霊喜山地福寺
宗派:浄土真宗本願寺派
本尊:阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
教義:阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。(浄土真宗の教章より)
生活:親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来の み心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。(浄土真宗の教章より)
宗門:この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。(浄土真宗の教章より)
地福寺は1510(永世7)年に備中国小田郡東大戸(現在の笠岡市東大戸)に高橋惣右衛門によって開基されました。
東大戸に建立された寺院は火災により堂宇焼失。新しく本堂が現在の地に建立されました。(第6世・了雲住職1750年のころと思われるが、明確な記録がないので推測。)
第7世住職了海の時に浄土真宗本願寺派に所属している。「木像寺号が1776年に本行寺殿光照寺より下付」の記録があります。なお2017年の本堂新築時のご本尊遷仏にあたり、右足下駄の外側に「康雲拝見」という墨書きと、左足下駄の外側に本願寺の落款が見つかりました。「拝見」という文言がありますが、この仏像は康雲さんが制作したものではなく、備後地方で作られたであろう仏像を、京都まで運び、康雲さんに直接見てもらい、「正式な阿弥陀仏像」との承認をもらったものであると考えられます。
康雲とは「渡辺康雲」といい、江戸時代に活躍した仏師であり、記録によると1666年から1864年にわたって名前が見受けられます。このことは名前が何代かにわたって襲名されたのだと考えられます。
ご本尊を京都まで運び、拝見していただき、承認を得、地福寺本堂にご本尊が安置されたのでありますが、当時の交通事情からしてご門徒の方々のご苦労と浄土真宗に対する厚い志を思い、ご本尊の受け継がれてきた歴史を重く受け止めていきたいと思います。
なお、親鸞聖人御影は1781年に本行寺殿光照寺より下付された記録があり。蓮如上人のご影像は1807年に下付されています。
竜宮式山門は第9世住職了然によって1832年に建立されました。
梵鐘は戦時供出により失われましたが、1978年に再鋳されました。
現在の本堂は2017年第15世住職了融の代に再建されました。
地福寺で一番大切な、ご法座やご法事、通夜葬儀のお参りをする場所です。
本尊の阿弥陀如来像になります。
地福寺の集会所です。主に会議の場所として利用しています。
本堂の裏側にある建物です。法要時の僧侶の待機場所ですが、おときやご法事・ご法要の休憩に利用できます。