少年法適用の上限となる年齢を引き下げるための法改正を行うことに反対する刑事法研究者の声明

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少年法適用の上限となる年齢を引き下げるための法改正を行うことに反対する刑事法研究者の声明

2018年11月16日


現在、法制審議会少年法・刑事法(少年年齢・犯罪者処遇関係)部会(以下「部会」)において少年法適用年齢の上限となる年齢を引き下げる立法措置の是非につき審議が行われている。2018年7月26日に開催された部会第8回会議において「分科会における検討結果 (考えられる制度・施策の概要案)」(以下「分科会検討結果」)が示されるなど、部会の検討も具体化してきていることから、遠からず、審議が大詰めを迎えることが予想される。

私たち刑事法研究者は、2015年8月1日、18歳および19歳の年長少年による事件を含め、少年事件は増加も凶悪化もしていないこと、少年司法制度はこれまで有効に機能しており、少年法適用の上限となる年齢を18歳未満へと引き下げることは、更生の支援や再犯の防止という観点から深刻な問題を招くおそれがあること、18歳および19歳の者は類型的にみて、なおも成長発達の途上にある存在であるから、精神的成熟度の点からみて、「成人」として刑事責任を問うことを法制度における原則とすべきではないこと、歴史的事実にも国際的潮流に合致しないことなどを指摘し、少年法適用年齢の上限となる年齢を引き下げることに強く反対する声明を発表した(「少年法適用対象年齢の引下げに反対する刑事法研究者の声明」(2015年8月1日)[https://sites.google.com/site/ juvenilelaw2015/])。その後、部会において審議が開始されたが、前の「声明」において指摘した事柄は、現在もなお、変わらず妥当するものと考える。

これまでの部会の審議においては、少年司法制度が有効に機能してきたとの認識を前提として、かりに少年法適用年齢の上限となる年齢を18歳に引き下げたとしたとき、18歳および19歳の新たな「成人」について、少年司法制度に代替しうるような、刑事政策の観点から有効に機能する制度を構築することができるかが検討されてきた。現在、部会において構想されている少年法適用年齢の上限を引き下げた場合の措置は、現在の少年司法制度に代替しうるものとは到底なっておらず、刑事政策として大きな問題をはらんでいる。ゆえに、私たちは、部会に対し慎重な審議を求めるとともに、少年法適用年齢の上限となる年齢を引き下げることにあらためて強く反対するものである。

なお、部会においては、「少年法における少年の年齢」の問題とともに、「犯罪者処遇を充実させるための刑事法の整備」についても審議がなされている。「犯罪者処遇を充実させるための刑事法の整備」は、施設内処遇や社会内処遇の制度の根幹を変える構想を含んでおり、これまでの刑事政策のあり方を大きく変える可能性が高い。しかし、本声明は、情勢が緊迫していることに鑑み、少年法適用の上限となる年齢の引下げに限定して、問題点を指摘することとする。


1 部会では現在まで少年法適用年齢の上限の引下げに関して十分な審議が行われていない

部会は、2017年2月9日の法制審議会総会第178回会議において設置されて以降、2018年10月末日までに、合計10回の会議を開いてきた。また、2017年9月からは3つの分科会に分かれて、各々9回または10回の会議を重ねている。しかし、少年法適用の上限となる年齢の引下げが正面から取り上げられ、審議されたことは、これまで一度もない。

前提として確認が必要なのは、少年法適用の上限となる年齢の引下げ問題に関する部会の認識である。「現行少年法の下で18歳、19歳の年長少年に対して行われている手続や保護処分が有効に機能していないので、少年法の適用年齢を下げることを検討しようとするものではないのだということについては、意見の一致があ」り、「現行法の下での年長少年に対する手続や処遇の有効性という観点からは、少年法の適用年齢を引き下げる必要性はない」ことが部会の審議で確認されている(部会第4回会議議事録29-30頁)。そうすると、本来部会の中心的な課題となるべきは、果たして少年法上の「成人」年齢は他の法領域において「おとな」とされる年齢と同じでなければならないのかという問題であるはずである。それにもかかわらず、2018年10月末日現在、部会においてこれまでにこの問題が正面から取り上げられ、検討されたことはない。

かつて、「青年層」を設置することを1つの柱とした法務省の「少年法改正要綱」(1970年)をめぐっては、法制審議会少年法部会が合計70回の会議を重ねた。また、部会の議論の前提ともなっている、2016年12月に公表された「『若年者に対する刑事法制のあり方に関する勉強会』取りまとめ報告書」は、少年法適用年齢の引下げにつき両論を併記していた。これは、当該勉強会が実施したヒアリングにおいて脳科学や社会学、法学などの専門家から少年法適用年齢の引下げに反対し、あるいは慎重な検討を求める意見が表明されたことを反映している。このことにも示されているように、少年法適用の上限となる年齢の引下げの問題は、事柄の本質において、刑事政策のみならず青少年政策上も極めて重大な問題であり、関係する専門的知見を十分に踏まえて、多角的かつ慎重に検討を進めるべき問題である。部会において、拙速な審議によりこの問題に決着をつけることは、厳に避けるべきである。

今般、部会の設置にあたり、「少年法における少年の年齢」の問題を含む諮問103号が法務大臣から発された2017年2月9日の法制審議会の場においても、複数の委員から部会における慎重な審議を求める要望が出されていたことを想起すべきである。すなわち、「少年法の目的や性格から考えても、単に選挙権等の年齢と合わせれば分かりやすいといったものではない」、「刑事法制の在り方全体の議論、検証ということになりますと、相当な量や年月を有する取組になると思いますが、そういう深い議論が成果を上げればよりよいことになるとも思いますので…年齢引下げありきではない丁寧な透明性を持った検討を進めてほしい」、「少年法における『少年』の年齢を引き下げることについて検討する際は、単に公職選挙法や民法に連動させるということではなく、少年法の立法趣旨等に照らして個別に検討することが重要だ」、「引下げの必要性を根拠付ける現行法の課題について明らかにするとともに、引下げによる効果だけでなく、懸念点等についても十分に議論する必要がある」、「引下げありきの議論ではないのだということも、それを今後の議論の中でも十分勘案して、丁寧な慎重な議論をしていただきたい」などの要望である(法制審議会第178回会議議事録11-13頁を参照)。部会は、このような慎重な審議を求める声に誠実に応えるべきである。


2 少年法適用年齢の上限の引下げには積極的な根拠が必要である

さらに留意すべきは、この間、成年年齢を20歳から18歳に引き下げた民法改正をめぐる国会審議においても、民法上の成年年齢は単独でさまざまな取引行為ができ、親権に服さなくなる年齢であって、その引下げは少年法上の成人年齢の引下げを必然的に帰結するものではないということが確認されている点である。民法改正をめぐる国会審議においては、そもそも今般の民法上の成年年齢の引下げの趣旨につき、「18歳、19歳の者を独立の経済主体として位置づけ、経済取引の面で、いわば一人前の大人として扱うということを意味するもの」と説明されている(第196回国会衆議院法務委員会議録第11号(2018年5月11日)1頁[上川陽子法務大臣説明])。また、「若者の積極的な社会参加、これを促し、社会を活力あるものにするとともに、18歳、19歳の若者が自らの判断によって自らの人生を選択することができる環境を整備するもの」であり(同国会参議院法務委員会会議録第16号(2018年6月12日)7頁[上川陽子法務大臣説明])、「今回の法案におきましては、成年年齢の引下げをすることによって18歳で一人前の大人として扱うこととしておりますが、これは、18歳、19歳の若年者が大人として完成されたことを意味するのではなく、いまだ成長の過程にあるものと考えております」との認識も示されている(同国会衆議院法務委員会議録第16号 (2018年5月25日16頁[上川陽子法務大臣説明]。同10頁[小野瀬厚政府参考人]も同趣旨。同国会参議院法務委員会会議録第13号(2018年5月31日)7頁[上川陽子法務大臣説明]にも同様の発言がある)。「18歳、19歳の若年者は引き続き支援が必要な存在であり、社会全体として支えていかなければならないという視点が重要である」ことが併せて繰り返し述べられていることからも明らかなように、経済取引の面で「一人前の大人」として扱うことが、他の法領域で支援や保護が必要な存在として扱うことを必然的に帰結するわけではない。未成年者飲酒禁止法が飲酒を禁止する年齢を引き下げることなく依然として20歳未満の者としているのも、健康被害防止と非行防止という趣旨によるものであって、「法律行為を単独で行うことができる民法の成年年齢の定めとはその趣旨を異にして」いると説明されている(第196回国会参議院法務委員会会議録第13号(2018年5月31日)15頁[小田部耕治政府参考人説明])。さらに、民法改正をめぐる国会審議において、複数の参考人から、「これほどうまくいっている少年法の機能を下げる必要はないのではないか」、「少年法と民法の年齢の引下げというのは、全く問題の性質が異なるものだ」、「少年法は…社会からドロップアウトしてしまった若者をどうやって社会が受け入れるか、その問題を議論するべき問題であるのに対して、民法の成年年齢というのは、むしろ、自立をしたいと思っているような独立心あふれる若者にどこまで自由を認めるかという問題だ」、「18歳に下げて大人と同じような罰則を与えることと、現在のような教育的な力を使って若者たちの自立更生を促すか、どちらの方が効果が上がっているかということからすると、日本の少年法というのは極めてすぐれたものだ…そういう意味では、18歳ではなく現在と同じでよろしいのではないか」との意見が述べられている(同国会衆議院法務委委員会議録第12号(2018年5月15日)14頁[山下純司参考人、宮本みち子参考人、広井多鶴子参考人発言])。

法務大臣から法制審議会に対し諮問103号が発され、部会が設置された際、民法改正案は未だ国会に提出されておらず、上記のような認識が公式に示されてはいなかった。民法上の成年年齢と少年法上の成人年齢と一致させる必要はないということが公式の場において確認されたのは部会設置後のことであり、部会設置後に生じた新たな事情ということになる。民法上の成年年齢の引下げは少年法上の成人年齢の引下げを必然的に帰結するものでないとの説明が国会において公式に行われた以上、なぜ両者を一致させる形で少年法適用年齢が引き下げられなければならないのか、その必要性と許容性を明示する形で立法措置としての合理性がより一層積極的に示されなければならない。

3 部会において構想されている「若年者に対する新たな処分」は、現行制度の代替にはなりえない

現在の少年司法制度と同等以上に有効な刑事政策措置をとることができるのであれば、少年法適用の上限となる年齢を引き下げることも許されるということになるかもしれない。しかし、部会が示した構想をみたとき、そのような有効な措置を期待することはできない。

「分科会検討結果」を総合してみてみれば、少年法適用の上限となる年齢を引き下げた場合、18歳および19歳の者は、成人の場合と同じく刑事手続により扱われることになる。確かに、部会においては、検察官が事件を起訴し裁判所が有罪を認定した後に科される処分について、18歳および19歳の者に限定しない形で、刑の全部執行猶予制度や自由刑、社会内処遇、罰金の保護観察付き執行猶予のあり方などを改めることが検討されている。また、刑事施設における若年受刑者の処遇のあり方も検討されている。刑事処分のあり方をこれまでよりも柔軟なものにしようとする指向を見て取ることもできる。しかし、これらの措置は、果たして実務においてどれだけ活用されるのか、刑事政策上の実効性をどれだけ有しているのか、明らかとはなっていない。何より、これらの措置をとったとしても、不利益処分としての本質を有する刑罰であることに変わりはなく、個々人の成長発達をうながし支援することによって少年の健全な育成を図ろうとする保護処分とは、目的においても内容においても、本質的に異なっている。

事件が原則として成人の事件と同様に扱われることになるということは、18歳および19歳の者の事件は刑事手続に付されることになるため、犯罪の嫌疑がある場合でも検察官が裁量に基づき起訴しないことができるということにもなる。すでに指摘があるように(前記「少年法適用対象年齢の引下げに反対する刑事法研究者の声明」)、18歳および19歳の者による事件の多くは犯罪の結果が軽微であることから、その多くは起訴猶予となり、非行の背後にある問題に何ら手当もされないままに済まされることが危惧される。

こうした懸念もあってか、「分科会検討結果」は、「若年者に対する新たな処分」を構想している。これは、訴追を必要としないため公訴を提起しないこととされた事件を家庭裁判所が扱うようにし、事件が家庭裁判所に係属した後は、これまで通りに家庭裁判所調査官による社会調査と家庭裁判所の審判を行い、保護処分に類似した「新たな処分」を課すことができるようにしようとするものである。この構想においては、犯罪の嫌疑がありながら起訴を見合わせる起訴猶予相当の事案が、「新たな処分」の中心的な対象になると目される。

しかし、この「新たな処分」には重大な問題がある。まず、この構想からすれば、教育のための手段であるとはいえ施設内で身体拘束を行う少年院に相当する施設への送致を「新たな処分」の中に含めることはできないはずである。というのも、部会における議論のそもそもの出発点は、親権が及ばない民法上の「成年」を少年法上の「少年」として扱うことは許されない、ということにあるからである。現在の制度のように、捜査機関は犯罪の嫌疑がある以上すべて事件を家庭裁判所に送致しなければならないものとするのではなく、検察官による起訴・不起訴の判断を先行して行い、起訴猶予の判断を経た上で事件を家庭裁判所が扱うこととしているのは、そのためである。民法上の「成年」を少年法上の「少年」とはできないというのであれば、新たに「成人」とされる18歳および19歳の者の犯罪の法的取扱いにおいては、犯罪行為に対する責任を超えるような国家の介入は許されないという行為責任主義が当然に妥当することになる。

また、調査段階において心身の鑑別のために少年鑑別所に送致することもできないことになるはずである。実務上、起訴猶予の判断にあたり検察官がさまざまな事項を考慮していることはよく知られている。しかし、犯罪の重さが主要な考慮要素となっていることは間違いないところである。起訴猶予が相当とされた比較的軽微な事件について鑑別所送致を決定することは、釣り合いのとれた重大な事件についてのみ身体拘束を伴う処分が許容されうるという比例原則に反するというべきである。

さらに、新たに成人とされる18歳および19歳の者の刑事事件について、家庭裁判所の非形式的な非公開の手続を通じて犯罪事実を認定し、処分を決定することには、憲法が要請する適正な手続の保障という観点から重大な疑義がある。家庭裁判所調査官の社会調査や少年鑑別所への送致が、もし家庭裁判所による犯罪事実の認定の前に行われるとすれば、無罪推定の法理との抵触という問題も生じる。

事件が軽微であるかどうかにかかわりなく、検察官の広範な訴追裁量を用いて、執行猶予や実刑が相当の事案であっても起訴せず、家庭裁判所に送るという制度設計もありうる。しかし、この場合における「新たな処分」は実質的には保安処分であると考えざるをえない。民法上の「成年」を少年法上の「少年」として扱うことが許されないという前提に立つ以上、少年法の理念が及ばないこととなると考えるのが自然である。そうである以上、「新たな処分」においては、本人の成長発達を促すための働きかけに限定されることなく、再犯を防止するための措置がとられることになろう。一方において行為責任主義に服すことなく、他方において少年法の理念からも外れるのであれば、「新たな処分」は手段を問わずに将来の危険性に対処するという保安処分としての本質を有するものといわざるをえない。

そして、訴追裁量がどのように行使されるかにかかわらず、「新たな処分」をめぐる部会の構想は、検察官が家庭裁判所への事件送致に先立ち起訴・不起訴を決定し、それによって「新しい処分による保護」の対象となる者とそうでない者とを選別することになる点において、現行少年司法制度が全件送致主義と家庭裁判所中心主義に立って、すべての非行少年について要保護性を科学的に調査し、要保護性に応じて保護処分の決定を行い、もってその「健全な育成」を実現しようとしてきたことからは決定的な後退となる。

そもそも、民法上の「成年」を少年法上の「少年」として扱うことは許されないということを前提とするのであれば、なぜ18歳および19歳の者だけが家庭裁判所調査官による社会調査や少年鑑別所での鑑別を受けなければならないのか、適用対象が将来20歳以上にまで拡大するおそれはないか、いかなる基準と原理に基づいて処分選択を行うのか、従来通り「要保護性」に基づく選択を行うとするならば、なぜ家庭裁判所に事件が係属した後に突如として「要保護性」に基づく処分選択が可能になるのか、という疑問も生じる。

「新たな処分」の内容を社会内処遇である保護観察に限定したとしても、問題は解決しない。保護観察も対象者の自由を制約するものであることに加え、この場合、家庭裁判所における調査と審判は事実上保護観察を課すか否かを判断するものとなり、教育的働きかけのプロセスではなく、すでに決まった結論へと向かう形式的なものになってしまう可能性が高い。現在非行少年に対する家庭裁判所の調査と審判が有している教育的な働きかけは失われるのである。

以上のように、18歳および19歳の者を「成人」とすることを前提として、検察官が起訴猶予相当と判断した事件を家庭裁判所に送致し、その調査と審判を経て、保護処分に類似した「新たな処分」を課すことを認めるという構想は、行為責任主義や比例原則の観点からも、適正手続、無罪推定の観点からも、重大な問題をはらんでおり、また、これら刑事法の原理・原則に従おうとする限り、18歳および19歳の者の「要保護性」を科学的に調査し、「要保護性」に応じた教育的な処遇を決定する制度としての有効性には、決定的な限界が存する。さらに、検察官が起訴猶予相当と判断することなく、刑事裁判所に起訴した事件については、「要保護性」の科学的調査とそれに応じた教育的な処遇を受ける機会が失われることになる。こうして、刑事政策上、深刻な問題が生じることとなる。18歳および19歳の者について、「要保護性」の科学的調査とそれに応じた教育的な処遇こそが求められるというのであれば、少年法適用年齢の上限となる年齢を引き下げることなく、現行制度を維持し、家庭裁判所に全事件を送致したうえで、その調査と審判に付し、保護処分の対象とすべきである。少年司法制度こそが刑事政策上有効であることは、これまでの実績が示すとおりであり、そのことについては、意見の一致があるのである。


4 民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、とすることの誤り

結局、部会で検討されている「若年者に対する新たな処分」は、いずれにしても、現在の少年司法制度と同等以上に有効な刑事政策措置とはなりえない。この隘路は、民法上親権者の監護が及ばない「成年」を少年法上の「少年」として扱うことは許されないという前提に部会が立っていることから生じている。

そもそも、民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、との前提自体に重大な疑問がある。たしかに、少年司法制度が創設されて間がない時期に、この新たな制度を正当化するために「監護能力に欠ける親に代わって国が少年を保護する」とする「国親思想(parens patriae)」が援用されたことは事実である。しかし、「国親思想」は、新たに創設された少年裁判所ないし家庭裁判所が、刑事手続において要求される適正な手続を保障することなく、「非行」の事実を認定し、少年の自由を奪う施設収容の処分を決定することを正当化するために援用されたにすぎない。実際には、刑事手続や刑事施設において少年を成人と等しく扱うことの苛酷さへの反省とともに、少年の精神的な未成熟さのゆえに、犯罪行為について成人としての刑事責任を問うことができないこと、少年の人格的可塑性の高さや少年の犯罪に対する社会環境の影響の大きさからして、刑罰ではなく、科学的な調査に基づき決定された教育的な処遇を施した方が、その更生や再犯の防止にとって有効であることなど、さまざまな事実が総合的に考慮され、少年司法制度の創設を導いたのである。また、近時は、「児童の権利に関する条約」に象徴される子どもの権利思想の国際的発展のなかで、少年の成長発達する権利の保障という観点から少年司法制度を基礎づける立場も有力となっている。民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、との考えは、少年司法制度の形成および発展の歴史からみて正しいとはいえない。

現行少年法が少年法適用年齢の上限となる年齢を旧少年法下の18歳から20歳へと引き上げ、18歳および19歳の者を家庭裁判所の調査・審判および保護処分の対象としたのも、「20歳未満の者であれば民法上『未成年者』とされ親権者の監護に服するがゆえに、少年法上も『少年』とするに相応しい」などと考えられたからではない。より実質的に、これらの年長「少年」については、その精神的な成熟度からみて「成人」としての刑事責任を問うことはできず、また、「要保護性」の科学的調査とそれに応じた保護処分によって「健全な育成」を実現することこそ、刑事政策上も有効であると考えられたからなのである。

もしかりに、民法上の「成人」を少年法上「少年」として保護処分の対象とすることは社会の納得をえられない、というのであれば、18歳および19歳の「少年」について、少年司法制度がこれまで有効に機能してきたという事実などを社会に対して示すことによって、その納得をえるための努力をすべきである。そうすることによってこそ、少年司法制度への社会の信頼が形成され強化されるであろう。民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、との理由をもって少年法適用年齢の上限となる年齢を引き下げるための法改正を正当化することはできないのである。

以上

呼びかけ人(*は事務局)

赤池一将(龍谷大学教授)

石塚伸一(龍谷大学教授)

内田博文(九州大学名誉教授)

大出良知(九州大学・東京経済大学名誉教授)

岡田行雄(熊本大学教授)

川崎英明(関西学院大学教授)

*葛野尋之(一橋大学教授)

斉藤豊治(甲南大学名誉教授)

佐々木光明(神戸学院大学教授)

白取祐司(神奈川大学教授)

*武内謙治(九州大学教授)

土井政和(九州大学名誉教授)

中川孝博(國學院大學教授)

新倉修(青山学院大学名誉教授)

渕野貴生(立命館大学教授)

服部朗(愛知学院大学教授)

平川宗信(名古屋大学名誉教授)

*本庄武(一橋大学教授)

正木祐史(静岡大学教授)

前田忠弘(甲南大学教授)

前野育三(関西学院大学名誉教授)

松宮孝明(立命館大学教授)

丸山雅夫(南山大学教授)

三島聡(大阪市立大学教授)

村井敏邦(一橋大学・龍谷大学名誉教授)

山口直也(立命館大学教授)

山﨑俊恵(広島修道大学准教授)

横山実(國學院大學名誉教授)


賛同者

愛知正博(中京大学教授)

浅田和茂(大阪市立大学名誉教授)

雨宮敬博(宮崎産業経営大学准教授)

甘利航司(國學院大學教授)

飯野海彦(北海学園大学教授)

生田勝義(立命館大学名誉教授)

石田倫識(愛知学院大学教授)

一原亜貴子(岡山大学教授)

伊藤睦(京都女子大学教授)

稲田朗子(高知大学准教授)

井上宜裕(九州大学教授)

指宿信(成城大学教授)

上田寛(立命館大学名誉教授)

上田信太郎(北海道大学教授)

上野正雄(明治大学教授)

内山真由美(佐賀大学准教授)

内山安夫(東海大学教授)

大貝葵(金沢大学准教授)

大場史朗(大阪経済法科大学准教授)

大藪志保子(久留米大学准教授)

岡本洋一(熊本大学准教授)

春日勉(神戸学院大学教授)

加藤佐千夫(中京大学名誉教授)

金澤真理(大阪市立大学教授)

嘉門優(立命館大学教授)

金尚均(龍谷大学教授)

楠本孝(三重短期大学教授)

公文孝佳(神奈川大学教授)

黒川亨子(宇都宮大学准教授)

小浦美保(岡山大学准教授)

古川原明子(龍谷大学准教授)

小関慶太(八洲学園大学専任講師)

後藤昭(青山学院大学教授)

小山雅亀(西南学院大学教授)

斎藤司(龍谷大学教授)

酒井安行(青山学院大学教授)

佐川友佳子(関西大学教授)

櫻庭総(山口大学准教授)

笹倉香奈(甲南大学教授)

佐藤美樹(金沢大学教授)

佐藤元治(岡山理科大学准教授)

澁谷洋平(熊本大学准教授)

白井諭(岡山商科大学准教授)

新屋達之(福岡大学教授)

鈴木博康(九州国際大学教授)

陶山二郎(茨城大学准教授)

関哲夫(國學院大学教授)

関口和徳(愛媛大学准教授)

高内寿夫(國學院大學教授)

高倉新喜(山形大学教授)

高田昭正(立命館大学教授)

高橋有紀(福島大学准教授)

高平奇恵(東京経済大学准教授)

田口敬也(早稲田大学社会安全政策研究所招聘研究員)

田淵浩二(九州大学教授)

寺中誠(東京経済大学非常勤講師)

土井和重(北九州市立大学准教授)

徳永元(大阪市立大学准教授)

徳永光(獨協大学教授)

友田博之(立正大学准教授)

豊崎七絵(九州大学教授)

内藤大海(熊本大学准教授)

永井善之(金沢大学教授)

中島洋樹(関西大学教授)

中島宏(鹿児島大学教授)

永田憲史(関西大学教授)

中野正剛(沖縄国際大学教授)

中村悠人(東京経済大学准教授)

新村繁文(福島大学特任教授)

朴元奎(北九州市立大学名誉教授)

玄守道(龍谷大学教授)

平井佐和子(西南学院大学教授)

平田元(熊本大学教授)

福井厚(京都女子大学名誉教授)

福島至(龍谷大学教授)

福田雅章(一橋大学名誉教授)

福永俊輔(西南学院大学准教授)

保条成宏(福岡教育大学名誉教授・中京大学教授)

本田稔(立命館大学教授)

前田朗(東京造形大学教授)

松倉治代(大阪市立大学准教授)

松原英世(愛媛大学教授)

松本英俊(駒澤大学教授)

丸山泰弘(立正大学准教授)

水谷規男(大阪大学教授)

水野陽一(北九州市立大学准教授)

緑大輔(一橋大学准教授)

三宅孝之(島根大学名誉教授)

宮本弘典(関東学院大学教授)

村岡啓一(白鷗大学教授)

村田和宏(立正大学准教授)

森尾亮(久留米大学教授)

森川恭剛(琉球大学教授)

森久智江(立命館大学教授)

安田恵美(國學院大学准教授)

吉弘光男(久留米大学教授)

吉村真性(九州国際大学教授)

ほか、氏名非公表賛同者6名

(2018年11月21日現在、呼びかけ人28人、賛同者103人、合計131人)