The Kaiju Mirai Project
かいじゅう未来計画
〜アート・ひと・まち in 大和桜井〜
1 かいじゅう未来計画とは
かいじゅう未来計画は、奈良県桜井市戒重(かいじゅう)地区の町家を拠点に、地域にゆかりのあるアーティストらが運営します。展覧会活動を通して、地域に付随する言い伝えや高齢の方々から得た記憶を共に伝え、過去の歴史を俯瞰し、現在を愉しみ、未来を創造します。
1-1 展覧会企画
国内や海外から新進気鋭のアーティストを招集し、現代アートや文化イベントを行います。多様な価値を提示しながら、グローバル化の時代における文化芸術の創造と発展を目指します。
1-2 アーティスト支援
かいじゅう未来計画は、アーティストに空き町家をアトリエとして提供することにより、建物の老朽化を防ぐとともに、アーティストの制作支援を行います。この活動により、地域にアーティストが集まり、街が芸術に溢れてゆくことを願います。
フィンランド のアーティストから届いた作品の展示準備
インドから来日したアーティストによる展示準備風景
奈良女子大学インターン性による改築案
個展に向けた制作
1-3 まちづくり
戒重は、歴史的に重要な地区であるにも関わらず、ここ数年の間にも文化財的価値を有する町家や古民家が急速に姿を消しつつあります。その背景には、小子高齢化や生活環境の変化に伴う過疎化、地域コミュニティの消失などがあります。これらの問題に対して、地元の人たちとの世代を超えた交流を行い状況を把握しながら解決に取り組みます。
2 戒重(かいじゅう)の歴史
「かいじゅう未来計画」の拠点となる町家(元寿司屋)は、「竹内街道・横大路(旧伊勢街道)」という 1400年前に開通した日本最古の官道に面しています。この街道は、大阪の難波から奈良の飛鳥までを一直線に繋ぎ、聖徳太子が遣隋使を派遣する際に通ったとも云われ、2017年には日本遺産に認定されました。
戒重の歴史は飛鳥時代にまで遡り、日本書記にも敏達天皇(第30代天皇)が訳語田幸玉宮(オサダサチタマノミヤ)を築いたのがこの地であったと記されます。
南北朝時代には、三輪西阿(戒重西阿)が戒重城を建て堀が三重にも築かれました。戦国時代以降、織田長政(信長の弟)が戒重陣屋を整備し城下町として繁栄を極めました。その後も、さらにお伊勢参りの放浪者を迎える宿屋や商店が軒を並べ、旧伊勢街道として発展していきました。
明治時代に入り国鉄桜井駅(明治26年)が開通すると、町全体がさらに活気に満ち溢れ、酒造屋や油屋、豆腐屋、呉服屋、和菓子屋や八百屋などが建ち並び、多くの人で賑わいました。
第二次世界大戦で商店街は戦火に見舞われるも、人々の力によって完全に復興し、つい30年ほど前まで営業が続けられていました。現在は、ほとんどの商店が住居や空き家となり、町はひっそりとしています。しかし、長く深い歴史の面影は、今も私たちの日常の中に息づいています。