宣教75年第52号
主題聖句
平和を実現する人々は、
幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。マタイ5:9
主題
神様の平和に生き
平和をつくる
牧師 光延 博
音羽町礼拝所 420-0834 静岡市葵区音羽町8-16
Tel&fax (054)245-2517
ひかり礼拝所 420-0812 静岡市葵区古庄3-18-12
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ホームページ
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人の子となりて み手にとらえんと さだめたまえり。
うまぶねとなれば、 わがうちにやどり 喜びとなれ。
【司式】私たちは、 父なる神のみ前に、まごころをもって近づき、 罪をざんげし、主イエス・キリストの 御名によって 赦しを願いましょう。
父なる全能の神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いとによって多くの罪をおかしました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない 憐れみにより頼みます。
【司式】ひとりのみ子 イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された憐れみ深い神が、罪を悔い、み子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださるように。
神様。痛み、悲しみ、苦しみ、空しさが私たちを襲います。みことばに耳を傾け、私たちのただ中においでになられた主イエスを信じて生きることができるよう、私たちを励ましてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。♪アーメン
63: 7わたしは心に留める、主の慈しみと主の栄誉を
2: 10というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。 11事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、
と言われます。 14ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、 15死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。 16確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。 17それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。 18事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
2: 13占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」 14ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、 15ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
16さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 17こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
19ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、 20言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」 21そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。 22しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、 23ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
そのひとり子、私たちの 主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめ マリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに 苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に 死人のうちから復活し、天に上られました。そして、全能の父である 神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。
【会衆】神よ、わたしのために、清い心をつくり、揺るがぬ霊をわたしのうちに、新しくしてください。わたしをあなたの み前から捨てず、あなたの聖なる霊を、わたしから取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、わたしに返し、喜び仕える霊を与えて、わたしを支えてください。
今、わたしは主の救いを見ました。主よ、あなたは御言葉の通り、しもべを安らかに去らせてくださいます。この救いはもろもろの民のためにお備えになられたもの。異邦人の心を開く光、み民イスラエルの栄光です。
われらに罪を犯すものをわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ。
国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれます。
【主題聖句】「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)
〇 神様の平和・平安のうちに生き、できることをできるだけなさせていただき、身近なところ から平和を創ってゆけますように。
〇 こどものひろばに集うこどもたちとご家庭に神様の平安と祝福が豊かにありますように。
〇 外国にルーツのある方々もそうだし、主によって一つとされた同じにして同時に多様で異なるお互いを大切にし合えますように。
◇2025年最後の礼拝の時を迎えました。様々なご奉仕、ご献金によって運営をお支えくださいましたことに心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。そしてご一緒に神様に感謝をいたしたいと思います。
一年の終わりに際し、この一年を歩んでこられたお一人おひとりに神様の慰めと平安がございますように、そして日々新しくしてくださる神様が来る2026年の皆様の歩みを祝福してくださいますようにお祈りいたします。
◇本日14:00~富士教会にて、沼津教会、富士教会、静岡教会の役員さん、末竹教区長(ZOOM出席)、光延牧師で集まり、来年度の宣教体制について話し合います。この3教会で教会共同体を作り教会運営をすることが東海教区の方針です。お祈りにお覚えください。役員の皆様どうぞよろしくお願いいたします。
15:00~ひかり礼拝所での礼拝は、信徒礼拝で守ってくださいますようにお願いいたします。急なことで申し訳ございませんがご協力をお願いいたします。
◇同1/1 日(木)14 :00~静岡その枝キりスト教会にて 新年連合礼拝が行われます。
◇1/4各礼拝後にクリスマス飾りの片づけをいたしましょう。
◇1/7(水)10:30~11:30ひかり礼拝所にて聖書に親しみ祈る会を行います。
◇2/1(日)10:30~音羽町礼拝所での合同礼拝後に、定期総会を開催いたします。ご予定ください。原稿締切日は1/11(日)、配布開始は1/18(日)です。
【黙想の断片 イザヤ 63:7~9】福音書の日課には東方から旅をしてきて救い主に出会った占星術の学者たちが帰った後で起こったことが書かれています。学者たちから「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(1:2)と聞かれたヘロデ王のもとではそのような子の誕生などはなく、そのような者が本当に生まれたのだとしたら自分の王座を守るためにその者を殺さなければならないと考え、「ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させ」ました。その殺戮の前にヨセフは導きを得て、マリアと嬰児イエス様を連れてエジプトに逃れて守られました。帰還の時を得て、ナザレでの生活に入っていくことが記されています。この家族は助かったのですが、多くの子どもが殺されていかなければなりませんでした。殺された子と子を失った親の悲しみを思わずにはおられません。そして今日でも戦争によって子どもたちを含む多くの方々がその大切な命を奪われているということを覚えると一日も早く戦争が終わることを祈らずにはおれません。戦争は、神様の愛に逆らう人間が行っていることです。では神様はどこにおられるのでしょうか。神は愛です。愛として働いておられます。どんなに人間が背いていようと私たちの下から支え続け、愛を人間の内に起こしお働きくださいます。それぞれの立場から戦争を止めようとし、戦火の中で救援活動を行い、戦争を終わらせまた平和を築いていくためにはどうすればいいのかという話し合いを導き、それぞれが身の回りからお互いを大切にする愛を起こしてお働きくださっているのを私たちは見ることができます。悪い者を根絶やしにすることで平和をつくっていこうという考えでは憎悪を呼び起こし報復の連鎖を生むばかりなのではないでしょうか。性急になり手っ取り早く暴力を使う解決に飛びつきたくなるかもしれませんが、粘り強い対話を重ねていくことが大切なのだろうと救い主の教えから学びます。 いわゆる聖家族は、平穏無事で何の問題もない家庭生活を送ったのではありませんでした。旅先での家畜小屋での出産、幼子の命を狙うヘロデによる残虐な行為に取り囲まれ、逃れるための難民生活等の問題に直面しました。ヘブライ書には「御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」とあります。苦しさを知っておられる救い主と神様は、現在の互いに挑み合う私たち人間の悲しい現実に対して、悲しんでおられることを覚え、愛としてお働きになっている神様に私たちは用いていただきたいと思います。一年が終わろうとしています。様々な悲しいことが私たちの世界を覆っている中、聖家族は神様が共にいてくださることを見失わないで生きていったことを覚えたいと思います。神様が共にいてくださることを見失いやすい私たちですが立ち止まって思い起こせば、支え続けてくださっているからこそここまで来れたのではないか、懺悔や反省、これからの不安や恐れ、どうしたらよいのだろうという模索など課題は多くありますが、そうであってもこの一年のあいだ神様がお支え下さったことにご一緒に思いを寄せたいと思うのです。イザヤ書の日課には、バビロン捕囚から解放されてもなお先行き不透明な中で生きる辛さのあった人々に語られた預言者の言葉です。「賜った多くの恵み、憐れみと豊かな慈しみを」心に止め、「昔から常に彼らを負い、彼らを担ってくださった」といろいろなことがありながらも背負ってくださっていた神様に目を向けるように勧めています。この声が今私たちの耳にも朗読によって聞こえて来ました。主を信じて生きようというヨセフ、マリヤの声が、そして共に苦しみ悲しみを背負ってくださっている救い主の声を聞いています。その呼びかけに、私たちの心は動揺したり不安に取りつかれたりしますけれども、そのお語りかけに従う者へと、信じて前に向かって行く者へとさせていただきたいと思うのです。節目として来る新しい年も主が導き守ってくださることを覚えご一緒に歩みを進めてまいりましょう。