宣教75年第41号
主題聖句
平和を実現する人々は、
幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。マタイ5:9
主題
神様の平和に生き
平和をつくる
牧師 光延 博
音羽町礼拝所 420-0834 静岡市葵区音羽町8-16
Tel&fax (054)245-2517
ひかり礼拝所 420-0812 静岡市葵区古庄3-18-12
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【司式】私たちは、 父なる神のみ前に、まごころをもって近づき、 罪をざんげし、主イエス・キリストの 御名によって 赦しを願いましょう。
父なる全能の神よ。私たちは生まれながら罪深く、けがれに満ち、思いと言葉と行いとによって多くの罪をおかしました。私たちはみ前に罪をざんげし、父なる神の限りない 憐れみにより頼みます。
【司式】ひとりのみ子 イエス・キリストを死に渡し、すべての罪を赦された憐れみ深い神が、罪を悔い、み子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださるように。
神様。私たちは、あなたによって導かれ、支えられています。あなたの深い憐れみを知り、讃美して歩むために、私たちに信仰を与えてください。
5: 1アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。 2アラム人がかつて部隊を編成して出動したとき、彼らはイスラエルの地から一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていた。 3少女は女主人に言った。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」
7イスラエルの王はこの手紙を読むと、衣を裂いて言った。「わたしが人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。この人は皮膚病の男を送りつけていやせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ。」 8神の人エリシャはイスラエルの王が衣を裂いたことを聞き、王のもとに人を遣わして言った。「なぜあなたは衣を裂いたりしたのですか。その男をわたしのところによこしてください。彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
9ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入り口に立った。 10エリシャは使いの者をやってこう言わせた。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」 11ナアマンは怒ってそこを去り、こう言った。「彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。 12イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。」彼は身を翻して、憤慨しながら去って行った。 13しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」 14ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。
15彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」
2: 8イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。 9この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。 10だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。 11次の言葉は真実です。
14これらのことを人々に思い起こさせ、言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい。そのようなことは、何の役にも立たず、聞く者を破滅させるのです。 15あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
17: 11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
そのひとり子、私たちの 主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によってやどり、おとめ マリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに 苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、陰府に下り、三日目に 死人のうちから復活し、天に上られました。そして、全能の父である 神の右に座し、そこから来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。
聖霊を私は信じます。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。
【会衆】神よ、わたしのために、清い心をつくり、揺るがぬ霊をわたしのうちに、新しくしてください。わたしをあなたの み前から捨てず、あなたの聖なる霊を、わたしから取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、わたしに返し、喜び仕える霊を与えて、わたしを支えてください。
今、わたしは主の救いを見ました。主よ、あなたは御言葉の通り、しもべを安らかに去らせてくださいます。この救いはもろもろの民のためにお備えになられたもの。異邦人の心を開く光、み民イスラエルの栄光です。
われらに罪を犯すものをわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ。
国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン
主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれます。
1.イェスきみは恵みの主、 罪びとあわれみたもう。
名古屋めぐみ教会を覚えて 主任 : 後藤 由起 牧師
【主題聖句】「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただく
この慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」(2コリント1 : 4 )
〇 教会学校と箱舟保育園の働きを祝福し、用いてください。
〇 礼拝を生活の中心とし、教会があらゆる世代が神の家族として集う居場所となれますように。〇 教会が地域の中で神様の慰めを伝える場として用いられ、洗礼へ導かれる人を起こされます
◇本日10:30礼拝後よりビスケット(微助っ人)の会を行います。
◇10/15(水)10:30~ひかり礼拝所にて、聖書に親しみ祈る会を行います。
◇来週10/19(日)10:30~市内三教会と栄光教会共催の合同神学校日礼拝・集会(於:音羽町礼拝所)です。
礼拝説教・講師は石居基夫牧師・ルーテル学院大学 学長。
【講演案内文:世界の至る所で戦争や内戦、分断や対立が起こり、暴力的な力が人のいのちを奪っている。宗教はこうした状況の中で、あまりに無力であるばかりか、どちらかというと対立を激化する要因にさえ思われる。戦後80年という節目を迎えているが、実は今ほど「キリスト教」「教会」というものが問われている時代はないのかもしれない。身近な「私の信仰」を問い直しつつ、共に学ぶひとときとしたい。】
カレーライス(500円コーヒー・お茶つき)を私たちの教会で用意して皆様をお迎えいたします。
◇福祉村へごの献品をこども家庭サポートセンターだいちの梅田施設長へお渡しいたしました。大変喜んで下さいました。皆様に心より感謝いたします。
◇「能登半島地震・豪雨被災者のための募金」、また「ミャンマー地震被災者のための募金」へのお捧げに感謝いたします。
◇11/3(月・祝)10:00~15:00名古屋めぐ
キャンデイレイをプレゼントしたいと思います。お志のございます方はご献品をお願いいたします。
11/9(日)11:30~、商品の値付け等のバザー準備をします。お手伝い下さいます方はお越しください。
◇11/28(金)19:00~(18:30開場、18:45プレトーク)静岡AOIにて、大木麻理オルガンリサイタルが開演されます。チラシを御覧下さい。チケットの申し込みは、
◇11/30(日)13:00~三教会合同ふくしむらデイ 講師:小久保秀樹氏
【黙想の断片 ルカ17:11~19】主イエスは刑場となる中央の都市エルサレムを目指される中、周縁の村サマリヤとガリラヤの「間・堺・真ん中」を通られます。ユダヤ人はサマリヤ人を純粋な信仰から外れた者らだとして軽蔑し、汚れることを避けて交流しませんでした。悲しい戦争の過去があり、両者は反目・敵対し合っていました。その敵対の間に救い主がおられることはエフェソ書2章にあるように、隔ての壁を打ち壊し平和を実現するキリストのことを想起させるでしょう。境界にいたのは、汚れている・罪のゆえに神に罰せられた者とレッテルを貼られた(レビ13、14章)重い病気を背負っている者たちでした。民族的には犬猿の仲でしたが、重い病を負った者どうしで一緒に助け合って過ごしていたでしょう。強さを重んじる人間社会から外された中で、弱さは人を結びつけます。十字架の救い主は弱さのところで人と出会われます。癒しを行われる主イエスのうわさは彼らの耳にも届いていたのでしょう、主イエスの姿が見えたときに彼らは「憐れんでください」と大声で叫びます。レビ記の規定の通りに祭司のもとに行くようにとの主の言葉に彼らは従いました。いまだないのに主の言葉に信頼して行く、その途中で皆が清くされた、と福音書は記述します。10人のうち1人が主のもとに帰ってきます。他の人たちも10人ともが主イエスの言葉通りに行動したのです。その中で戻って来たのはサマリヤ人であったということには自らの選民性を誇って驕るユダヤ人に対する批判が込められているでしょう。神のもとに帰ってきた、つまり救いを受け取ったのはユダヤ人が軽蔑していたサマリヤ人であったというのです。「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」主イエスが現わしてくださった神様に帰って来たのです。父親のもとに帰って来た放蕩息子のたとえを思い出させます。自分の命の根源である神様のもとに帰って来る、ここに救いはあります。私が私の命に帰るのです。私は私であること、私は慈しみの神様の中に存在するということがここで知らされます。神様と一緒にこれから先も生きていく、何があっても命なる神様から離れないという確信から信頼を与えられて歩む道が広げられます。この人は、後日に感謝を伝えようとは思わないで、今ならまだ会える、後からでは会えないかもしれない、今だと思いつつ、神を現わしてくださった主イエスに感謝を伝えました。主は神様のもとに帰ったこの人の喜びを一緒に喜ばれます。そして他の人のことについて言われます。「ほかの九人はどこにいるのか」と。「どこ」にいるのでしょうか。主イエスは癒しの奇跡を行う人だと思い、癒されたからああ良かった、用は済んだと言って日常へ前のように戻っていったのかもしれません。命の主であり救いである神様のもとに帰れたのでしょうか。「あなたはどこにいるのか」の呼び声はいつも響き続けています。それは、神様が一人ひとりを支え、励ましたい、どんなことに遭遇しても一緒に生きたいという願いが込められた呼び声です。神様は支えながら、帰って来るのを待っておられます。キリスト者の全生涯は立ち帰りの生涯(ルター)。旧約新約の弟子たちも、「立ち帰って、生きよ」と繰り返します。立ち帰るときに復活があります。主イエスご自身日々神様を呼び返し復活の生命を受けて歩まれました。神様のもとでいつ死んでも死なないこと知っておられました。神様は主イエスに「立ち上がって(復活して)、行きなさい。あなたの信仰(信頼)があなたを救った。」といっておられたでしょう。その御言葉を神のもとに帰って来たこの人にも、帰って行く私たちにも現わされます。