2025/9/6
9/27東明会クリーン運動(町内一斉清掃)の実施について
9/28秋祭り集会のおしらせ(年行司)
10/18・19 令和7年度上永良町 祭礼のお知らせ
11/1 令和7年度上永良町自主防災訓練の実施について
可燃ごみの減量にご協力ください 毎日、資源物を出せます
スプレー缶は穴を開けずに出せます
令和7年度上永良町内会事業計画
子供会年間行事予定(案)のお知らせ 子供会
神明社等祭事日程のお知らせ 年行事
ハザードマップ
ゴミカレンダー
西尾市のホームページ
国指定 天然記念物 神明社の大シイ
しんめいしゃのおおしい
ブナ科の常緑高木で、別名スダジイともいう。神明社拝殿の正面にあり、県下最大のスダジイの老樹である。樹齢は約1,000年と伝えられ、根回りは20m。主幹は枯死してしまっているが、胸高囲1m前後の2本の枝幹と周囲に萌芽したひこばえが繁茂している。
上永良神明社 社殿 (2024/10/20祭礼 撮影)
社殿の瓦の紋章 三つ葉葵 十六弁一重表菊紋
国指定天然記念物1932年(昭和7年) 石碑は、指定当時の第40代文部大臣(犬養内閣)であった鳩山一郎の書によるものである。
上永良神明社と大椎(おおしい)の木
所在地 西尾市上永良町宮東1
祭神
・天照大神(あまてらすおおみかみ)
・誉田別尊(ほんだろけのみこと)
・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
この神社の建立は、貞観年中(859~77)と伝えられ、寛永2(1625)年本殿の再建には、秀吉と家康につかえのちに伊予国(愛媛県)松山の城主となった、加藤馬之助嘉明(よしあき)がこの地の出身とされるため特に力を注ぎました。
そして、嘉明は神職らに「加藤」の姓を与えたと言われ、境内には昭和初年に誕生地の石碑も建立されました。
また、境内の拝殿前には昭和7年、国の天然記念物に指定された「スタジイ」の木があり、樹高8メートル、根回り20メートルで、樹齢千年と推定される県下最大の古木です。
この大椎の主幹は枯死し、二本の枝幹と周囲に萌芽したひこばえが繁茂しています。
平成2年3月
郷社 神明社
神社の旧社格の一つ。1871年(明治4)太政官(だじょうかん)布告により社格制度が新たに定められた際、官社以外の神社を諸社といい、府社、藩社(はんしゃ)(廃藩後は府県社と改称)、県社、郷社、村社が定められた。郷社は府県社に次ぐ郷邑(きょうゆう)の産土神(うぶすながみ)で、村社よりも崇敬範囲が広く、一地方にわたって崇敬される中心的神社をあてた。
加藤嘉明 生誕地
賤ヶ岳七本槍のひとりとして知られる加藤嘉明は、現在の愛知県西尾市上永良町の出身といわれています。
神明社の中にある、愛知県が建てた加藤嘉明生誕地の石碑。嘉明は上永良村の出身ということで寛永二年(1625)に神明社の本殿を再建したと伝えられています。
ちなみに嘉明の生誕地については、現在の愛知県西尾市上永良町(かつての三河国幡豆郡永良郷)といわれており、この神明社がある場所で生まれたという訳ではありません。
またこの石碑もかつては同じ上永良町の別の場所にあったそうです。
永良郷学校跡の石碑 (明治六年)
大日如来本堂外観
大日如来本堂の内部
バクチノキ(博打の木)
大坂の適塾の緒方洪庵に入門して蘭方医学を学んだ加藤宗竜(1841~1873)が自家の裏へ植栽したものとみられる。
市内では上永良町神明社、下永良町一ノ宮社境内に植えられている。
一名ビランジュとも称し、葉は鎮咳剤として用いられた。バラ科の常緑高木で、常に灰褐色の樹皮がはがれているため、ばくちに負けて丸裸にされる様子に例えて名がついたという。
寛永神楽保存会(神楽会)
※新型コロナの感染防止のため、令和2年から令和4年の3年間は神楽の奉納を中止ました。
寛永(かんえい)神楽(かぐら)といわれています。
寛永年間の神明社本殿の再建(1625年)から始まったとすれば、400年近くとなります。
秋祭りの神社奉納の神楽と巫女(みこ)の踊りです。
昭和34年に東海地方を襲った伊勢湾台風によって、町内各地も被害を受け神楽会も中断してしまいましたが、昭和52年にこのままでは伝承者も高齢化して、神楽も忘れられてしまうと、18年ぶりに復活したのが、現在の上永良町神楽会です。
横笛・大胴(おおどう)・小(こ)ジメを十数名の大人の男性が担当し、巫女の踊りを小学生の女子が3名づつ交代し、楽曲は全部で7曲あります。
例祭は10月16日前後の日曜日を本祭りとして夕方から1時間30分程度、土曜日は前夜祭で1時間30分程度の神楽の奉納が行われます。