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もうすぐクリスマス、ということでクリスマスに観たいディズニー作品を2つの作品を紹介したいと思います。
一つ目はクリスマスがテーマで、二つ目はクリスマスとはあまり関係なくただ筆者が好きな作品です。
(深夜に思ったことをつらつら書いているだけの怪文書であることをお許しください......)
ディズニーの代表キャラクターのミッキー&ミニーをはじめ、ドナルドやグーフィーたちのクリスマスにまつわる3つの物語が描かれた作品となっています。子ども向けに作られた作品ではありますが、忘れてしまった気持ちを思い起こしてくれ、クリスマスって何だろうと改めて考えさせられるので、大人にもおすすめな一作です。
順番にまずはドナルドとヒューイ・デューイ・ルーイ(ドナルドの三つ子の甥っ子)のお話。
「毎日がクリスマスになりますように」
そんなお願いが叶ってしまった三つ子たちの終わらないクリスマス。
最初こそ楽しかったものの、毎日同じ展開で飽きてしまいます。
日常になってしまったクリスマスを楽しむために三つ子が取った行動とは、それによって何が待っているのか......
というあらすじとなっています。
おそらくあらすじを見ただけで大体どんな話の展開は想像つくかもしれませんが、心があったまるだけでは終わらないのがドナルドが関わる話なので、最後まで楽しく見ることができます。ちなみに筆者の注目ポイントはクリスマス文化の描写と、いつもながらコミカルな動きで楽しませてくれるドナルドの描写となります。
見終わった頃にはクリスマスは1日だけで十分だなと子どもが納得してくれると思います。きっと今のディズニーのCMで「ずっとクリスマスだったらいいのになぁ」と言っているあの子にも伝わります。
二つ目はグーフィーと息子のマックスのお話。
あなたはサンタさんを信じていますか?そんなことを聞かれているような気になる一作。
グーフィーとマックスはサンタさん宛の手紙を出したり、ご近所のお手伝いをしたり、
サンタだと思っていたら実は泥棒だったと、
忙しい時間を過ごしながらもサンタを待つ二人の前に果たして本物のサンタはやってくるのか......
意外と知られていませんが、グーフィーはシングル・ファーザーで一人息子のマックスを育てている設定があります。息子やご近所さんのために頑張るのはカッコ悪い、だから最高にかっこいい父親として描かれているように感じます。今度グーフィーを見たときにはただ喋り方が独特なキャラクターな面だけでなく、お父さんキャラな面も思い出してあげてください。グーフィーはアメリカで人気なキャラクターのようで、主役映画2本も作られています。この短編を見た後は合わせてこちらの、
も観たくなります。少し成長したマックスとグーフィーの様子も必見です。上記の映画は今年劇場で公開されなかったピクサー映画私ときどきレッサーパンダにも大きな影響を与えた作品でさらも続いて観たいですね。連続で色々観たくなってしまいます。
トリはディズニーの顔のミッキーとミニーのお話。
お互いを思いやるあまりに、それぞれが一番大切な「物」を売ってまでクリスマスプレゼントを送ろうとする二人。
二人がそれぞれからの贈り物をもらったときに、何が一番大切なのかということに気がつきます。
楽しい話が続いた後の締めには少ししんみりとしたお話となっています。ミッキーとミニーの二人のお金を頑張って稼ごうとするがうまくいかなかないというシビアな世界線です。自分にとっては最悪で気分が乗らないときでも子どもの笑顔のために音楽を楽しく奏でてくれるミッキーはもはやさすがとしか言いようがありません。大人になってから見ると余計に心が締め付けられる描写が多めになっていて、はじめてミッキーの話を見る人はびっくりしちゃうじゃないかなといつも思います。辛い現実の中でも幸せを見出せるミッキーとミニーは素敵です。
最後は出演メンバーによるWe wish you a merry Christmasをはじめとした有名クリスマス・ソングの合唱でディズニーリゾートのショーを鑑賞している気分となって終わりです。やっぱりディズニーと言えば歌がいいですね。
結論:クリスマスってあったかいな、プレゼントっていいものだな。
筆者が一番思い入れのあるこの作品をどこかで語りたいなと思っていたので、この際クリスマスに関係なくただただ観たい作品として紹介させていただきます。無理矢理つなげるとしたら家族がテーマなので家族一緒に見るのには向いているところぐらいです。
「あーあーあー」って言っているやつだよね?
でお馴染みのターザンは、エドガー・ライス・バローズの小説をアニメ化したものとなっています。
ターザンの小説の映像化は昔から何作品もあり、ディズニーのアニメーションのそのうち一つです。
ジャングルの奥深くで、両親を失った人間の赤ちゃんと、子を失った母ゴリラが運命的な出会いをし、ゴリラの家族によって育てられることになりました。母ゴリラのカーラはその赤ちゃんはターザンと名付けられ、ゴリラやジャングルの野生動物に囲まれて成長していきます。周囲との違いに悩みながらも自分しかできないことを見出し、はじめ仲間として受け入れてくれなかったゴリラ家族のリーダーのカーチャックにも徐々に認められるようになります。そんなある日、ジャングルにターザンとよく似た生物の集団が現れます。初めて目にする自分と同じような姿をしている彼らとの交流により、本来いるべきであった文明社会の人間として戻るのか、ゴリラの仲間の一員のままでいるのか選択が迫られることになっていきます。ジャングルを舞台とした人間とゴリラの種族を超えた家族の絆と、なぜか不思議な懐かしさを持つ未知への憧れを、フィル・コリンズ氏による楽曲とともに美しい風景描写とダイナミックなキャラクターの動きで描かれています。
ディズニー版ターザンの見どころの一つはなんと言ってもジャングルの奥深さを感じとる奥行きと、自由に・速く動き回るターザンの描写です。1989年公開の「リトル・マーメイド」から初めてコンピュータを用いてキャラクターの着色が行われ、1991年公開の「美女と野獣」ではダンスホールの3DCGによる制作が行われました。そのあとの年も様々なアニメーション作品でCG技術が取り入れられてきましたが、本作ではジャングルの中で自由自在に動き回るシーンを表現するためにディープ・キャンバスと呼ばれる手法が用いられています。具体的なところまで調べらることができていないのが非常に悔しいところですが、背景画家がソフト上で木や葉をペイントして、それらをCGで動かしているようです。どこまでも広がっているのではないかと思ってしまうほどの奥行き感はこの技術のおかげのようです。作画監督が徹底的に肉体を表現するための研究を行なっており、まるで空を飛んでいるかの如くジャングルを駆け巡るターザンの動きは人間とゴリラらしさ両方を兼ね備えた表現がなされています。コマ送りの静止画で見ると毎フレーム人間の形としてはかなり不自然なものとなっていますが、動画にするとあら不思議こんなにもスピード感のある人間の動きを見ることができます。近年のアニメーションでは手書きではなく3Dモデルを動かす手法が使われていることも多いですが、個人的にはスピード感のある表現はもっさりしているように感じてしまいます。スピード感のあるキャラクターの動かし方とその時の背景をどうするのか詳しい人がいたらご教授願いたいです。
少し話が脱線してしまいました。もう一つの見どころはキャラクターの表情です。特に目です。いくつかのシーンの紹介をします。冒頭のターザンの実父からカーチャックへ映像が切り替わるとき、種族は違えども我が子を見つめる優しい眼差しが共通しているのはとても印象深いです。そのあとすぐに続く暖かな家族団欒な昼間のシーンから危険で家族が引き裂かれる夜のシーンへ切り替わる際には、本作のヴィランの一人(一匹)である豹の目を使っています。はじめから目に注目して作品を見てほしいのかなと勝手に受け取りました。もちろんターザンの目についても注目すべきところで、作中でも何回も触れられています。例えばヒロインのジェーンがターザンに会った話を父親のポーター教授とボディーガード兼ハンターのクレイトンに話すシーンでは、ジェーンがターザンに感じた新鮮さはまるでゴリラのような人間であるというよりもその目にあるようです。
”And his eyes were intense and focused, and... I've never seen such eyes.”
ターザンが友達ゴリラのタークにお願いしようとした時にタークが嫌な予感がするも結局引き受けた理由となっています。
"With the face and the eyes and the..."
他のディズニーアニメーションは口で表情を主に表現している印象があるので、ターザンは口だけでなく目にも重きがおかれ、観客に対して視線誘導が入っている珍しい作品だと思います。
動物たちの描画はディズニーが得意としているジャンルなのでこちらも言わずがなです。リーダーのカーチャックかっこいいです。個人的に面白いなと思っているのは、ゴリラの群れはちゃんとシルバーバックのオスゴリラと、子ゴリラを除くを構成メンバーはメスゴリラだけになっているところです。きちんと確認できていないだけかもしれませんが、何回も見直している中では子ゴリラ以外のオスゴリラと思われる個体は見当たらなかったですね。そこはライオンキングのようになぜか弟が同じ群れにいることはないんだなと思いました。
ターザンを語る上では外せない要素がもう一点、音楽です。先述の89年公開のリトル・マーメイドを皮切りに、当時のディズニー社が作る長編アニメーション作品はミュージカル一辺倒でした。そんな中で主人公やヒロインが自分の心情を歌わなければ、一緒に歌って恋が進展することないターザンが登場しました。びっくりです。そうです、キャラクターたちは基本的に歌いません(一部分歌っていますがミュージカルではないです)。これは当時の流れに反する流れでした。だからと言って音楽がないわけではありません。80年代に大活躍していたイギリス人歌手のフィル・コリンズ氏が歌う曲が挿入歌として使われています。本作での歌の役割はナレーションになります。キャラクターがセリフで語る替わりに、挿入歌が物語の進行の役目を担っています。2003年公開のブラザー・ベアという作品でもフィル・コリンズ氏が楽曲制作に携わっていて、メイキング映像では制作陣から彼が歌うとどんな曲もフィル・コリンズのものになってしまうと語っていたように、いい意味でこれまでのディズニー作品のイメージを覆す、キャラクター以外の第三者が物語に介入することなく物語を進めていることに新鮮さを感じました。フィル・コリンズ氏の詩と歌声もとてもいいです。楽器にはアフリカの民族楽器が使われているので、その部分を聞きとるところも楽しみの一つです。また、マーク・マンシーナ氏による音楽もこれまたジャングルの神秘さや、戦闘の緊迫感、別れの寂しさをとても素敵に表現しています。これからの音楽によってアニメターザンはより一層美しい映像であると感じる手助けをしてくれています。
本当に自分でもとてもくどいと思っています。が、やはりもう一回言わせてください。美しい風景描画とダイナミックなキャラクターな動き、繊細に揺れる心理描写、フィル・コリンズ氏とマーク・マンシーナ氏による音楽とともにターザンとジェーンは最終的にどのような道を選ぶのか、本当にいるべき場所を見つけられるか是非作品でご確認ください。
マスコットとなるかわいいキャラクターがいない、そして主人公のゴツい見た目から敬遠されがちでアニメ知名度はそんなに高くないのが大変、大変残念であります。見てくれる人が一人でも増えたらいいなと思いながら書きました。