高圧力は原子間の距離を積極的に変えて相互作用を直接的に操作できるので,新物質や新機能を探索する上で極めて効果的な外場です.その圧力効果を研究する上で,元素選択的な局所構造と電子状態のプローブであるXAFS(X-ray Absorption Fine Structure)は有用といえます.それは内殻電子の束縛エネルギーよりも高エネルギーのX線を試料に入射すれば,内殻電子は光電子となって外殻の非占有軌道へ遷移するため,電子殻と元素を特定した電子状態の解析が可能となるからです.またX線の余剰エネルギーが大きければ,光電子は周辺原子と干渉し,吸収スペクトルにEXAFS(Extended X-ray Absorption Fine Structure)と呼ばれる振動構造が現れます.この原理に由来してEXAFSからは吸収原子周りの局所構造解析が可能となることも利点です.
圧力セル内に封入される試料の高圧下XAFS測定には,アンビルのX線吸収や微小な試料体積の問題でしたが,放射光の高輝度化と圧力発生技術の発展により問題解決されました.さらに,ナノ多結晶体のダイヤモンドアンビルの使用によって,単結晶アンビルからのグリッチの問題がなくなったことから,高圧下XAFSでも常圧と遜色ないスペクトルが得られるようにもなりました.
一般的な単結晶ダイヤモンド(SCD)アンビルとナノ多結晶ダイヤモンド(NPD)アンビル.NPDは無色透明というより黄色に近い.
SCDとNPDの圧力セルを使った場合のXAFSスペクトルの違い.金属ReのL3端の場合.SCDではグリッチが多く試料本来のスペクトルがはっきりしないが,NPDでは試料本来のシグナルが検出できる.
Fe不規則合金の構造決定と熱弾性異常の起源の研究
不規則合金はFeやNiなどの異種の金属原子が結晶の格子点をランダムに占有する合金構造のことである.逆に特定の結晶格子を同種原子が占める構造を規則合金という.γ相(fcc構造)をもつ鉄不規則合金にはNiやPtなどのFeと性質のよく似た金属元素の組成を僅かに変えるだけで弾性特性や磁性が劇的に変わる多様性がある(図1).その代表はFe65Ni35の狭い合金組成で現れる熱膨張ゼロのインバー効果であろう.インバー合金では強磁性の磁化に依存した体積変化(磁気体積効果)が大きく,温度上昇で磁化が減少すると磁気体積効果により格子が収縮し格子振動による熱膨張を打ち消す.一方でFe-Ni合金にCrを加えFeの組成も増やすとγ相のステンレス合金(SUS300系)となる.ばね材に使われる硬いYoung率を示し,通常金属よりも熱膨張は大きい.これはYoung率が小さく柔らかい合金のインバー合金と対照的である.
バンド強磁性体として振る舞うFe合金は遍歴電子磁性体に分類される.このため磁気体積効果も磁化Mの自乗に比例するStoner-Wohlfarthモデルやこれにスピン揺らぎを加えて議論された.ただ,これらのモデルは異なる磁気モーメントをもつFeとNiが平均化され,ランダムに並ぶ磁気構造を考慮していない.このため,合金の原子配置の正確な可視化が必要といえる.ところで不規則合金は「結晶」の周期性とガラスのような乱雑さが共存しその構造決定は難しい.不規則合金のX線回折は「結晶」の回折パターンを与えるので,各格子点を異種原子が組成の割合で占めるモデルで構造を平均化する.これは長距離構造(バルク:R > 1 mm)なら問題ない.しかし合金の短距離構造(R < 5 Å)では,各原子が周りの原子と相関なくランダムに占有するのではなく,FeとNiの周りの原子配置に明らかな違いが観測される.このため短距離構造とX線回折の長距離構造の相違を矛盾なく橋渡しする合金構造の可視化が必要となっている.
そこで私の研究では,逆モンテカルロ(RMC)法を用いて異種原子がランダムに配置したFe合金の中距離スケールの構造決定法を確立し,合金構造を可視化する.このため,元素選択性があり短距離(R < 5 Å)の配位環境をプローブする広域X線吸収微細構造(EXAFS)を中心に,元素選択性はないが原子位置の中距離相関(R > 20 Å)をプローブする二体相関分布関数(pair distribution function: PDF)データを組み合わせたRMC法にも取り組んでいる.構造・磁性・電子状態を平均化する従来の解析法では考慮できなかった合金の乱れた原子配置を再現することで,Fe-Ni合金の磁気体積効果の起源をFe-Fe原子対を軸に解明する.特に圧力変化の測定から各原子対の圧縮率を求め,これらの原子対が捻じれや屈曲を伴って連結した中距離構造をみることでバルクの弾性特性と関係づける.この解析をインバー合金から着手し,非インバーのFe-Ni合金,負の熱膨張を示すFe-Pt合金の優れた弾性特性の起源解明まで展開している.
Fe-Ni合金の合金構造解析[1,3]
Fe65Ni35インバー合金において,RMC法で得られた原子クラスター構造から部分二体分布関数gij(R)を導出し,Fe-Fe,Fe-Ni,Ni-Niボンド長の圧力変化を調べた[1].図1(a)-(c)にRMC解析により求めたFe65Ni35合金の(a)3種の最近接ボンド長,(b)X線磁気円二色性(XMCD)から求めた磁化,および(c)格子定数の圧力変化を示す.図1(a)に示すように第1近接Fe-Fe原子対は低圧でFe-NiとNi-Ni対よりもボンド長が長いが,その差は加圧に伴って減少し,最大圧力の16.3 GPaでは3種の原子対で長さはほぼ一致する.インバー合金のゼロ熱膨張は顕著な磁気体積効果に起因するが,原子レベルで見ると,その体積膨張をFe-Fe原子対の伸長が担うと解釈できた[1].
Fe65Ni35インバー合金からNi組成を僅かに増やすと熱膨張係数が急激に増加し,Niが45at.%以上で通常金属の熱膨張係数に回復する.しかしFe55Ni45不規則合金は10 GPa近傍で圧力誘起のインバー効果が報告されている[2].このため,この合金についてもEXAFS測定を圧力下で行い,RMC法により合金構造を解析した.図1(d)-(f)はRMC解析により求めたFe55Ni45合金の結果である.図1(d)のように最低圧で約0.02 ÅのFe-Feボンド長の伸長をFe55Ni45合金でも確認した.Fe-Feボンド長の伸長と磁化の圧力変化との対応はFe65Ni35インバー合金よりも明瞭である.磁化が加圧に対し安定な臨界圧力PIまでFe-Feボンドの伸長が維持され,PIからPCとした常磁性転移への圧力範囲で磁化の減衰に伴ってFe-Fe対の収縮する振る舞いが観測できた.また図1(e)に示した平均構造である圧縮曲線との対応も良い.この合金でも磁気的な不安定領域で圧力誘起インバー効果が起こることからFe-Fe対の伸長/収縮がインバー効果の微視的起源と分かった.さらにfcc構造のFe-Ni合金ではFe55Ni45以外の組成においても磁気体積効果によるFe-Fe対の伸長が共通する可能性が高い.このため熱膨張ゼロのインバー効果は,合金中のFe-Fe対の数と強磁性秩序の安定性の繊細のバランスによって発現すると考えられる.現在この可能性をNi組成がさらに大きくFe-Fe対の密度が低いFe20Ni80合金で検証している.
(a) Fe-NiとFe-Pt合金の熱膨張係数の組成依存性.(b) Fe65Ni35インバー合金とFe72Pt28負の熱膨張合金の合金体積の温度変化.
RMC解析により求めたFe65Ni35インバー合金とFe55Ni45合金の(a,d)3種の最近接ボンド長,(b,e)あXMCDから求めた磁化,および(c,f)格子定数の圧力変化 [Y. Kubo, N. Ishimatsu et al. Front. Mater. 9,954110 (2022). ].
遷移金属-希土類金属化合物磁石材料の高濃度水素化による磁気構造の 圧力変化
4f希土類-3d遷移金属化合物は軽希土類金属と重希土類金属の場合で希土類4f磁気モーメント(M4f)と遷移金属3d磁気モーメント(M3d)がそれぞれ平行(強磁性),反平行(フェリ磁性)に配列する磁気構造を持つ.しかし重希土類化合物のGdFe2を高圧下で水素化すると10 GPa以上でFeのM3dが反転し,M4fとM3dが平行に配列する強磁性的な磁気構造が確認された[1].このため高圧下での高濃度水素化に伴う磁気構造の変化が注目される.そこで円偏光X線を用いたX線吸収分光法のX線磁気円二色性(XMCD)を用いるとM4f,の反転がプローブできることを利用して,我々は遷移金属リッチな4f希土類-3d遷移金属化合物における高圧下の高濃度水素化に起因した磁気構造をXMCDで調べている.加圧には小型の圧力装置Diamond Anvil Cell (DAC)を用い,水素量と結晶構造はX線回折法(XRD)から決定した.なおDACへの水素充填はNIMSまたはSPring-8で実施し試料を高圧下で水素化する.XMCDとXRDの測定はそれぞれSPring-8のBL39XUとBL10XUで行っている.
一例として軽希土類磁石SmCo5の水素化の結果を示す[2].図1はT ~16 Kで測定したSm L3端とL2端XMCDの圧力変化である.常圧でのSmCo5の複雑なL2端のXMCDスペクトルは水素化でSmとCoとの5d-3d混成が弱まることで形状が変化し,参照試料のラーベス相SmAl2のXMCDに類似し逆符号をもつスペクトルとなる.逆符号のXMCDはL3端でも観測された.非磁性のAlを含むSmAl2はSmのM4f が磁場方向に向く磁気構造であるため,SmCo5Hx の逆符号のXMCDは水素化によりSmのM4fが磁場と反平行を向く磁気構造であることを明瞭に示す.またCo K端XMCDからCoのM3dは水素化後も磁場方向を向くと分かったので,軽希土類のSmCo5の場合は水素化により強磁性からフェリ磁性に変化したことが分かった.なおSmCo5Hxの結晶構造は低圧相がSmCo5の2倍のc軸を持ち,約13 GPaで現れる高圧相は√3倍のa軸をもつ構造である.SmCo5からの体積膨張から水素量を導出すると,H/M~2.25 (x=13.5)までの高濃度水素化が実現していることが分かった.
水素化に伴うこれらの磁気構造の変化は,次世代の永久磁石材料に応用できるかもしれません.重希土類金属の化合物についても,M4fの反転に伴う強磁性の磁気構造を高圧下で見出しており,研究を進めています.
[1] T. Mitsui et al., J. Phys. Soc. Jpn., 85, 123707 (2016).
[2] N. Ishimatsu et al., Phys. Rev. Mater. 7, 024401 (2023).
SmCo5の水素化に伴うSm L3およびL2吸収端XMCDの圧力変化.水素化によりSmのモーメントが反転する.[N. Ishimatsu et al., Phys. Rev. Mater. 7, 024401 (2023).].