これまでの研究 

ハプロイドゲノムを持つ微生物やその寄生体DNAもディプロイドゲノムを持つ生物と同様、地域ごとに多様化して身の回りに存在しています。人との関わりが深 い細菌とその寄生体DNAを研究対象とし「系統」の進化に関わる原理や原則の発見を目指しています。最近は「エピゲノム」が適応進化に果たす役割や、微生物集団の構成原理についての研究も進めています。また、細菌感染症の原因菌のゲノムを集団レベルで解析することで、宿主への適応に関わる座やアレルを見つけ、細菌感染症研究に新しい視点をもたらすことも目指しています。本ページの内容は、過去に私が関わった研究の例であり、必ずしも現在継続している研究ではありません。

MAC菌の進化

病原細菌というと大腸菌O157、ピロリ菌、結核菌のように動物の体内を主な住処とする細菌を想像されることが多いと思います。実際これまでの細菌学は、特定の宿主から分離される細菌種株を研究対象とした基礎研究を元に発展してきました。腸内細菌や細胞内共生細菌のように「宿主の親から子供へ継承される細菌」以外の細菌はどのように進化しているのでしょうか?

最近、日本で問題となっている非結核性抗酸菌(nontuberculous mycobacteria)は、自然環境(またはバスルームなどのBuilt environment)と動物体内を行き来していることが疑われています。私たちは非結核性抗酸菌症の原因菌の一種で あるMycobacterium avium subsp hominissuisの集団のゲノムを比較することで、(1)Mycobacterium aviumの環境分離株とヒト分離株はコアゲノムレベルの類似性が非常に高いこと、(2)Mycobacterium aviumが進化の過程で系統間で染色体の組換えを頻繁に起こしている(有性生殖を行っている)こと、(3)日本に分布する系統が、異種から獲得したと推定される系統特有の対立遺伝子を染色体の幾つかの座に保有し、それが組換えによって系統間を移動していることなどを発見しました (Yano et al., Genome Biol. Evol. 2017)。この結果を考慮すると、 動物体外環境は、細菌細胞が異系統と出会いmating(あるいは何らかの手段でのDNAの交換)をする場になっているという考え方もできます。

ところで、先進国では撃退されつつある結核の原因菌Mycobacterium tuberculosisは進化の過程で有性生殖によって取り込んだDNAの量が非常に少ないと言われています。人間社会を含め、新しいDNAを取り込 むことができない集団はやがてニッチを奪われるのかもしれません。

MAC菌に関するQ&A

MAC症の発症の機構や感染経路は未だに不明で、諸説あってもそれらは科学者の仮説の域を出ていません。MAC症についての正確な情報は専門医のいる病院のホームページにまとめられておりますので、リンクを掲載しておきます。

https://www.fukujuji.org/clinical-guide/disease/nontuberculous-mycobacterial-infection/

2017年にアメリカのグループが発表した統計データ:

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5382761/

ハワイでは、白人よりもアジア人の方で肺抗酸菌症の有病率が高い。細菌の研究をしているものとしては、アジア人の患者さんにどの種のどの系統のNTM菌が感染していたのかが気になるが、細菌側の情報はない。

健常者の家にもMAC菌が生息していることの証拠 :

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31207401/

共同研究者の有川先生、岩本先生のグループが、健常者の家のバスタブから生きたMAC菌の分離に成功しました。日本に住むかぎりMAC菌との接触は避けれられない。MAH was detected primarily in bathtub inlet samples (25 out of 170 residences).  ちなみにMAC菌は、水まわりの赤いヌメリを形成している細菌 (Methylobacterium)とは異なり、白色をしています。

2019年に呼吸器内科の先生が発表した興味深い論文:

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6028744/

(1)バスタブにお湯をためる作業をするとMAC菌やMycobacterium massilienseが空気中に飛散することを発見(給湯口から取れた抗酸菌と同じ遺伝子型の抗酸菌が空中から取れるようになる)(2)抗酸菌に繰り返し感染した患者さんがバスタブを使った入浴をやめると、3回目の感染が起きなくなった。この事例はMAC菌やM. massilienseの浴室感染源仮説を支持。人側の遺伝も抗酸菌症の発症に影響を与えているかもしれませんが、浴室の環境改善で抗酸菌症の予防が可能?お風呂に入りたい私はどうすれば。

ピロリ菌のエピゲノム


薬剤耐性プラスミドの宿主適応

プラスミド、すなわち自己の複製を制御することができる染色体以外の分子、は、基本的には微生物を宿主とする寄生生物であり、時には遺伝子の水平伝播に関わるということが知られています。また人はこれらを クローニングベクターとしてバイオテクノロジーに利用してきました。時間軸の概念を取り入れ、プラスミドの生物集団内での立ち振る舞いを理解することができれば、抗生物質耐性細菌出現への対処法や、効率的 な遺伝子組換え技術の提案が可能になると考えられます。

プラスミドは宿主の生育に必須の遺伝子を持たないため、細胞分裂の際に、娘細胞への分配に失敗すると、プラスミドを持たない細胞を生じさせてしまいます。基本的にプラスミドは宿主細胞の成長速度に負の影響 をもたらすため、プラスミドを持たない細胞が集団内に出現すると、水平伝達によるプラスミドの再侵入がない限り、それらはやがて集団を占拠してしまいます。このプラスミドを持たない細胞が集団を占拠する速 度を指標にし、研究者は「プラスミドが(集団内で)安定または不安定」と言うことがあります。理論上、プラスミドは伝達能力があれば、集団内で一定の頻度を維持することが可能ですが、自然界のプラスミドの 約半数は伝達能力を持たないと予測されています。では、なぜ伝達能力のないプラスミドでさえも集団内で生き残ることができるのでしょうか。これは、プラスミド保持に対する一時的な正の選択と、フィットネ ス・コストを低下させる突然変異の発生で説明できる可能性があります。

私たちは、抗生物質耐性の拡散の背景には、単純なプラスミドの水平伝播だけでなく「抗生物質の存在というプラスミドに対する正の選択が働く環境下で、プラスミドと宿主の共進化が進み、抗生物質なしでも、プ ラスミドが集団内に存続しやすくなる」現象があると考え、それが少なくとも実験室内では起きることを、実験進化法を用いて実証しました(Sota and Yano et al., ISME J. 2010)。

本現象の背景にある分子機構を解明するため、ある宿主集団内で進化した進化型プラスミドの配列を決定したのち、進化型プラスミドを先祖型宿主に戻す実験を行ったところ、プラスミド存続性の向上がプラスミド の複製タンパク質(TrfA1)のN末の変異に依存していることがわかりました。このTrfAのN末は宿主のDnaBヘリカーゼと結合する部位であることが知られていました。生化学、分子遺伝学実験の結果から、プラスミ ドが宿主の中で複製できる場合、「宿主のDNAヘリカーゼとプラスミドとの相互作用の度合いが、プラスミドの細菌集団内での存続性を決める要因の一つ、フィットネス・コストの正体である」ことがわかりました(Yano et al., Mol. Microbiol. 2016)。

プラスミドと宿主を共進化させると、宿主側のDNAヘリカーゼ遺伝子に突然変異が入ることが他の宿主・プラスミドを使用した実験においても観察されており(San Millan et al., Nat. Comm. 2015Loftie-Eaton et al., Mol. Biol. Evol. 2016 ; Loftie-Eaton et al., Nat. Ecol. Evol. 2017)、これらの発見がプラスミドと宿主の相互適応の機構、さらにプラスミドの宿主域を規定する要因についての一般論構築の基盤になるものと期待し ています。

プラスミドの種分化と宿主域

自然宿主の培養に依存しないプラスミド単離法の普及によって、伝達性プラスミドの集団内には遺伝子のレパートリーや並びが似ていても、ゲノムシグニチャーが顕著に異なる系統群が存在していることが明らかに なって来ました (Sen et al., Mol. Biol.Evol. 2013; Norberg et al., Nat. Comm. 2011)。そこで、「隔離による組換えの機会の減少によって種分化が進む」という生命進化の原則にもとづき、「ゲノムシグニチャーの異 なるプラスミドグループは、同じ不和合性群に属しても、宿主域が異なる」いう仮説を立て、その仮説が妥当であることを、実験によって示しました(Yano et al., Microbiol. 2013)。

大腸菌の中で複製できるのにもかかわらず、これまでに発見されていないタイプのプラスミドは、大学の池などから現在でも容易に取得できます(Brown et al., Appl. Environ. Microbiol. 2013)。かつてはプラス ミドの進化は不連続なように見えていました。つまりデータベースにあるプラスミドは、ゲノムシグニチャーも遺伝子レパートリーもプラスミドグループ内でほぼ同じで、グループ間では全く異なるという状 態でした (Suzuki et al., J. Bacteriol. 2010)。メタゲノムに手が届く時代になって、キメラプラスミドや、遺伝子の構成は既知のものと同じでもゲノムシグニチャーが異なるタイプのプラスミドが次々と発見され てきていることから、広宿主域性から特定宿主適応型へ、さらにその逆へ、という双方向性の機能変化(進化)や、連続的なゲノムの変化が観察できるようになってきたと考えています。

タンパク質のN末の長さ多型の意義

上記の進化実験では、複製開始タンパク質に集中的に変異が入りましたが、類似の変異がデータベースに登録されている他のプラスミドにも見つかることに研究の過程で気づきました。そこで、得られた変異体プラ スミドの表現型を様々な角度から解析することで、 プラスミドに見られる複製開始タンパク質遺伝子の5’-endの長さの多様性(in/del) が、genetic driftではなくトレード・オフの関係にある形質(この場合は水平伝播 と垂直伝播)に対するnatural selectionの結果として説明できるというアイデアを提案しました(Yano et al., J. Bacteriol. 2012)。TrfAのN末の多型のような長さ多型は他のタンパク質(遺伝子座)にも見かけられま す。他のタンパク質に関しても、N末の長さ多型にには何か重要な意味があるのではないでしょうか。

Tn3ファミリートランスポゾンのDNA交換

私は大学院生だったころは、環境汚染物質の分解に関わる遺伝子の周辺で起きると言われていたオペロン構造の再編成のしくみを研究していました。その過程で、環境細菌に分布するTn3ファミリートランスポゾンが特定の部位において、近縁のトランスポゾンとDNA領域を交換することをDNA配列の比較により発見しました。さらに本現象がトランスポゾン自身がコードする部位特異的組換え酵素に依存して起こること を、分子遺伝学実験、生化学実験を用いて示しました(Yano et al., J. Mol. Biol. 2007; Yano et al., J. Bacteriol. 2010; Yano et al.,Plasmid 2013)。これらは細菌のトランスポゾンが集団内に存続し続けることができる 理由に迫る発見であると考えています。