なぜ研究をするのか

3つの集合により研究が成立する

    研究をはじめるとき,研究を進めているとき,研究を論文にまとめているとき,研究資金を獲得しにいくとき,いろんな場面でふと立ち止まり,なぜ研究をしているのか考えるときがある.また,それを他者に客観的に説明するためにはどうしたらいいだろうか.ただ興味があるだけでは,おそらく納得はしてくれない.そこで,これを研究が成立するための3つの条件から考えることにする.


• 真理の探究

  研究である限りは真理の探究に向かうものがないと何も始まらない.そのためには,誰かが説いた既にある道をただ歩くのではなく,荒れ野があることに気がつき踏み出す勇気がいる.すなわち,解くべき問題が存在することを自ら定義し,未だかつて解決されていない問題であることを示すことが必要である.


• 社会の要請

  いかに真理であろうとも,社会が許容しなければガリレオやニュートンであろうとも迫害される.社会の中で生き社会的なリソースを使って研究する以上,社会的な要請に応えることが求められ,人類社会がどこに向かい解決すべき問題がどこにあるかが定義される必要がある.そして,その結果が社会に対してオープンになることが必要である.

  とはいえ,すでに認識されている自覚的な要請に応える(customer satisfaction)だけにとどめず,まだ問題とすら認識されていない未自覚な問題を提起をすることが研究をする上での責務である.

  ただし,前例を踏襲して多少の改善がみられることのみを成果とするような重箱のすみは志すべきではない.


• 方法論の確保

  いかに魅力的な価値観の創出に見えたとしても,そこに科学的妥当性が担保されていなければ何の価値もない.すべてのリソースの浪費である.科学的妥当性を担保するためには,再現性,信頼性を満たす方法論,証明論理を構成し,基礎科学のアプローチである観察,仮説,実験(再現)により現象を説明できることが求められ,検証可能性を提供する必要がある.そのため,取り組みたい研究対象にアプローチできる科学的方法論が存在し,自身にそれが実行可能であることが必要だ.もし今それがなければ,新規の方法論を構築し当該分野のフロントラインを前進させうることを示して,そこから研究をはじめるといいだろう.

  自身の能力を過信せず,自身の技術レベルを鑑み,倫理的,社会的に許容されるコスト,時間のなかで何が実施可能であるかを考えて方法論を選ぶ必要がある.


  これら3つの集合が重なったところに研究が成立する.こんなところに,なぜ自分がいまこの研究をするのかという問いに対する答えが見えてくるのではないだろうか.