研究内容
研究内容
波長が1nm程度の電磁波である軟X線は、物質中の電子スピンに敏感な磁気プローブでもあります。この軟X線を用いて、マルチフェロイック物質やスピントロニクス材料等を対象とした磁性体研究を行っています。最近では、X線のコヒーレンス性を利用した実空間イメージング技術とパルス性を利用した時分割測定を組み合わせた、時分割磁気イメージング手法の開発を行っています。これにより、磁性体中のミクロな動的構造を観測することが目標です。磁性体研究に用いることのできる高輝度な軟X線は、大型放射光施設で利用でき、Photon FactoryやSPring-8, 海外の放射光施設を利用しています。また、X線だけでなく、ミュオンや中性子線といった、いわゆる量子ビームを積極的に利用して、多面的な磁性体研究を行っています。
最近の研究
磁気の秩序が現れると同時に電気分極が生じる物質を「マルチフェロイック物質」と呼びます。Tb0.515Gd0.485Mn2O5の場合、低温(約40ケルビン以下)で磁気秩序の出現と同時に、電気分極が発現します。更に温度を下げると、電気分極が消失する特徴的な振る舞いを示します[図(b)]。この現象の起源はこれまで明らかになっていませんでした。
本研究では、中性子散乱実験を用いてこの物質の磁気構造を解明しました[図(a)]。その結果、電気分極が発現する要因が、格子整合なサイクロイド型磁気構造であることを突き止めました。また、電気分極が消失する最低温相では、格子整合を保ったままサイクロイド型磁気構造がサイン波型磁気構造に変わることも分かりました[図(b)]。これまで、REMn2O5 (REは希土類元素) と称される物質群では、格子整合な磁気秩序が出現する場合、サイクロイド型磁気構造は強誘電性にあまり寄与せず、面内の共線的な磁気構造が主に電気分極を生じると考えられていました。しかし、本研究はその定説に一石を投じる結果を示しており、REMn2O5系においてサイクロイド型磁気構造が電気分極の発現に果たす重要な役割を再評価する必要があることを示しています。本研究の成果は、Physical Review B誌に掲載され、Editors' suggestionに選出されました。
GHz帯のマイクロ波を磁性体に入力すると、マイクロ波のAC磁場により磁化ダイナミクスの一種であるマグノンが励起されます。本実験では、磁性薄膜(Ni-Fe 30 nm)中に励起されたマグノンを、時分割X線測定を用いて直接的に観測しました[図(a)(b)]。この実験では100 ピコ秒 (10のマイナス10乗秒)程度の短時間で起こる磁気モーメントの歳差運動の様子を、実時間で測定しています。更に、エネルギースペクトルに対するベイズ推定解析を行うことで、ダイナミクスにおける電子のスピン角運動量と軌道角運動量の評価を定量的に行いました[図(c)(d)]。本手法は、スピントロニクスデバイスに対するオペランド計測や、近年注目を集める軌道モーメントの物理に対して、有効な手法になることが期待できます。本研究をまとめた論文は、Scientific Reports誌に掲載されています。
時分割X MCDを用いたマイクロ波励起のマグノン観測。(a)実験配置。(b)遅延時間に対するX線信号強度の変化。信号強度が数十ピコ秒程度で振動しており、マグノンが実時間で観測されていることを示している。(c) 時分割測定における信号強度のエネルギー依存性(Ni X線吸収端付近)と(d) ベイズ推定解析を用いたスピンと軌道モーメントの比に対する事後確率分布。
等位相面(波面)がらせん状に回転する光を光渦と呼びます。このような光は、波面が回転していることに起因して、軌道角運動量や中心に位相が定義できない位相特異点を持つ等、特殊な性質を持つことから、様々な分野において注目を集めています。軟X線領域に関しても、ごく最近、中心に位相欠陥(トポロジカル欠陥)を持つフォーク型の回折格子を利用した光渦の生成が報告され、磁性体観測手法への応用へ期待が高まっています。例えば、磁性体中に同様にトポロジカルな欠陥構造が存在していた場合、軟X線を照射し、そこから生成された光渦を観測することで、元のトポロジカル欠陥の詳細を知ることができます。一方で、このような観測を行うためには、生成された光渦の位相分布を可視化し、そのトポロジカルな性質を抽出することが重要になってきます。
我々は、Inline Holographyと呼ばれる干渉効果を利用した手法により、フォーク型回折格子から生成された軟X線光渦のらせん状の位相分布を世界で初めて可視化することに成功しました。このらせん位相分布は、元の欠陥構造(この場合はフォーク型回折格子)のトポロジカルな構造を如実に反映しています。従って、本手法を応用することで、磁性体中のトポロジカル欠陥構造の新たな観測手法の実現が期待できます。本研究をまとめた論文は、Physical Review Applied 誌に掲載されました。
フォーク型回折格子から光渦が生成される様子と、実際に得られたホログラフィー画像、光渦のらせん位相分布。
磁気秩序が強誘電性を誘起するマルチフェロイック物質では、電気分極が発現するいくつかの磁気構造が知られています。特に、磁気モーメントがらせん状に回転する構造を持つ磁気サイクロイド構造が有名です。一方で、マクロな電気分極は、イオン変位や電子偏極等の更に局所的な電気分極が長距離に渡って整列することで生じます。しかしながら、このような局所的電気分極と磁気構造の関係は明らかになっていませんでした。
本研究では、共鳴軟X線散乱実験とµSR実験を利用することで、磁気サイクロイド構造を有するマルチフェロイック物質YMn2O5の酸素サイトの磁気偏極を調べました。この酸素サイトの磁気偏極は、共有結合を介した、隣接する磁性イオンとの電子移動を反映します。すなわち、電子移動の度合いが強まる程、酸素の磁気偏極も大きくなります。磁気サイクロイド構造を担う酸素サイトの磁気偏極を詳細に観測すると、温度の低下による磁気サイクロイド構造の発達に伴い、酸素の磁気偏極も増大することが明らかになりました。このことは、磁気サイクロイド構造が磁性イオンと酸素イオン間の電子移動という局所的な電気分極を誘起していることを示唆する結果です。本研究をまとめた論文はPhysical Review B誌に掲載され、Editors' Suggestionに選出されました。