Field-Induced Quantum Phase

研究概要

 本研究では、四角形をユニットとするフラストレーションが引き起こす量子物性の検証を進めました。3つの反強磁性相関(AF)と1つの強磁性相関(F)によって、いわゆるAFベースのフラストレート正方格子が対象となっています。これは先行的に取り組んだラジカル塩への展開により初めて実現することができた新規スピン配列です(トピック)。理論的な研究でさえもほとんど行われていない量子物性研究の未踏領域となっています。本系では、先行研究と同様なラジカル塩を用いて新たなAFベースのフラストレート正方格子を実現することに成功しました。さらに、磁場を加えることで部分的に量子化される特異な量子現象の発現を観測しました(図1)。四角形をユニットとしたフラストレーションが創り出す新奇量子現象であり、基盤的な量子物性研究における重要な研究成果となっています。


図1: 本フラストレート正方格子における磁場誘起量子現象のイメージ図.

新規スピン1/2フラストレート正方格子の実現

研究で合成および良質な単結晶の育成に成功した(o-MePy-V)PF6は、メチル基を配位させることでカチオン化したフェルダジルラジカルをアニオンであるPF6-1と組み合わせています。スピン1/2のフェルダジルラジカル間に働く6種類の磁気相関によって、図2のようなフラストレート正方格子の形成が予想されました。結晶構造の対称性から2種類のスピンサイト(Site 1,Site 2)が存在していますまた四角形にも2パターンがあり、J2-J3-J6-J4から成る四角形では強磁性相関と反強磁性相関の競合によりフラストレーションが生じています。一方で、J5-J4-J1-J3から成る四角形ではフラストレーションはありません。各サイトで見ると、Site 1はJ1-J6の強磁性交替鎖,Site 2は J2-J5の反強磁性‐強磁性交替鎖となっています。それらが反強磁性相関J3J4によって繋がっていると見なすことで、特異な量子物性を理解し易くなります。

図2: (o-MePy-V)PF6におけるスピン1/2フラストレート正方格子. 6種類の磁気相関から成り、2つのスピンサイトが存在. 強磁性相関(F) と反強磁性相関(AF)の競合により一部フラストレーションが生じている.

特異な量子物性の観測

 比熱の測定から、ゼロ磁場では約1.7 Kで磁気秩序への相転移を示すことが分かりました。さらに、より低温では温度の2乗に比例する振る舞いが見られ、二次元をベースとする反強磁性状態であることが確認できました。磁気相転移に伴うエントロピー変化量も、二次元正方格子の形成を実証する結果となっています。一方、磁場中では,飽和磁場に比べて極端に低い磁場で磁気相転移が消失します

 3のように、磁化曲線においては、相転移温度以下でも異常に緩やかな増加が見られています。さらに、10 T以上で1/2プラトーlikeな振る舞いが観測され、約30 T付近から再び増加が見られています。通常の量子スピン系では、磁場印加によって量子揺らぎが抑制されるために、磁場によって傾きが増加していく凹型の磁化曲線を示します。一方で、本系の10 T以下で見られた振る舞いは、むしろ磁場によって傾きが減少する凸型の傾向を示す特異な現象です。この振る舞いは、希釈冷凍機を用いた約80mKの極低温化でも観測されます。比熱が磁気秩序を示唆する一方で、あたかも常磁性的な緩やかな磁化の増加を示しており、本系の特異性が最もよく表れている実験結果です。

図3: (o-MePy-V)PF6の強磁場磁化曲線 at 1.3 K and 4.2 K. 低磁場では磁気相転移温度以下にもかかわらず常磁性的な緩やかな増加. その後1/2プラトーlikeな量子相へとクロスオーバー. インセットは磁化率.

量子状態の考察と検証

 本系で予想されるフラストレート正方格子に対してテンソルネットワーク法を用いた基底状態の考察を進めました。図4(a)が数値計算によって得られた磁化曲線となっています実験で観測された凸型の緩やかな磁化の増加と1/2プラトーlikeな振る舞いを定性的に再現することができていますゼロ磁場ではイラストで示すようにスピンが同一軸上に上向きと下向きに配列したコリニア構造となっています。ここではフラストレーションの影響によって、最も弱い磁気相関であるJ6の部分で、スピンが強磁性相関に逆らって反対方向に配列していることが特徴です。図4(b)の局所磁化Szが示すように、磁場を印加することでこの部分が容易に磁場方向に向きを揃え、結果的にSite 1のスピンだけが先に磁場方向へとほぼ偏極した状態となりますこのとき、Site 1のスピンに自由度は殆ど残っていないために、残されたSite 2の強磁性‐反強磁性交替鎖の相関が支配的になります。完全な孤立鎖の場合は、Haldane状態と同等となりスピンギャップが生じます。本系における鎖間結合の下では、Haldane状態への相転移ではなく、それに近い状態へのクロスオーバーとなっています。結果として、シングレット形成に向かう相関の働きにより、磁場によりスピンの縮みが増幅されます(図4(c) Site2の局所モーメント減少)。

 これらの数値計算による定性的な予測を31P NMRによる局所磁化の観測により検証しました。図5(a)のように、2つのサイトを反映したNMRスペクトルを観測することができました。ここでは、局所磁場は局所磁化Szを反映したものとなっており、低磁場ではSite1に対応するP(1)のシフトのみが大きく変化していることが確認できます(図5(b))。さらに、より高い磁場ではSite1に殆ど変化が見られなくなる一方で、Site2が顕著な変化を示すことが見て取れます。これらの実験結果は、まさしく数値計算によって予測した状態変化に対応する振る舞いとなっています。核スピン‐格子緩和時間でもクロスオーバーに対応した磁場依存性が見られています(図5(c))。

図4: テンソルネットワークによる基底状態の考察. (a)磁化曲線と対応する状態変化. 各サイトにおける(b)局所磁化と (c)局所モーメントの磁場変化.

図5: (o-MePy-V)PF631P NMRスペクトル at 1.4 K. (b) 各サイトに対応する局所磁場の磁場変化. (c)核スピン‐格子緩和時間の温度依存性.


更新日 2021/3/25