Radicals with Magnetic Anions

研究概要

 フェルダジルラジカルは非局在型のスピン分布を有する安定ラジカルの一種です。私たちはこれまでに、フェルダジルラジカルへの元素置換を利用した緻密な分子設計により、分子軌道の形状とその重なりを制御し、多彩な新規磁性体の実現に成功してきました。さらに最近では、カチオン化したフェルダジルラジカルをアニオンと組み合わせたラジカル塩にすることで、高度な電子状態の制御も可能にしています。本研究では、磁性アニオンに着目して、フェルダジルラジカルと磁性アニオンとの間の磁気相関がどのような磁気状態を形成し得るのかを2種類の新規ラジカル塩(o-MePy-V)FeCl4[o-MePy-V-(p-Br)2]FeCl4 を通して検証しました。その結果、『磁場による古典系から量子系へのスピンモデルシフト』、『スピンサイトにおける内部磁場変調』、といった特異な磁気状態の発現を明らかにすることができました。ラジカルと磁性アニオンの協奏がスピン配列設計に新たな拡張性をもたらすことを示す研究結果となりました。

磁場による古典系から量子系へのスピンモデルシフト

 新規ラジカル塩(o-MePy-V)FeCl4 では、ラジカル(SV =1/2)と磁性アニオン FeCl4 (SFe =5/2)によってハニカム格子をベースとした特異な二次元スピン配列の形成が明らかになりました(図 1)。磁気測定から、低温領域ではラジカルと磁性アニオンの磁気相関により、実効的な S=2 を形成していることが分かりました。それらの間の磁気相関により長距離秩序が起こっています。このとき、ラジカルのスピンは鉄スピンの一部とシングレットを形成して非磁性化しているとみなすことができます。したがって、実効的な磁気相関をもたらすパスは、トリプレットの励起状態を介したものとなり、摂動計算から一次元的なつながりになっていると予想できます。それを仮定して秩序相での磁化曲線(図2(a))と多周波ESR モード(3)を定量的に考察した結果、スピン 2 の古典スピン系としてよく説明することができました。約 4 T 以上の高磁場領域では、磁気秩序が消失するとともに非線形的な磁化曲線の増加が現れます(2(b))。これは、秩序相における古典スピン系特有の線形増加から、磁場の印加によって量子スピン系特有の非線形増加へとクロスオーバーしたことを意味しています。

 高磁場領域では、合成スピン2の磁気状態は磁場方向へと完全に偏極しています。これは、鉄スピンが磁場方向へと偏極して自由度を失ったことに対応しています。その場合は、残ったラジカルスピン 1/2 によるスピンモデルが有効となり、実効的なハニカム格子が形成されます。実際に、スピン 1/2 のハニカム格子が弱く積層したモデルによって、磁場誘起の量子的な非線形磁化曲線を非常によく再現することができます(図2(b))。

図1: (a) (o-MePy-V)FeCl4 においてラジカルと磁性アニオンによって形成されるスピンモデル.(b)低温低磁場で有効モデルとなる合成スピン2の1次元鎖.

これらの結果は、磁場による古典スピン系から量子スピン系へのクロスオーバーという、複合磁性体特有の特異な量子物性の発現を実証するものとなっています。さらに、π-d交換相互作用を利用した磁場によるスピンモデルの変調とも考えることができ、複合磁性体によるスピンモデル設計性の拡張を実証する重要な研究成果となっています。

図2: (o-MePy-V)FeCl4 の磁化曲線.

図3: (o-MePy-V)FeCl4 のESR共鳴モード解析結果. 0.6T付近の不連続な変化はスピンフロップ. モードのソフト化は飽和磁場.


スピンサイトにおける内部磁場変調

新規ラジカル塩[o-MePy-V-(p-Br)2]FeCl4 では、図 4 のようにラジカル(SV =1/2)間に 3 種類の磁気相関、ラジカルと磁性アニオン FeCl4(SFe =5/2)との間に2種類の磁気相関の存在が明らかになりました。それらによって特異な二次元スピン配列が形成されています(図 5)。SV = 1/2 のみの繋がりを見るとハニカム格子となっており、SV には非等価な2つのサイトが存在しています。その片方は2種の反強磁性(AF)相関を介して SFe = 5/2 によって挟まれたサンドイッチ構造となっているのが特徴です。高温領域の磁化率は、SV = 1/2 SFe = 5/2 が独立に常磁性的に振る舞う結果を示します。これは、SV = 1/2 SFe = 5/2 との強い結合によって S = 2 ハイブリッドスピンを形成する上記(o-MePy-VFeCl4 とは定性的に異なる振る舞いです。したがって、本物質はラジカルと FeCl4を繋げる磁気相関が相対的に弱いことを示しています。磁化曲線では、ゼロ磁場からの線形増加、その後の 740 T での 5/6 磁化プラトー、それに続く飽和磁場への緩やかな増加が観測されました(図 6)。

基底状態では最も支配的である反強磁性相関 J1 による singlet ダイマーが形成されています。それによって Sv は非磁性となるために、残された SFe = 5/2 が弱く結合して磁気状態を形成しています。SFe だけの繋がりを見ると図 7のようになっており、スピン5/2のハニカム格子が形成されています。実際に比熱の測定結果(8)では、スピン 5/2 のエントロピー変化を伴う長距離秩序相への相転移が観測されています。また、相転移温度以下での温度の 2 乗に比例する振る舞いは、ハニカム格子をベースとした反強磁性状態の分散を示唆しています。ESR 共鳴モード解析により、磁気相関の大きさを見積もることもできています。

図4: [o-MePy-V-(p-Br)2]FeCl4 の磁気相関に対応する分子接近.

図5: [o-MePy-V-(p-Br)2]FeCl4 のにおけるスピンモデル.2サイトのラジカルスピンの片方がFeスピンによって挟まれている.

磁場を印加することで J1 による singlet ダイマーを壊した際に、サンドイッチ構造の特徴が現れます。図6の磁化曲線において、5/6 プラトーよりも低磁場の領域では SFe = 5/2 のハニカム格子モデルで説明することができます。5/6 プラトー領域では、SFe = 5/2 が磁場方向に沿って完全偏極した状態にあります。プラトーからの立ち上がりは、量子性を反映した非線形増加となっており、J1 による singlet から triplet へと移り変わる振る舞いに対応しています。ただし、この立ち上がりの磁場は 40 T 程度と非常に大きく、単純な J1 によるダイマーを考えた場合には、60 K に近い大きな J1 の値が必要となります。分子接近からは考え難い大きさとなります。ここで、サンドイッチ構造の影響を考える必要があります。図5に示すように、SFe = 5/2 に挟まれた SV のサイトにおいては、反強磁性相関である J4 J5 を介した印加磁場とは逆向きの実効的な内部磁場が働いています。それを考慮した内部変調型ダイマーモデルによって磁化を計算することで、J1J4J5 ともに分子接近からの予想と近い値によって、40 T 付近で立ち上がる磁化の振る舞いを再現することができます(図6)。

これらの結果は、ラジカルと磁性アニオンから成る複合磁性体における π-d交換相互作用を利用することで、特定のスピンサイトの内部磁場に変調をもたらすことができることを実証するものとなっています。スピン配列制御に留まらず広範な物質設計において、内部磁場変調が可能であることを示す重要な研究成果となっています。

図6: [o-MePy-V-(p-Br)2]FeCl4 の磁化曲線.低磁場の計算値はスピン5/2のハニカム格子を仮定した平均場近似. 5/6プラトーより高磁場側の計算値は内部磁場変調を持つスピン1/2ダイマー.インセットは磁場微分.

図7: [o-MePy-V-(p-Br)2]FeCl4 の低温低磁場領域でスピン5/2のハニカム格子を形成するFeCl4 の繋がり.

図8: [o-MePy-V-(p-Br)2]FeCl4 の低温比熱. インセット(上)は相転移温度以下での温度の2乗に比例する振る舞い. インセット(下)は磁気相転移に伴うエントロピー変化.

更新日 2021/4/3