私たち夫婦は留学生の多い社会基盤学専攻の中でも、特に留学生の多い土質研究室の出身です。学生時代から研究を手伝ってもらったり、家庭料理をご馳走になったり、留学生とのお付き合いがありました。結婚し、子供を持ったことをきっかけに、ホストファミリーを始めました。現在は家族ぐるみで留学生とのお付き合いを楽しんでいます。
もともと海外旅行が好きだったこと、英語を使う機会が欲しかったことが入会の動機です。初めてのホストファミリーで紹介されたのは同い年のエクアドルの男子学生、シクスト君。彼を担当する間に、結婚・出産という大きなイベントを迎え、自分のことで忙しくなかなか時間がとれませんでしたが、結婚式や出産見舞いに来てくれたり、お姉さん夫婦やご両親と東京を観光をする機会もあったりして、よい思い出になりました。実はおじいさんがエクアドルの元大統領だったことを帰国後に知り、ラテン系の気さくな青年だったので、とてもびっくりしました。
2人目はネパールの灌漑省から、奥様と小さなお子さんを連れてやってきたマヘーシュさん。私の主人が国交省職員ということもあり、仕事内容、家族構成、世代もほぼ一緒、「転勤が多くてついていくのが大変」「身分は保証されているけれど給料は安い」というようなちょっとした愚痴まで一緒で、すぐに意気投稿しました。その頃の私は小さな子供の世話に忙しく、気持ちに余裕がなくなることもありましたが、ネパール人の奥様のいつも謙虚で穏やかな、古き良き日本女性を思わせるような人柄に触れ、こんな母親になりたいと思いました。他にもネパールから来ていた留学生が何人かいたので、一緒に水戸や日光に出かけたり、お互いの家でホームパーティーをしたりしました。
3人目はスリランカの灌漑省で働く、同世代の女性シティージャさんです。彼女は小学生と中学生のお子さんがいて、ご主人はスリランカの建設会社にお勤めでしたが、家族を支えるために2年間休職して、都内のレストランで働いていました。最近のスリランカの留学生は20代と若いのですが、彼女が若い頃は国の情勢が不安定で、留学のチャンスがあまりなかったそうです。しかし今後の昇進のために、意を決して家族での留学に踏み切りました。
初めて子供たちに会ったとき、スリランカでは優等生だったはずが、言葉の通じない日本の学校に溶け込めず、かなり不安な表情をしていました。そこで、近所に住んでいたため、土曜の朝、月に数回ほど、市のボランティア団体が運営している日本語教室で勉強を教えることにしました。最初は何から始めたらいいか分からない状況でしたが、とにかく漢字の勉強を頑張って、帰国時には日本語検定の4級と5級にそれぞれ合格しました。試験の結果よりも、日本でいい思い出を作って欲しいという一心で、子供たちと遊びに行くつもりでやってたのですが、シティージャさんは、自分の研究で忙しく、子供たちの面倒を見る時間がなかったので、心から感謝してくれました。
2018.10~2020.09
アハマッドさん(パキスタン出身)
4人目はパキスタンの研究所(NESPAK) で働く、アハマッドさんです。奥様の作る手料理はとても美味しく、何度もご馳走になりました。最初の1年は東大の寮がある白金台にあるに滞在し、都内の観光を楽しんでいました。2年目は私の家から近いUR三郷団地に引っ越し、大型ショッピングモールやスーパーマーケットが充実している郊外型の暮らしを満喫していました。最初の頃は頼れる人が少ない中での初めての育児で、息子さんの発育をとても心配していましたが、そうこうしているうちにコロナウイルスで学校が閉鎖されてしまい、最後の半年間はご主人も在宅で研究を続け、無事に卒業し帰国することができました。コロナ禍で連絡を取り合い、時々会ってお互いを励ましあったことが、今となってはよい思い出です。
公園でピクニック
いちご狩り
手料理によるおもてなし