タンパク質の大きさは5nm程度であるにもかかわらず、さまざまな優れた機能を発揮します。我々研究室は、タンパク質分子や細胞の卓越した機能に興味を持ち、その機能の根底にある動的メカニズムの解明を行っています。タンパク質の動的な機能メカニズムを理解するもっとも簡単な方法は、精製したタンパク質で実験を行うことです。しかし、タンパク質は細胞の中で機能を発揮するわけですので、複雑で実験の制約もありますが、培養細胞(ガラス上で育てた細胞)での実験も重要になってきます。さらに、細胞が最終的に機能する場所は個体(マウスなど)の中ですので、複雑で実験の制約がきついのですが、個体内機能を詳しく調べことにチャレンジしなければ真の機能を理解したとは言えません。従って、当研究室では、精製分子、培養細胞、マウスを用いて、タンパク質や細胞の様々な卓越したメカニズムを解明しています。対象とする機能は、細胞運動、筋収縮、細胞分裂、神経系形成、免疫細胞による攻撃、細胞の死などなどです。得られた結果を統一的に説明するための理論を構築し、計算やシミュレーションによって、得られた結果の物理的意味や分子の持つ機能を理解します。
生物の運動と構造構築に関わるタンパク質の統一的メカニズムの解明
生命活動を司る高分子(タンパク質、DNA、RNA)は卓越した機能を有しているのですが、そのサイズは数ナノメーターしかなく、まさに“高性能ナノマシン”です。このナノマシンは、DNAを複製し、タンパク質を形作り、そして、細胞運動や細胞分裂など、高度な機能を果たします(図)。生体ナノマシンの活動のエネルギー源はATP(アデノシン三リン酸)の加水分解エネルギーです。加水分解エネルギーは熱揺動エネルギーの13倍しか有りませんから、生体ナノマシンにとって熱揺動は無視できない存在です。
我々研究室では、細胞内輸送・筋収縮・細胞分裂を司るモータータンパク質の運動メカニズムの解明と細胞の動的な骨格であるアクチンと微小管の物理化学的ダイナミックスの解析を行っています。筋収縮に関与するアクチンとミオシン分子は骨格筋や心筋だけでなく全ての細胞の運動に関与しているので、筋収縮メカニズムがひとたび理解できれば、筋肉以外の細胞の運動も理解できます。さらに、細胞分裂や小胞輸送を引き起こす他の分子であるキネシンやダイニン分子は多用な機能をもち、異なる運動方向、微小管の脱重合、アンカー機能などがあります。われわれは、ミオシン・キネシン・ダイニンの運動の根本原理を理解したいと考えています。そのために、遺伝子・一分子計測(図)・イメージングの各技術の開発を同時並行で行い、組換えタンパク質の超高精度の研究を行っています。
すでにいくつかおもしろい結果が見えてきました。キネシンは熱ラチェット機構に似た機構で運動を行い、この基本的な機構は他の様々なモーター分子の運動に共通したメカニズムであることを見つけ出しました(図)。この機構を出発点として、若干の性質を付加することで、異なる機能が現れるだろうとの仮説を立て、現在検証研究を行っています。
運動、細胞内情報伝達、細胞を用いたガン化抑制研究
我々身体の中で菌を食べる白血球細胞の好中球やマクロファージおよび免疫細胞はアメーバー様運動を行います。この運動それ自身がおもしろいだけでなく、これらの細胞は薬のターゲットとなるので、医学・理学両面のおもしろさもあります。我々は、マウスやヒトから精製した好中球の運動の原因を細胞内の小胞の運動様式から調べています。例えば細胞の動きの先端部の粘性は低く後部は粘性が高いことから、先端部ではタンパク質がダイナミックに形成と解体を繰り返すことで運動が引き起こされることが示唆されました。
細胞内も盛んに動いています。細胞の膜タンパク質は、ゴルジから細胞膜に運ばれ、外の溶液は細胞内に運ばれ、タンパク質を補給するため配分運搬がおこなわれます。特に、細胞が分裂するときには、運搬はもっとも盛んで、染色体・ミトコンドリア・細胞内小器官・タンパク質が娘細胞に運搬されます。したがって、人間社会が歩行・車・電車・船の運搬で支えられているように、細胞においても運搬は、細胞の命を支えています。これらの運搬には障害する構造体や制御タンパク質が存在するため,真っ直ぐには運動ぜず、曲がることや停止する事などが頻繁に起こります(図)。我々は、細胞内で運搬されている小胞(荷物)の複雑な運動を詳細かつ高精度に調べることによって、運動の基本原理を解明中です。この原理がわかることで、細胞がどのような情報を得て目的の所にどのくらいの効率でたどり着くかを理解することができます。これは丁度トラックが様々な道を通り、休憩もし、目的地到着するまでにどのくらいの時間とガソリンを消費するかなどの身近な現象に類似しています。まさに、細胞は小さな人間社会のような仕組みをもつので、運搬だけでなく、細胞に情報伝達、細胞社会の乱れたガン細胞の診断方法の研究も樋口研では手がけております。
マウス内の免疫細胞やがん細胞の観察と分子機能の理解する
マウスなどの個体は多数の細胞が立体的に相互作用しているばかりでなく、血管やリンパの流れがあり、いたることころで免疫細胞が活動をしております。一方、細胞実験において用いる培養細胞は、限られた細胞(おもにがん細胞)をプラスチックの上で育てるので、マウス内の環境とは大きく異なります。したがって、我々は、生命の真の姿と機能を探求するために、生きたマウス内の細胞や分子を観察する方法を開発してきました。特に、2007年世界に先駆けて、マウス内で1分子を観察する方法を開発し(図)、抗がん剤のマウス内薬物送達過程を明らかにしてきました。その送達過程は、一般的な拡散ではなく停止と運動を繰り返す思いもよらない発見をしました。現在、がん細胞と白血球細胞そして筋肉の運動や膜タンパク質の挙動を調べています。これらの研究によって、マウス内で細胞や分子をまじめに研究する道が開け、将来分子生物学や基礎医学への発展が期待されている分野です。
細胞内をモーター分子によって輸送される小胞は,短時間では方向性のあまりない一見ランダムに見える運動であることが我々の研究でわかりました.ところが,長時間経過すると小胞は核の周りに集まるといった方向性のある輸送を達成する点がちょっと奇妙に思いました.小胞の運動過程は様々なタイプの揺らぎに支配されるに違いない。そこで「方向性」と「ランダム性」の寄与が時間と空間とともにどのように変化するのかをモデル化と数式化を行い、物理モデルの構築をおこなっています。これらを基礎として、細胞の運動と形の関係やタンパク質分子な運動を理論化する試みを進めています。数理の好きな学生に最適な研究課題です。