コメント付き経歴
学歴
1999年4月 - 2004年3月 東京都立大学理学部数学科 B類
B類というのは夜間コースのことです.通常は夜間学部として別のカリキュラムが組まれ学位も通常と異なりますが,都立大は卒業に5年間かかるという点を除けば昼間コースと同じカリキュラムで教育を受けることができ,かつ学費は半額(年間23万)でしたのでお得感がありました.必修科目が午後6時から開始だったので,昼間はサークル(ジャズ研)やバイトなどして過ごしていました.
2004年4月 - 2007年3月 東京都立大学理学研究科 博士前期課程
都立大の修士に進学しました.うち2004年4月 - 2005年3月の最初の1年は休学し,アメリカのワシントン州の幼稚園小中高校にて日本語・日本文化講師として従事しました.なかなか面白いプログラムで,学校の先生または生徒さんの家にホームステイしながら日本文化や日本語の基礎を現地の子供たちに教える,というものでした.講義のアレンジから様々な交渉まで全て一人でやらなければならなかったので,ものすごく大変でしたがその分語学力もものすごくつきました.
最初は数学はもうやめるつもりでアメリカに行きましたが(修士は保険のつもりだった),実際離れてみるとまた勉強したくなってくるもので,1年で帰国・復学し,2年間勉強して修士を取得しました.
2007年4月 - 2008年3月 広島大学大学院理学研究科 博士後期課程
都立大の指導教員である酒井先生がちょうど私の修士取得と同時に定年退職なされたので,博士後期より須川先生にお世話になることになりました.初の西日本暮らしでしたが,結局1年しか在籍しませんでした.「じゃけえ」の多様性に関心しました.今思えばもっと西条で日本酒を楽しんでおけばよかったです.
2008年4月 - 2010年3月 東北大学情報科学研究科 博士後期課程
指導教員の須川先生の異動に伴い広島大学から東北大学に移動しました.正式には「転入学」となるそうです.仙台は本当によい街で,できるものならここにずっと住みたいなと思えるようなところでした.ここでの2年間はゆっくり勉強・研究に集中できた気がします.おかげで論文もいくつか書くことができ,無事博士号を取得することができました.ただ卒業後のポストは見つからず...
職歴(任期あり)
Apr. 2010 - Sep. 2010 研究生,東北大学
博士号を取得したはいいものの就職先は見つからなかったので,ひとまず研究生という形で東北大に半年間在籍させてもらいました.この間仙台の予備校でアルバイトしたり,若手の海外派遣に当たったのでかなりの高待遇で1ヶ月間ドイツのWürzburg大学に行ったりしていました.
Oct. 2010 - Dec. 2010 講師,State School of Higher Education in Chełm(ポーランド)
ポジションが見つからずに足掻いていた頃,できる事はなんでもやろうと思い,一度でも会ったことのある外国人の先生方に片っ端から履歴書と論文を送っていました.その中で幸運にもポーランドのZając教授から「2010年10月からならうちに来ても良い」という返事を頂く事ができました.そして9月末頃にポーランドのChełmへ.私に与えられた職は「講師」で,ひとまず3ヶ月働かせて頂ける事になりました.お給料は月2000zł(6万円くらい).安い.ただ衣食住は完全に与えられたのでお金はほとんど使いませんでした.
Jan. 2011 - Mar. 2011 招待講師,Maria Curie-Skłodowska University(ポーランド)
Chełmで3ヶ月働いたのち,契約延長は資金の関係上厳しいとの事で2011年1月からは再び無職が決定的になりました.困っちゃったねと大学の部屋で同室だったおじいちゃん先生に話すと,その方はどうも大変偉い方だったらしく,あっという間にマリ・キュリー大学での3ヶ月間のポジションを用意してくれました.ここでは「招待講師」という職を与えられ,大学院生向けの講義などを担当しました.お給料は3ヶ月合計で2000€くらいだったと思います.
ちなみに年末年始に10日間ほどウクライナのLvivに滞在しました.ビザの更新の関係で1週間以上EUの外に出る必要があったのです.戦火にさらされた状況を見ると心が痛みます.あの頃滞在したホテルは,あの時会った人たちは無事でしょうか.
Apr. 2011 - Mar. 2013 DAAD博士研究員,University of Würzburg(ドイツ)
ポーランド滞在中にDAADというドイツの奨学金(日本人奨学生第1号は東山魁夷!)に応募し見事勝ち取り,2011年4月からドイツで研究できる事になりました.任期は3年間.といっても最初の4ヶ月間は強制でFrankfurtの語学学校に通わねばなりませんでした.月から金まで朝から晩までドイツ語漬け,研究活動は禁止.4ヶ月もするとおおむねドイツ語で生活ができるようになりました.それから1年8ヶ月は平穏で幸せなWürzburgでの研究の日々でした.学振PDの採択に伴い,奨学金は2年で辞退しました.
Apr. 2013 - Mar. 2014 招待研究員,University of Würzburg(ドイツ)
ドイツ滞在中に学振PDに応募し.面接免除で無事採用されました.それに伴いDAAD博士研究員は2年間で辞退し,学振PDに鞍替えしました.学振PDの任期は3年ですが,うち1年半は海外に滞在してもよいというルールでしたので,最初の1年はJSPSから派遣された招待研究員(Gastwissenschaftler)という立場でWürzburg大学に引き続き滞在しました.
DAAD時代と違い今度はJSPSの豊富な資金があったので,それをもとにヨーロッパの色々な大学を訪問しました(スペイン,フランス,イタリア,ポーランド,ルーマニア,ハンガリー,オーストリア,アイスランド,トルコなど).ここらへんでできた人脈と研究の種が今も生きている気がします.
Apr. 2013 - Mar. 2015 学振PD,東京工業大学
3年間のドイツ生活を終えて帰国しました.学振PDの受け入れ先は東工大の志賀先生でしたので,2年目からは東工大で研究を続けました.東工大のポスドクの部屋がすごく変な場所にあったのを覚えています.この間に山口大学の公募に応募し,無事採用されました.後から数えてみたらトータルで50件目の応募でした.
職歴(任期なし)
Apr. 2015 - Mar. 2019 講師,山口大学
念願のパーマネント職を得て,未知の土地山口県宇部市に引っ越しました.ここに来る前の東工大時代は自由が丘まで徒歩圏内・渋谷まで電車で1本みたいな場所に住んでいたのでその差に最初は戸惑いましたが,住んでみると居心地の良い土地でした.野菜や魚は安くて美味しいし,日本酒は獺祭雁木東洋美人と目白押しだし,大学はのんびりしているし.関東に帰るのも,大学から山口宇部空港まで車で10分もかからず駐車場も無料,飛行機は羽田便が1日10往復あるので帰省しやすいです.欲を言えば近くにKALDIとばーみやんとサイゼリアが欲しいですが,まあなくても別によいです.
Apr. 2019 - Mar. 2025 准教授,山口大学
准教授になりました.名前が変わっただけで仕事もお給料もほとんど変わりませんでしたが,Professorの肩書はビザが必要な外国人ゲストを招聘するときににいくつか提出書類を免除できるので便利です.
Apr. 2025 - 現在 教授,山口大学
教授になりました.急に委員長やら会議やらが増えて,教授が管理職であるという事実を改めて実感しました.平穏で静かなな山口での生活はまだまだ続きそうです.