皆様、石岡弓道会のホームぺージへようこそお出でくださいました。
石岡弓道会の歴史について、簡単にご説明させて頂きます。
明治34年の頃、常陸総社宮神域に3間×5間の弓道場があり、総社宮祭礼に競射の儀が奉納されました。当時、石岡地方の弓道は日置流雪荷派が主流です。
大正時代に入ると、石岡の弓道は大和流竹林派が主流となり、指南役の石上国太郎氏に大日本武徳会より精錬証が授与されています。
昭和21年大日本武徳会はGHQにより解散され、戦後石岡の弓道も振るわず寂れてしまい、総社宮の奉納射会も途絶えてしまいました。
弓道を求める声は数少ないものでしたが、石岡の国分寺境内に矢場を作り、岡崎儀実氏から小笠原流弓道の指南を受け修練に励んでいました。石岡弓道大会も他に先駆けて開催されています。
昭和21年12月、岡崎儀実氏は石岡弓道連盟を結成し、昭和36年同氏は個人で弓道場を建て弓道人の育成と石岡の弓道振興に努力されました。同氏は、弓道範士八段、昭和42年~44年まで、茨城県弓道連盟会長の要職を務める等、功績は甚大であります。(昭和51年弓道九段追贈)
昭和41年4月、芹澤雄二氏、武藤生三氏が発起人となって弓道同好者6名と共に、茨城県弓道連盟石岡市支部が設立され、石岡市体育協会(現:スポーツ協会)にも加盟し、岡崎範士を顧問に力強く発足しました。昭和47年に芹澤雄二氏は個人で、筑波山を望む風光明媚な高台に間口3間×奥行き3.5間の弓道場を建設され、石岡の弓道同好者に提供されています。現在我々が親しんでいる弓道場です。
平成24年に芹澤雄二氏が逝去された後、芹澤家のご厚情ある計らいにより道場の全てが石岡市に寄贈されました。我々は「芹澤記念弓道場」と名付け、弓道を学ぶ会員の拠り所としております。
令和3年7月
石岡弓道会 稲葉健次郎
38名が在籍しています。
2025年8月1日現在
称号者
教士七段
錬士六段
錬士六段
段位
五段 3名
四段 11名
参段 5名
弐段 9名
初段 4名