宣教76年第13号
主題聖句
主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。哀歌3:22
主題
神様の慈しみのなか
自他を大切にする
牧師 光延 博
音羽町礼拝所 420-0834 静岡市葵区音羽町8-16
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ひかり礼拝所 420-0812 静岡市葵区古庄3-18-12
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【司式】私たちは、 父なる神のみ前に、まごころをもって近づき、 罪をざんげし、主イエス・キリストの 御名によって 赦しを願いましょう。
父なる全能の神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いとによって多くの罪をおかしました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない 憐れみにより頼みます。
【司式】ひとりのみ子 イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された憐れみ深い神が、罪を悔い、み子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださるように。
永遠の神様。あなたは人類への限りない愛によって、御子、主イエス・キリストを遣わされました。主は人となられ、十字架の死を死なれました。御心に従い、栄光の復活をなさった主の生涯に従うことができるよう、私たちを憐れんでください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、救い主、主イエス・キリストによって祈ります。♪アーメン
5互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。 6キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。 10こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、 11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
♪キリストはおのれをひくくして、死にいたるまで、しかも十字架の死にいたるまで、みむねにしたがわれた。
福音書 マタイ 26:14~27:66(新52) またはマタイ 27:11~54
26: 14そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、 15「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。 16そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
17除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。 18イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」 19弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。 20夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。 21一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 22弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。 23イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。 24人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」 25イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」
26一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 27また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。 28これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 29言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」 30一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
31そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。
と書いてあるからだ。 32しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」 33するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。 34イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 35ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。
36それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 37ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。 38そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」 39少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」 40それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。 41誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」 42更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」 43再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。 44そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。 45それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。 46立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」
47イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。 48イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。 49ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。 50イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。 51そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。 52そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。 53わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。 54しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」 55またそのとき、群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。 56このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
57人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。 58ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。 59さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。 60偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、 61「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。 62そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」 63イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」 64イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。
65そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒瀆した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒瀆の言葉を聞いた。 66どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。 67そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、 68「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った。
69ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。 70ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。 71ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。 72そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。 73しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」 74そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。 75ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
27: 1夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。 2そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。
3そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、 4「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。 5そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。 6祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、 7相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。 8このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。 9こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。 10主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った。」
11さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。 12祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。 13するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。 14それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。
15ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。 16そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。 17ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」 18人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。 19一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」 20しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。 21そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。 22ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。 23ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。 24ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」 25民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」 26そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
27それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。 28そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、 29茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。 30また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。 31このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。
32兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。 33そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、 34苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。 35彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、 36そこに座って見張りをしていた。 37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。 38折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。 39そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、 40言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」 41同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。 42「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。 43神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」 44一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
45さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 47そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。 48そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。 49ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。 50しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 51そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、 52墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。 53そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。 54百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。 55またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。 56その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
57夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。 58この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。 59ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、 60岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。 61マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
62明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、 63こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。 64ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」 65ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」 66そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
そのひとり子、私たちの 主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめ マリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに 苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に 死人のうちから復活し、天に上られました。そして、全能の父である 神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。
【会衆】神よ、わたしのために、清い心をつくり、揺るがぬ霊をわたしのうちに、新しくしてください。わたしをあなたの み前から捨てず、あなたの聖なる霊を、わたしから取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、わたしに返し、喜び仕える霊を与えて、わたしを支えてください。
今、わたしは主の救いを見ました。主よ、あなたは御言葉の通り、しもべを安らかに去らせてくださいます。この救いはもろもろの民のためにお備えになられたもの。異邦人の心を開く光、み民イスラエルの栄光です。
われらに罪を犯すものをわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ。
国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれます。
【主題聖句】「今日こそ主の御業の日。」(詩編118:24)
〇 この年の一日一日を製作してくださる神さまに信頼して歩むことができますように。
〇 主の十字架に従い行く一人ひとりが、自分の十字架を取る信仰に生きることができますように。
〇 野宿生活を余儀なくされている方々をお守りください。
◇3/29(日)10:30礼拝後に4月の役員会を行います。
◇4/4(土)9:30~イースターエッグ作りを有志で行います。お手伝い下さる方は自由にお集りください。
◇4/5(日)イースター(主の復活)礼拝・祝会を10:30~音羽町礼拝所での合同礼拝(聖餐式)後に行います。
15:00~ひかり礼拝所での礼拝はお休みにいたします。
◇4/11(土 音羽町礼拝所にて)13:00~東静地区宣教委員会、14:30~市内三教会連絡会
◇4/15(水)、10:30~ひかり礼拝所にて聖書に親しみ祈る会を行います。
◇4/26(日)10:30礼拝は、牧師の沼津教会礼拝担当日により沼津教会からのZOOM配信により礼拝を守ります。
15:00~ひかり礼拝所での礼拝はお休みにいたします。
◇4/29(水)ふくしむらホリデー(デンマーク牧場)
【黙想の断片】「ある病人がいた」とこの物語が私たちにある。愛する者である。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」、そして詩人と共に、助けてください、と祈る。主は来てくださらないと感じる。そこで、神などいなかったのだと決め込む。即座に助けを与えない者など無能だという声が内外から襲って来る、我欲は我慢ならない。待とうとしない時代に、待つことができなくなってしまった。没落にはそれにふさわしい指導者を擁立するものだ。民衆の我欲に迎合する自己保身の指導者を崇め、我欲の自己実現に邁進する。破滅の核時代に自らを他者をも巻き添えにして滅びに向かって突進して行く。神は、イエス・キリストは、私たちに殺されている。しかし主は死んでなどおられない。祈り続けられている。肉体の死を迎え、私たちには終わったかにうそぶくとき、主は永遠の命を現わされることになる、今現わされているのを私たちキリスト者は見ている。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」愛する者を失った喪失の思い、悲しみを主は知っておられる。その主がここにいてくださったら、愛がここにいてくださったなら、誰もが例外なく迎える肉体の死のところに、人間の悲しみを凌駕する天の平安があったであろうがそれを得られないと感じているままに直面したかに見える。そこに十字架(復活)の主はおられなかったのか。福音書記者は十字架の主はおられると告げて来る。「しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています」と私たちは希望することが許されている。肉体が復活したところでそれは救いではない。必ず肉体の死は到来する。肉体がよみがえったのではない。イエス・キリストはそんなちっぽけな救い主ではない。肉体の死を超えて「からだの復活」(使徒信条)があるのだ。パウロが言うことは真正である。「霊のからだ」は復活せざるを得ない、永遠なる神様の中に存在を呼び出された者としてすべての者は永遠の内に一切が覚えられており、その神の命である被造物どうしはその存在にアガペー(神の愛)をもって互いに影響し合い、支え合って存在している。神から出た生命は常に永遠の命を生きている、生かされているのだから。霊の復活者は時空を超えて神の愛・赦し・救いを証言している、その神の命からの呼び声を私たちは聞いている、内なるキリストは。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」「わたし」とはイエスの内なるキリストであり、イエスの内なるキリスト(神よりの救い主)の声を人間イエスは発する、私たちの内なるキリストの呼び声を私たちは聞いている、キリストの座において。私たちの我はそれを聞き分けているだろうか。私たちは死んでも死なない(肉体は死んでも死なない神の命・本当の命)ことを知っている、知らされているから。覚悟はできている。明日私は主のもとに帰って完全な救いに入ったとしても、否入ることができるならば喜びである。パウロが吐露している通りに。ラザロ(神が助けたもう)は、呼びかけに応答する人間の真相である。死んで歩んでいる私たちがその死から呼び出され復活することができるとラザロをして福音書記者が語ることは誠に真実である。死の縄目にぐるぐる巻きにされている私たちがそのまま立ち上がることができる道が最初から最後まで敷かれている。「わたしは道であり、真理であり、命である」という内なるキリストからの音楽が鳴り響いている。この世の一切は私たちをがんじがらめにすることはできない。雁字搦めにされたまま立ち上がることができる。意識が妄想する偶像(イメージ)を捨て去り、現実を現実のまま十字架に捨てられた救い主と共に生きる。焦燥を捨て、待ちつつ望みつつ、内なる十字架のキリストと共に、私たちの悲しみを見つめて涙する救い主の思い(御心)を感じ取りつつ、泣きながらも、狼狽しながらも、立たされている足場を見つつ歩むことができると主は今日私たちにお示しくださっているのだ。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」との私の内なるキリストの声に耳を傾けよう。本当の私・神の命の声をこそ聞こう。ここに命(神)と間の平和・平安がある(ロマ5章)。ここから生き直す、日々を。そしてここからは愛なる御働きが生じてくるのだ。