戦後、日本でもデザイン分野が急激に活動を広げていきました。通産省工業技術院・産業工芸試験所の活動は、その機関紙「工芸ニュース」の復刊から広まり、外国からデザイナーを招待して日本のデザイナーの腕を磨き、欧米へデザイン留学させるなど力を入れていました。
そして、日本では「視覚的なデザイン」と「工業的なデザイン」のそれぞれが、独自に発展していきました。
1955年になると、終戦から10年が経ち、日本は高度経済成長を迎え、日本のデザイン界も盛り上がりを見せていました。亀倉雄策や勝美勝などをはじめとするデザイナーが、「日本デザインコミッティー」となり、グッドデザイン賞などの制度を設け、デザイナーの士気をあげる活動を行ないました。アジアで最初に開催された「東京五輪」は、日本のデザインが世界に注目されたイベントでもあります。
日本のデザインは視覚的デザインと工業的デザインの2つがそれぞれ独自に発展をしてきました。海外から伝わってきた「デザイン」と言う考え方を自国で発展させ、東京五輪では日本のデザインが世界が世界から脚光を浴びるまでに成長しました。