河口慧海は,大正大学教授に就任する前から,さまざまな学生にチベット語の指導を行っていた.このページでは,壬生台舜(天台宗),田嶋隆純(真言宗豊山派),服部融泰(真言宗智山派),宗川宗満(浄土宗)による師への謝辞等を紹介する.
なお,写真やPDFデータの掲載にあたって,関係各位より その許可をいただいたことに感謝申し上げます.(文責:米澤嘉康)
壬生台舜
浅草寺管長をつとめ, 浅草寺福祉会館落成など,仏教福祉を通じて仏教と社会とのつながりを重んじた.
なお,1995年に大正大学で行われたシンポジウム「河口慧海の世界」における基調講演のPDFファイルを掲載するにあたり,浅草寺教化部,ならびに,大正大学から許可を得たことを付記しておく.
壬生台舜1963「河口慧海老師の生誕百年を迎えて」『日本西蔵学会々報』13号1-2
壬生台舜1995「河口慧海先生の思い出」『河口慧海の世界』大正大学5-14
田嶋隆純
大正大学教授をつとめ,巣鴨プリズンの父としても知られている.田嶋による大日経研究の評価(含略歴)は,Alex Wayman. 1992. “Editor’s Preface” to Book II: Study of the Mahāvairocana-sūtra (Dainichikyō) in The Enlightenment of Vairocana. Motial Banarsidass: Delhi., 209–211に英文でまとめられている.
河口慧海師閲・田嶋隆純譯1927『藏漢對譯 大日經住心品 附大日經藏漢兩譯比較研究概觀』新興社 「自序」pp.6–7に河口師に対する謝辞が述べられている.お写真は,Tajima, Ryujun. 1959. Les deux grands maṇḍalas et la doctorine de l'esoterisme shingon. Tokyo : Comité de publication de l'œuvre posthume du Rév. Tajimaより転載した.
服部融泰
『大日経』チベット語テキスト校訂で知られる.般若山観音寺住職として飯能幼稚園を開園した.
なお,服部融泰校訂1931『藏文大日經』西藏譯經出版所の序をPDFファイルとして掲載するにあたり,般若山観音寺より許可を得たばかりでなく,晩年のお写真をご提供いただいたことを付記しておく.
服部融泰校訂1931『藏文大日經』西藏譯經出版所 序に,河口師への謝意が述べられている.
宗川宗満
河口慧海が大正大学に寄贈したナルタン版カンジュルの目録を刊行した.服部融泰とともに,河口慧海師後援会を設立した.
なお,曾孫の宗川裕真氏(心光寺)より,下記のナルタン版目録における謝辞データの掲載を許可いただいたばかりでなく,1922年3月4日に撮影されたお写真をご提供いただいたことを付記しておく.
宗川宗滿・服部融泰編 1927 『河口慧海師零惇並年譜』 河口慧海師後援会
河口慧海師譯宗川宗滿錄寫1928『(ナルタン版)西蔵大蔵経甘珠目録』宗川宗滿 はしがき に河口師への謝辞が述べられている.