開催趣旨

 2021年1月に中央教育審議会がまとめた答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」では、2020年代の実現を目指す新しい時代を見据えた学校教育として、多様な子どもたちを誰一人取り残すことのない個別最適な学びの実現や、その学びを支える質の高い教育活動が実施できる環境整備の必要性など、新しい時代の初等中等教育のあり方がまとめられています。社会のあり方が劇的に変わるSociety5.0や先行き不透明な予測困難な時代、さらにはデジタル・オンライン化、DXの加速の必要性が問われている中でも、これまでの「日本型学校教育」の良さを受け継ぎ、更に発展させる「新しい時代の学校教育」の実現の必要性が求められています。

 一方、現実の世界においては、新型コロナウイルス感染症の爆発的拡大により、国や地域を超えて、地球規模で人間社会に甚大な被害が及ぼされています。その影響は教育の世界においても顕著で、感染症対策初年度であった2020年は、教育学習面での本格的な対応以前に、まずは年間に渡って保健的対応と経済的対応が全ての教育関係者に求められたそんな一年間でした。そうした対応が若干の落ち着きを見せ始めたこの2021年の一年間においては、生活レベルでの対応が一段落し、教育学習面へのフォーカスが可能となってきた状況が生まれました。そうした生活環境の落ち着きは、この二年間ある種の拙速さを受け止めつつも、我々自身半ば無理を重ねながら進めてきたオンライン化やデジタル化について、改めて率直に見つめ直す機会を我々に提供してくれたように思われます。

 2020年初頭から既に2年以上に渡って続く、人智を超えた予期せぬ災害に直面した状況において、学びを保障するための手段として、遠隔・オンライン教育がこれまででは到底考えられないような速度で導入されました。その状況は教職員や学習者にとっては「導入」という言葉で片付けられるほど生やさしいものではなく、ほぼ強制的に行われたものではありましたが、教育現場のみならず、家庭の協力、行政の支援もあり、無理を重ねて活用を進めた遠隔・オンライン教育ではあったものの、今ではなんとか定着しつつあるのが実情ではないでしょうか。

 一方、2020年3月に何の議論もなく唐突になされた学校の一斉休校をはじめとして、教員による対面指導や子ども同士の学び合い、運動部活動や文化活動といった課外活動、運動会や遠足といった学校行事、地域の体験活動やボランティア活動、フィジカルなインターンシップやキャリア教育、そして全面的に閉じてしまった内外の留学など、リアルな体験の機会の喪失が児童・生徒・学生に与えた影響は現在でも計り知れないものがあります。このことは、俗に言われているような「データを集める」とか「評価手法」や「学生対応」といった次元で対応できるような単なる課題というものではありません。それは、子供たち、そのひとりひとりにとっては、実際に入学式も卒業式も大会も修学旅行も運動会も、それどころか友人たちとの出会いも別れも、喜びも悲しみも楽しみも苦しみも煩悶も奪われる、特別な個人的な体験でした。そうした全ての機会を奪われた児童・生徒・学生にとっては、各個人にとって一生涯、こころとからだに残る経験となってしまいました。これは教育問題を超えて我々教職員が考え続けていかなければならない課題となったとも言えるかもしれません。


 そういった状況で国内社会に目を転じれば、少⼦⾼齢化による世代間の分断、過疎化や都市集中による地域格差、台風や地震による自然災害の猛威、科学技術における国際競争⼒の低下など、我が国特有の社会問題として顕在化してきています。さらに若年層の置かれた環境に焦点化すれば、各種国際調査における我が国の若者世代の⾃⼰肯定感の低さに加え、直近の報道では若者の自殺者が増加していることも報告されており、次代を担う⼈材が直面する苦悩にどう対応していくのかという課題が浮き彫りになっています。


 課題は国内にとどまらず、20世紀後半から急速に拡⼤した⼈間活動に由来する地球規模の危機の克服という課題を認識しているにもかかわらず、各国が自国のみの繁栄と競争⼒強化を目論んだ科学技術への未来投資を加速させた結果、都市機能への一方的な集中化、⼤量生産・大量消費に⽀えられた成⻑神話、グローバリゼーションの圧力は結果的に高まるばかりです。人類が大いに「発展」した20世紀の皮肉な遺産として、⼤気中の二酸化炭素やメタンガスの増加、プラスチック流出等による海洋汚染、生態系の破壊による絶滅種頻発と多様性の喪失、そして百年に一度が連続する異常気象等がクローズアップされ、これらは「人新世」という考え方が示すような世界的な課題認識となるに至りました。

 こうした身の回りの問題、国家的課題、地球規模の危機について、第6期科学技術・イノベーション基本計画をはじめとする一連の施策では、人間社会を取り巻くさまざまな課題に対する取り組みが進められています。サイバー空間とフィジカル空間を融合し、経済発展と社会的課題の解決を両⽴するSociety5.0の実現を通じて、⼈間中⼼社会を現実のものとする方向性がそこでは示されています。また⾃然科学だけではなく、⼈⽂・社会科学も含めた多様な知の創造と「総合知」によって社会全体の再設計を成し遂げ、社会からの要請に挑戦する人材育成も視座に入っています。

 今般政府がまとめた「新しい資本主義」において「成長と分配」が国家戦略の中心となる一方、グローバルな議論では「脱成長」が真剣に議論されている状況下、まさに科学的革新的価値観と総合知を兼ね備えた人材が求められていると言えます。「教育という機会」、「学校という環境」がそうした「新しい人材」を育成するある種の装置だとするならば、そこで主役となって学習するこどもたちに、いま、私たちは一体どんな「場」を提供すれば良いのでしょうか。今流行りの「個別最適の学習」や「誰もがいつでもどこからでも自分らしく学べる」というフレーズはとても良い考え方ですし、非常に美しい言葉です。ただ、同時にそれを具現化することの難しさは、実際に日々課題に直面している全国の子供たちや現場の教職員が一番よくわかっています。そもそも「場」としての学校の機能をおざなりにしたままで、そうした「理想的な学習」は達成されるのでしょうか。感染症によるどさくさに紛れて美辞麗句に躍ることなく、こどもたちや現場を振り回してしまうような愚を避けることができるだけの分別を、きっと我々はもちえているはずです。今年度の大会企画である「場」としての学校:新しい教育のかたちの模索と学校の価値の再構築は、まさにその核心を問うきっかけとなることを期待しています。

大会実行委員長 江原昭博