スピンラダーは、複数の一次元スピン鎖が結合した量子スピンモデルであり、一次元と二次元の中間に位置する基本的な量子多体系です。特にスピン1/2反強磁性ラダーでは、脚の本数により基底状態が大きく変化し、偶数本足ではスピンギャップを持つ量子非磁性状態が、奇数本足ではギャップレスな量子臨界状態が現れます。このトポロジー依存性は、スピンラダーが量子揺らぎと古典秩序のクロスオーバー領域を探る理想的な舞台であることを示しています。
本研究では、スピンラダーを固定された模型として扱うのではなく、分子設計によって交換相互作用・異方性・スピンサイズ・ランダムネスを自在に導入することで、量子状態を能動的に設計することを目指しています。すなわち、「ラダー構造 × 付加自由度」による量子多体状態の創出という視点から、量子状態エンジニアリングを展開します。
スピン1/2二本足ラダーは、脚間でスピンが対を作ることでスピンギャップをもつ非磁性量子状態を示す、最も基本的な量子スピンモデルの一つです。しかし、交換相互作用にランダムネス(無秩序)が導入されると、このギャップは崩れ、長距離にわたってランダムに形成されるシングレット対からなる「ランダムシングレット(RS)状態」が理論的に予測されています。
本研究では、ラジカル分子の位置異性(regioisomer)を結晶中にランダムに配置させる分子設計を用いることで、スピンラダー内の交換相互作用にボンドランダムネスを導入しました。これにより、均一なスピンギャップ系であるはずの二本足ラダーを、無秩序が支配する量子臨界状態へと変換することに成功しました。
磁化測定ではギャップレスな連続的磁化増加とCurie項の寄与が観測され、比熱は 特異な温度依存性を示しました。これらはRS状態の理論予測と一致しており、ボンドランダムネスによって安定化したランダムシングレット相の実験的証拠となります。
本成果は、従来は不可避な「欠陥」とみなされてきた無秩序を、分子設計によって能動的に制御可能なパラメータへと転換し、“無秩序を利用した量子状態エンジニアリング” を実現した例となります。
スピン1/2二本足ラダーは強い量子揺らぎに支えられた代表的な量子磁性体であり、スピンギャップや量子臨界挙動など多彩な量子多体現象を示します。一方で、これらの量子状態が外部自由度や古典的スピンとの結合に対してどの程度安定であるかを、実在物質で直接検証した例はほとんどありませんでした。
本研究では、量子的なスピン1/2ラジカル鎖からなる二本足ラダーの中央に、高スピン Mn²⁺(S = 5/2)からなる鎖を組み込み、量子鎖と古典極限に近いスピン鎖が強く結合した「混成スピン(三本足)ラダー」を分子設計によって構築しました。すなわち、量子系の内部に古典自由度を埋め込むことで、量子揺らぎの安定性そのものを検証する新しい実験プラットフォームを実現しました。
磁化および比熱測定の結果、純粋なスピン1/2ラダーに特徴的な量子ギャップや低次元量子臨界挙動は消失し、振る舞いは古典スピン波および平均場理論で記述可能な長距離磁気秩序へと変化しました。これは、古典的自由度の導入により量子揺らぎが効果的に弱められ、系が量子相から古典相へとクロスオーバーすることを直接示しています。
本成果は、スピンサイズを設計パラメータとして量子性の強度と安定性を自在に制御できることを実証したものであり、量子的スピンラダー特性の「耐性(robustness)」を検証するための初の混成スピン実験系として位置づけられます。スピンラダーを基盤とした量子状態エンジニアリングの新たな方向性を示すものとなります。
一次元スピン系では、交換相互作用の異方性は基底状態や励起スペクトルの性質を大きく左右する重要な要素となります。特に強い Ising 型異方性をもつ場合、低エネルギー領域では励起ギャップが形成され、さらに弱い鎖間相互作用が存在するとスピノンが束縛され、連続体が離散的な Zeeman ladder 型スペクトルへと量子化されることが知られています。しかし、このような強い交換異方性を分子レベルで自在に制御できる物質系は限られています。
本研究では、分子設計により新しいスピンラダー型構造 ― hexagonal-plaquette chain ― を創成しました。強いスピン軌道相互作用をもつ Co²⁺ イオンを有機ラジカルと組み合わせることで、六角プラケットが一次元的に連結した独自のラダー構造を形成し、その低エネルギー自由度が有効スピン1/2の Ising 型鎖へと摂動的にマッピングされることを示しました。
分子軌道計算および ESR 測定により、異方的な g テンソルと交換異方性が確認され、このhexagonal-plaquette chain が強い Ising 型相互作用を内在することを実証しました。比熱測定では異方性に起因する励起ギャップの存在と、弱い鎖間相互作用によるスピノンの束縛を反映した離散励起構造(Zeeman ladder )の影響が示唆されました。
本成果は、結晶場とスピン軌道相互作用を利用して磁気異方性を設計パラメータとして組み込み、スピンラダーを基盤とした新規量子モデル(hexagonal-plaquette chain)を実現したものです。これは、ラダー構造を拡張・変形することで量子状態を設計する「異方性エンジニアリング」の具体例となります。