8月1日=アブの月の9日

「今の時代の残りの者の集い」

昨年2016年8月14日、私たちは「戦後70年、荒野で叫ぶ者の声」と銘打って信者の罪の悔い改めの聖会を開催しました。この聖会では、戦後70年の節目に、我が国のキリスト教史を振り返り、非常に重要な提言と宣言がなされました。すなわち、戦前戦中の国家の罪と信者の罪を明確に切り分け、我々キリスト者が、神ならぬものに膝を屈してしまった後者の罪を、真っすぐに見つめ悔い改めたのです。暗黒の影が色濃く忍び寄るあの時代、過酷な運命と暴風の只中を通過せられる時も、それは神の不在の証明ではなく、いや、むしろ、困難の只中にあっても圧倒的な勝利者として、福音の力の証しする証人として立つよう招かれていた、我々への召命だったのです。我々は、あの時代の特別な招きに応じることができなかったのです。この福音的視点から私たち信者の罪を直視することが、この戦後の70年間なおざりにされ、代わりに我々キリスト者の失敗が、国家や時流に転嫁され、被害者意識の中に信者の責任が埋没していたように思えてなりません。そこで昨年、私たちはそこに光を当て、戦後の重大な見過ごしに決着をつけたのです。奇しくも昨年の8月14日は、ユダヤ人たちが毎年悔い改めの日として定めるユダヤ暦のアブの月の9日と、意図せずピタリと重なり、同時にこれは、バビロン捕囚期を思わせる、戦後の70年期の最後の日だったのです。そこに不思議な摂理を認めずにはおれません。確かにこれは、我が国の戦後のキリスト教史に小さからぬ一里塚を刻んだものと信じます。

昨年は時間と予算と人員に制限があり、必ずしも十分に周知できたとは言えませんでした。そこで今年は、これをさらに周知、共有、銘記するため、同会を8月1日=アブの月の9日に開催いたします。

宗教改革者らが、命を賭して真理のために立ち上がり、聖書信仰を回復した年から500年目を数える記念の今年、私たちもまた現代の宗教改革者、今の時代の残りの者として、神の武具を取り、真理の帯を腰に締め、移ろいゆく世に抗い、神のことばを宣言して共に立ち上がろうではありませんか。