東二島町は、東橘の森に神鎮ります日吉神社は、その古記録を探れば神社鎮座の年は、遠く人皇第52代嵯峨天皇の御代(皇紀 1470年)にして、今より数えて1200年の昔の遡る時代であり、若松町及び島郷地区の総社と仰がれてきた処の、由緒のある古い神社であります。
奉祀されている御祭神は、
大山咋神、須佐之男神、天神地神です。
日吉神社の御祭神の中の須佐之男神が、祇園祭の時に奉斎される御祭神です。
二島祇園祭が、何時の時代から行われ始めたかのかは、その鎮座された年月の古いことから、その記録はありませんが、例年7月14日、15日の両日が、古来より変わることなく斎行されてきました。
しかし、昨今の猛暑や梅雨時期の大雨により神事の中止が相次いだため、令和7年からは梅雨入り前に神事を行うことになりました。
御神幸は、夕刻より御旅所となっている、二島町(旧町名は西二島)の田神社まで、お降りになられ、翌日の夕刻に本宮である東二島の日吉神社までお昇りになります。
(田神社の今の社殿が竣工{昭和28年7月竣工}する以前は、二島町江川の唐戸附近に御旅所が設けられたといわれる。)
そしてこの祇園祭には、東・西二島の山笠が、御神輿の前後に随伴して、御神幸祭の無事斎行と賑わいを増すと共に、御神霊をお慰めする意味をもっています。
お降りの時には、二島町の山笠が、日吉神社までお迎えに来て先導をなし、東二島の山笠は、後方よりお伴をします。
翌日には、東二島の山笠が、二島町までお迎えに行き、お昇りを先導をして、御神幸を斎行する態様がとられています。
御神幸の行列は、御神輿の前後の社名旗・4神旗・5色旗などを含め、山笠と共に1000メートルにも及ぶ大行列になります。
御みこしは、一時期台車に乗せて子供が引く形の時もありましたが、今は旧に復し、若い衆8人が舁いで渡御を行っております。
山笠は以前青年衆が主体でありましたが、交通量の増加と
喧嘩などの為、子供を主体とする山笠行列の姿となっています。
御祭神であるところの須佐之男神の荒々しい御神霊をお迎えして、夏の疫病退散を祈願しての祭が、祇園祭の淵源であって、此処なる二島挙げて東西の町に連綿として、脈打ち続けられています。