「光の道」で有名な宮地嶽神社と同じく、2月と10月に光の道を見ることができます。
鳥居の先、すこし曲がっている感じもユニークです。
以前は、木々でうっそうな石段でしたので夕日はまったく見えませんでした。
除草や木々の枝の手入れによって2023年、光の道が復活しました。
「光の道」が見える時期、夕日に照らされた風情のある階段が光ってご利益を感じられます。
境内には巨大な楠木2本の根回りがつながっています。年数は不明ですが、福岡市の西新に慶応元年(1865年)植樹された楠木の幹のサイズを見ると、十六天神社の小さいほうの幹のサイズほどなので、200年以上はたっており、迫力があります。
明治廿六年癸巳(1873年)のこの常夜燈は、神社の鳥居下、参道入り口にあり見落としがちですが、大きく2つの見どころがあります。
1.逆立ちする狛犬
常夜燈の上には狛犬が逆立ちしています。この狛犬の肉球を見るには、伐採された大木のあった山側から見下ろすとかろうじて見られます。
2.猫足常夜燈
この重量のある常夜燈は、4本の猫足で支えられています。実は、「猫足常夜燈」の上に「逆立ち狛犬」がいる常夜燈は、唐津神社という大規模な神社で見ることができますが、この糸島近隣の神社では珍しいものになります。
なお、「常夜燈」とは神社や寺院、街道沿いに建てられた石灯籠で、夜に火を灯すもの です。
大正六年十月(1917年)、隣町の加布里の石工「富永乙吉」よるイケメン阿吽の狛犬。阿像は、玉(ぎょく)をくわえておりコロコロすることができます。
玉を回すと願いが叶う、玉に触れると福を呼ぶ「ころころ狛犬」くん。文化財や老朽化で「触れないで」の神社もあるようです。やさしく、感謝の気持ちで、ころころしてあげてください
後から玉は入りませんので、掘る際に玉を残した高度な技が必要と思われます。冨永乙吉氏は、明治末から昭和にかけて、狛犬や神牛像など多数の石彫を手がけ、加布里天満宮や十六天神社、志自伎神社、日吉神社などに現存します。氏の作品は、口内に玉を表現した阿形狛犬や、ソフトクリーム状の渦を巻く毛並みなど、特徴的な彫法が共通です。
父は冨永才吉氏。松末天満宮にその狛犬がある(明治42年;1909年)
ちなみに、乙吉さん作の狛犬の中では武十六天神社が最も古いレベルです。(シビックテック糸島2025年活動内)
1907年 花掛神社 加布里石工 富永 才吉、乙吉 明治四十年十一月
1917年 十六天神社(武) 加布里石工 富永 乙吉 大正六年十月吉日
1921年 加布里天満宮 加布里石工 富永 乙吉 大正十年十月
1930年 志自岐宮 加布里石工 富永 乙吉 昭和五年十月建立
1939年 蔵持宝満宮 加布里石工 富永 乙吉 昭和十四年二月
1946年 伊都国宮地嶽神社2 加布里石工 富永 乙吉 昭和二十一年一月
鎮懐石八幡宮 加布里石工 富永 乙吉 不明
伊都国 宮地嶽神社 加布里石工 富永 乙吉 不明
狛犬を作成した加布里の石工 冨永乙吉についての調査
本殿横には、乙吉さんの狛犬より先代と思われる肥前狛犬がいます。南側に置かれた阿の狛犬は「笑う狛犬」、北側の吽の狛犬は素朴でかなり古いものと思われます。
「肥前狛犬を学ぶ会」からは十六天神社のこの狛犬も有名で、事務局長だった故永淵氏より資料を入手してここに見に来られた方もあります。SNSでの投稿を見られた方は、「参道ではないように見受けられますが、どこに鎮座されていますか」といった質問もあります。
複数の狛犬がいる神社では、通常、きちんと阿吽を対にして本堂までの参道に並べられていることを考えると、十六天神社のこの狛犬に対して、扱いが雑なのではないかと感じる。
狛犬の年代は不詳ですが、すぐ近くに置かれた灯篭(常夜燈)には宝暦十三癸未(1763年)との掘りがあります。
同じように置かれた手水石も残っており、大変貴重です
参道入り口には、天明八戊申年 の立派な鳥居に「天満宮」とあります。
左(北側)の柱には、柱の継ぎ目の傾きを小さい鉄の板で微調整した跡があります。クレーンも無い時代に柱の傾きの微調整をどうやったんでしょうね。200年以上前の息づかいが感じられます。
日本の盃状石は縄文時代から作られている。
鎌倉時代には村の入り口に魔よけの目的で作ったり、神社の灯篭や手水石等に彫る事が多くなった。
江戸時代には従来の目的に加えて、昔作られたものを元にして新たに数多く作られた。
盃状穴信仰は維新後も残り、昭和初期までは作られていたという説もある。
元は別の場所で雨ごいのなど祈り目的だった石を、建築材として集めて石段に設置された可能性があります。
雨の日は石質の違いが明確ですので、風情のある階段を一段一段石の表情を読みとりながらゆっくり上がるのも風情があります。
本殿北側の碑文、元文元年(1736年)には次のように掘られている。
伏願飢餓困窮苦前亡後滅一切羣
生無明消滅妙智現前共成佛道
飢餓や困窮、亡くなるなどの不安な文字が多く、なんか怖い感じがしますが、次の意味だそうです。
飢えや貧しさ、あらゆる苦しみがなくなり、すでに亡くなった人も、これから亡くなる人も、すべての生きとし生けるものが、迷いを断ち、仏の知恵を得て、ともに仏の道を成し遂げられますように。
儒学の発展・藩学の興隆により江戸時代に神仏分離政策が行われましたが、同じ敷地に残っていることから、武十六天神社は神仏分離よりも昔から存在するものとなります。
絵馬も数多く奉納されているが、明治29年吉日「熊本城之図 」がとても気になる。なぜ糸島の武十六天神社に熊本城の図があるのか分からない。元の絵は、赤星閑意『熊本城之図』明治時代(19世紀)永青文庫蔵のようである。
これ以外にも本堂の天井を埋め尽くす絵馬は見ごたえもあるが、祭事などの時にしか見ることができない。
①【常夜燈】明治廿六年癸巳(1873年)
②【しめ柱】大正四年(1915年)
③【鳥居】天明八戊申年(1788年)
④【玉垣】大正六年(1917年)
境内には、家形の焼き物も見ることができます。
もし、家形埴輪としたら古墳時代(3世紀後半~6世紀) の可能性がありそうです
風情のある階段には長い歴史が感じられます。石ひとつの表情も感じられます。このような石段はどこにでもあるものではないです。
大きめの神社参道にはないとても風情のある石段です。
石段途中にある「願主右武村氏子中 」の石
武村の氏子が願い主かと思いますが。何でしょうね。後ろに年代が書いてあるかもしれない。
取り壊され(今は基礎石のみとなった)当時の参籠所の写真です。建物の写真については、出典にある写真を引用しているため、この写真は二次利用可能なCCBYライセンスではありません。出典urlはこちらですので、二次利用などについては各url先のライセンスに従ってください。
この頃は参籠所にまだ大きな絵馬がありました。
屋根や柱がいよいよ危険な状態に
こういった状況にあったという事をデジタルで残すのが大切
現在の様子。取り壊された参籠所跡は基礎石に柱のあとがあります。
まず、読み方は何だろう?と思いませんか。「じろくてんじんじゃ」です。実際、さまざまなフリガナの情報があります。
「じゅうろくてんじんじゃ」鎮守乃杜サイト(https://www.itoshima-jinja.com/93jurokutenjinja.html )の表題に記載
「そろくてんじんじゃ」2020.04.17 糸島新聞 (糸島の狛犬たち)(https://www.itoshima-jinja.com/93jurokutenjinja.html )の末尾に記載
「じろくてんじんじゃ」地元からは「じろくてんじゃ」と呼ばれています。庶民の農耕生活と密接な結びつきがり土地を富ませる地禄神社(ちろくじんじゃ)が語源か と思われます
歴史
由緒:不詳 (*1)
1736年:石碑(弊殿左;武村高嶌):元文元年(*8)
1763年:灯籠C(弊殿右):宝暦十三癸未 三月(*3)(*10)
1788年:鳥居A:天明八戊申年四月吉日(*3)
1872年11月3日(明治5年)明治政府の官社と諸社とに分類した社格制度(*2) により村社に定められた(*1)
1873年:灯籠A:明治廿六年癸巳四月建設、灯籠B:二丈村武 現住 福岡市日吉町 高島駒吉 石工 國廣石峯(*3)
1917年:狛犬A:加布里 石工 富永乙吉 大正六年 十月吉日(*3)(*9)
一貴山村村社十六天神社(*4)
大字武字武に在り。祭神諾册二尊,瓊々杵尊,相殿菅公。祭日九月十六日。
十六天神社は、庶民の農耕生活と密接な結びつきがり土地を富ませる地禄神社(ちろくじんじゃ)が語源かもしれません。
村社十六天神社 糸島郡一貴山村大字武字南武(*5)
祭神:天日高彦日瓊々杵尊,伊弉諾尊,伊弉册尊,菅原神
天日高彦日瓊瓊杵命は天孫降臨をされた神で、その本宮は霧島神宮(鹿児島県霧島市霧島田口)。
845年(承和12年)6月25日道真の誕生。太宰権師に左遷され、903年(延喜3年)2月25日に29才で逝去。文道の祖神。
主なる建造物:神殿,神殿上屋,弊殿,拝殿,参籠所
注:参籠所は2020年頃取り壊し済み
境内坪数:387坪
氏子区域及戸数:一貴山村大字武区 50戸
神札
武十六天神社の神札は一貴山校区ですので、鎮懐石八幡宮(https://www.chinkaiseki.com/contact/)がご担当です。
*1:武十六天神社:https://jinja-net.jp/jinja-all/jsearch3all.php?jinjya=7605
*3:灯篭・鳥居・狛犬:https://sora07.exblog.jp/22686575/
*4:糸島郡誌:https://dl.ndl.go.jp/pid/1186769/1/341、https://dl.ndl.go.jp/pid/1186769/1/346
*5:福岡県神社誌 中巻:https://dl.ndl.go.jp/pid/1040137/1/73
*7:糸島市「鎮守乃杜」:https://www.itoshima-jinja.com/93jurokutenjinja.html