天啓 三方よし鳥居 考察
2022年7月7日、一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問(同二代目会長)である熱田貴は不思議な夢を見ました。
ふと気がつくと神社にいて、見たこともない形状の鳥居が目の前に現れたのです。
通常、神社の鳥居は一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居があって神様のもとに辿り着くもの。3回鳥居をくぐれば神様の世界に入ります。
しかし夢に現れたのは、その3つの鳥居が重なりあって構成された、ひとつの鳥居でした。三脚で、三方のどこから見ても同じ鳥居です。このひとつの鳥居で一、二、三の鳥居を兼ね、どこから入っても神様のもとに辿り着くなら、この鳥居の中央が神域でしょう。
なんと奇妙な……こんな鳥居は見たことがない……そう思っていたところで目が覚めると、この「三柱鳥居」に関する様々な想いとアイディアが頭を巡りました。
夢に現れた三脚の鳥居
(北斎漫画に描かれた三柱鳥居)
三柱鳥居のオブジェを造れ。それは近江商人の「三方よしの精神」にちなんだものである
朝、デスクに座るたびに目に入るように、デスクやサイドボードの上に安置せよ
朝、目にしたならば、3分ほど、己自身を見つめ、祈り、宇宙の大きな力に思いを馳せよ
このオブジェがデスクやサイドボードに安置されれば、朝、ちょっとした時間に静かに瞑想するとき、こころの姿勢・波動が、一流の職人であり代表的な縄文日本人である熱田貴の天啓の神様の波動に近づき、一致していくことになります。
そうであれば、多くの方がこの「三方よし鳥居」のオブジェを安置することによって、世界にほこる日本の職人として、また日本人の源流である縄文日本人として、心の御霊と御霊が一致してつながっていくと考えられます。こうして本来の日本人が復活していくことになります。
さらに、この毎朝の積み重ねは、宇宙の大きな力によって己の心の在り方を変えていきます。己の心が変われば、己の世界が変わります。己の世界に宇宙の大きな力が入って、世界が救われます。
そこで熱田貴とわたくしどもでは、この「三方よし鳥居のオブジェ」のサイズや各寸法を記載した設計図を無償で公開させていただきます。
人は自ら変わろうとしても大きな困難を伴いますが、世界の方から先に変われば己も自然に変わります。いま、人は宇宙の大きな力とともに生きる時代になったのです。
どうぞ設計図を自由にご活用くださって、無償で「三方よし鳥居オブジェ」を手に入れて頂きたいと存じます。
夢で天啓を受けた「三方よし鳥居」を自ら紙でモデル化し、書斎でアイディアを熱く語る熱田貴会長
現在、以下の設計図を準備中です。熱田会長の天啓の指導のもとモデルの微調整と修正を続けております。少しお時間を下さい。
1)紙で作造る場合の設計図
2)樹脂(3Dプリンター)で造る場合の設計図
また、3Dプリンターの樹脂で造られたオブジェの購入を希望される方のために、熱田会長の関係者の方から原価のみで製造提供して頂けるように手配中です。5千円以内で提供されることを目指しています。ただし3Dプリンターによる制作は鳥居1基あたり9時間を要しますので、毎月限定数のご提供になります。モデルの微調整と修正が完了しましたら詳細を公開させていただきます。
熱田会長の関係者に造っていただいた「三方よし鳥居」の樹脂(3Dプリンター)でできたモデル。未完成。現在修正中
熱田貴プロフィール
1938年7月7日、千葉県香取市(旧佐原市)生まれ
1980年代、ボージョレ・ヌーヴォーを日本初でプロデュース
1997年、日本ソムリエ協会会長に就任
2010年、黄綬褒章を受章
2020年、Decanter World Wine Awardsで金賞
2021年、北海道仁木町の仁木ヒルズワイナリーの丘に銅像建立
現在、一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問
長年にわたって多くの賞を受賞してきましたが、2020年にも世界最大のワインコンテスト「Decanter World Wine Awards」において82歳で自身がマネージメントしているワイナリーの赤ワインが金賞を受賞しました。世界のソムリエ、マエストロ、ワイナリー、酒造メーカーから神様のような存在として尊敬されています
主な著書に「真実はワインの中に」「ソムリエ讃歌」
熱田貴がシェフソムリエを務めた トゥールダルジャン(ニューオータニ)
In Vino Veritas 真実はワインの中にのみ存在する
北海道仁木町の仁木ヒルズワイナリーの丘公園にある熱田貴の銅像
銅像の名前はIn Vino Veritas (ラテン語で「真実はワインの中にのみ存在する」)
熱田貴の、摩訶不思議な京の旅
ずっと以前から、私はなぜかゼロから始まる数字の摩訶不思議な奥深さに興味を抱いてきました。ワインひとつを取っても、ヴィンテージチャートから売上まで、とにかく頭の中には数字が駆け巡ります。0、1、2、十、百、千、万、・・・。
そんなわけで、ある日、どういうわけか「3」という数字に取り憑かれてしまいました。その数字についてあれこれと考えをめぐらせていたら、その夜、不思議な夢を見たのです。
私は神社にいて、不思議な鳥居を眺めていました。神社には付き物の鳥居は形も色彩も多様ですが、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居があって神様のもとに辿り着きますね。それが、この日の夢の中では、3つの鳥居が重なりあってひとつの鳥居を構成していました。
何と奇妙な、こんな鳥居は見たことがない…と、夢の中の私。
しかし、目が覚めて調べてみると、数は少ないながらも「三柱鳥居」は確かに存在するのですね。それを知って、心の底から驚きました。もしかして、神様の思し召し?
さらに調べていくと、京都は太秦の近く、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)という通称「蚕ノ社」の境内に建立されていることが分かりました。
上賀茂神社にて仁木ヒルズワイナリー(私が監査役を務めております)の春の奉納祭が催された折りに、車で15分ほどのホテルに宿泊する幸運に恵まれ、早速お参りに出かけた次第です。
夢の中に御出現くださった神様と確信し、まずはご挨拶を。神主さんにお話をうかがうと、大宝元年(701年)以前の創建と考えられているそうです。宮司さんによれば、嵯峨野・太秦周辺は渡来系氏族の秦氏が開拓した地ということで、広隆寺や松尾大社、蛇塚古墳など同じように秦氏ゆかりの神社ではないか…とのこと。
夢に現れた三柱鳥居は、境内の北西隅。元糺の池(もとただすのいけ)という神池がある場所で、かつては湧き水が豊富だったそうです。泉に手足を浸すと諸病によいという信仰があったことから、現在は夏の土用の丑の日には特別に水で満たしているのだとか。
さあ、お目当ての三柱鳥居は、この元糺の池の中に建立されています。非常に珍しいものの、このスタイルの鳥居は全国にいくつかあるらしいのですが、本家本元はここ木嶋神社という説が有力なようですね。
そこで思い出したのが、かつて、近江商人が掲げていた「三方よし」の経営哲学です。売り手よし、買い手よし、世間よし。自らの利益のみを追求することをよしとせず、社会の幸せを願う精神は、もしかしたら三方鳥居と何か関係があるのでは…と、その場で想像の翼を広げたり。
鳥居の不思議、それは私たちには計り知れない謎に満ちた摩訶不思議な世界。木嶋坐天照御魂神社は、創建年月こそ不詳とされているものの、平安時代初期の『続日本紀』には大宝元年(701年)4月3日の条に、神社名が記載されているそうです。
私の夢に現れた三柱鳥居は3つの鳥居を組み合わせた威容を誇り、中央の組み石は本殿ご祭神の神座であると同時に宇宙の中心を表わしているということで、三方から拝することが出来るように建立されていました。
こちらも創立年月は不詳で、現在の鳥居は江戸時代、今から300年ほど前の享保年間に修復されたものだとか。
京都の木嶋坐天照御魂神社木嶋神社
境内に建てられている三柱鳥居
北斎漫画に描かれた三柱鳥居(木造)
近江商人発祥の地「五個荘」の銅像
鳥居考察
鳥居は神社の社殿よりも古くからあった
じつは鳥居は私たちが神様へ拝む社殿よりもはるかに古くからあります。元々は、山や海やそこにある岩が神様の住まう拠り所です。鳥居だけが建つ場所があるのもそのためです。神社の成り立ちをたどると、現在、神社と呼ばれる社殿は鳥居よりもずっと後に建てられたものなのです。
鳥居は神域への入り口
神社の鳥居には、現世と神域を区切る結界のはたらきがあるといわれ、元来は神様の住まう拠り所である山や海の神域の結界でした。また鳥居は現世から神域への入り口でもあるので、現世から神様の世界への橋渡しをしてくれます。木嶋坐天照御魂神社でも三柱鳥居の内側が宇宙の中心を現わしています。
鳥居と般若心経は同じ神域への入り口
お経の般若心経もまた現世から彼岸の浄土への橋渡しをしてくれます。人が神道と仏教という区別をつけるようになったのはずっと後のことで、どちらも元々同じ神様の世界への入口として造られたわけです。とくに日本人はこの入口がいつも身近にあって、古代、縄文時代から「現世と神様の世界のあいだを往来していた」と考えられます。
三方良し鳥居は大財閥の拠り所
三井財閥もその創業時代から「三柱鳥居」を尊崇し、発展してきました。また三柱から連想される「三方よし」の精神は伊藤忠商事や丸紅商事などを生み出した近江商人の精神でもあり、現代も息づく偉大な経営哲学です。売り手よし、買い手よし、世間よし。人類の幸せを願う神聖な「三方よし」の精神です。
生涯の師匠の教え
若いころ、フランスのワイン醸造家ピエール・シャリオール氏のもとで修行しました。私の師匠となる人です。そこで最初にシャリオール氏からこう教えられました。
「いいソムリエになるためにはワインをどんどん飲みなさい。そしてそれが身体の中でどう変化していくかを知りなさい。」
シャリオール氏の言わんとすることがいまいちピンと来なかったのですが、ワインと美味いものに目がなかったので初めのうちは嬉しくて、いい気になって飲み食いしまくりました。
しかしこれが毎日続き、ひと月を越え、ふた月を迎える頃になると、さすがに体調がおかしくなってきました。身体がだるくて、食欲もなくなり、睡眠不足気味になってきました。別に病気というわけでもなさそうだから騒ぐわけにもいきません。けれど目に見えて元気がなくなっていきました。
そんなとき、私の様子を見かねたシャリオール家のおばあちゃんが、チーズを食べるようにと勧めてくれました。元来チーズはあまり好きではなかったのと、シャリオール家で出されるチーズは田舎のチーズという感じで個性が強かったものですから、食事のときには全く手を出していなかったのです。
「今日はだまされたと思ってチーズをしっかり食べなさい。」そう言っておばあちゃんは、赤林檎のスライスにチーズを挟んで勧めてくれました。これなら臭いのきついチーズでもなかなかいけるなあ。そう思って少しずつ食べているうち、二、三日もすると体調が良くなってきたのです。おばあちゃんに後光が射して見えました。
もしおばあちゃんがいなければ、どうなっていたことか。すっかり体調を崩して、しっぽを巻いて日本に帰ってしまったかもしれません。
まあ、そんな調子で、みんなと一緒にチーズをつまみ、肉を食べ、同じようにワインを飲むということが、身体にどんなにいい影響を及ぼすか、いかに大切なことか。ははあ、シャリオール氏が初めに、どんどん飲めと言っていた意味は、こういうことなのかもしれない。ワインを知るには、銘柄の付いたワインを舌先で味わっているだけではダメなのだ。肉やチーズも併せて、おばあちゃんやみんなと一緒にワインを味わい、生活に根差した総合的な「文化」としてワインを知ることが大事なんだ。ピエール・シャリオール氏は私の生涯の師匠となりました。
それまでの私とワインの関係は、恋人同士の逢瀬みたいなもの。まあ、子どもの遊びのようなものだったかもしれません。それに比べると、シャトー・ドゥ・レスクール(シャリオール氏のワイン農家)でのあの日々は、酒とのマリアージュ(結婚)でした。夫婦として、お互いの酸いも甘いも知り尽くしたような感がある。私はワインを本当に愛し、一生を添い遂げる道を選びました。
著書「真実はワインの中に」より一部要約