現代の教育研究は、授業技術や学習方法に関する研究に偏重しすぎており、学問内容そのものに立脚した研究が十分に行われていない。たとえば「どのように問いかければ子どもが関心を持つか」といった方法論的工夫は盛んに議論されるが、その背景にある学問の知的性格や世界観を深く理解しない限り、教育の核心に迫ることはできない。本来、授業方法は学問内容の性質を正しく捉えることによって自ずと規定されるものであり、内容なき方法は空虚に終わる危険を孕んでいる。
また、教師自身が「学ぶ喜び」や「探究の楽しさ」を実際に経験していなければ、その感覚を子どもに伝えることはできない。学校教育は単なる知識伝達や「死んだ学問」を暗記させるものではなく、学問が人類によって積み重ねられてきた営みであり、現在もフロンティアで生成され続けていることを示す場であるべきである。学問の知的魅力と創造性を生きた形で伝えることが、教育の本質に直結する。
その意味で、INFUSEが目指すのは、単に既存のカリキュラムを改良することではない。学際的な探究と基礎科学の最先端研究を往還的に結びつけ、「教育そのものを新たに創出する」試みである。あらゆる基礎科学の成果は、人間の認識や世界観を根底から更新する力をもつ。それを学校教育に持続可能な形で接続することは、子どもたちからの「なぜ学ぶのか」という根源的問いへの応答を与えることにつながる。
現行の教育カリキュラムは「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体的に学ぶ力」という三本柱を掲げているが、その背後にある「そもそもなぜ学ぶのか」「学ぶことにどのような意味があるのか」といった問いはほとんど扱われていない。こうした問いを抜きにした学びは、しばしば「他者の評価に忖度するための学び」や「強制的にやらされる行為」へと矮小化されてしまう。
一方、大学の研究者もまた、自身の研究が学校教育とどのように接続しうるかを意識する機会が少ない。アウトリーチ活動は盛んに行われているが、最新の成果を「伝える」にとどまり、学問的視点やカリキュラム基盤と結びつくことは稀である。その結果、「学ぶこと自体の面白さ」「学問の凄み」「学問は人類が築き上げた至高の宝物である」という観点は学校教育の中に十分に浸透していない。
INFUSEは、この断絶を超えるために設立された。私たちは、最先端の学際的基礎科学研究を実際に進めながら、その知見と方法を教育に往還させる。ここでいう「教育」とは単に授業の方法を意味するのではなく、学問の知的性格を保持しつつ、それを子どもたちの発達段階に即して提示する新しい教育の形である。Jerome Bruner が「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階の子どもにも効果的に教えることができる」と述べたように、学問そのものがもつワクワク感を損なわないカリキュラムは実現可能であり、最先端の研究はそれを生み出す可能性を秘めている。
この研究会は、学際的な探究を通して「他者の哲学に敬意を払える人」を育て、科学を「理解している人」を超えて、科学に「理解がある人」を社会に育てていくことを目指す。学問と教育を同時に創出するこの試みは、子どもたちの根源的疑問―「なぜ学ぶのか」―に応答できる新しい教育の姿を模索する場となる。