現在冷サバは基本12月に行うことになっていますが、12月が一番妥当だろうと思い始めたのが④です。
①や②のころは一年に二回程度実施しようと考えていましたが、参加者の集まりや予定などを勘案すると、12月に一回というのがいちばんいい、
ということがわかりはじめました。
④にはボランティアでカメラマン様が来てくださりたくさんレベルの高い写真を撮影頂きました。
そのため、きちんと報酬を払ってカメラマン様を招聘しよう、と気づいたのも④のおかげです。
この会では14:30にゲームを切り上げてそれ以降を撮影タイムにしましたが、冷サバが撮影重視になったのも④からだと思います。
個人的には、④と⑨が大成功だったと思っています。ゲームもバランスがよく、撮影もスモークをたいて盛大に行うことができました。
開催したオペフリ様の設備も整っており、手元のマイクからフィールドのあちこちに設置されたスピーカーから話せたのもとても便利でした。
中立国の参加者の方々は「中立国」としてのロールプレイを求めていたのですが、それを理解しておらず『戦わないとつまらないだろう』
とたびたび主催命令で無茶な攻撃をさせてしまい、「消極的攻勢に終始する中立国」「欧州の狂犬、中立国」と矛盾するレポートを書いたら、
「 突撃させたり、取り消したり、てめえの舌は何枚あるんだコノヤロウ!(アウトレイジ)」
と怒られたのも思い出深い(反省)です。
集合写真
イベントの写真
フィールド中央の810高地(誰かが命名した)を巡って激しく争う
撮影もスモークをたいて贅沢に行えました
個人的に気に入っている逆光での撮影
各国そろい踏み
中国軍装備の集合写真が中国ネットに転載され、「简直厚颜无耻(シンプルに恥知らず)」という罵倒を頂いたのもいい思い出です。
ツイッターを掘っていたら当時の主催のレポを見つけ、面白かったので掲載
近くの駒方神社に参拝→〇〇さんによる朝のミサを執り行った。
最初は「主への祈り」を流してラテン語で歌おうかと思ったが、〇〇さんの「僕の大学プロテスタントなんですけど・・・」と
「アングリカンは歌わないんですよね」という意見により朗読へ、ムービー撮っとけば良かった
ちらほら遅刻者がいたので第一ゲームは15分の無制限復活戦をした。スイスがまっっったく動かず戦闘に参加しないので「日和見主義ゆるさん」と神の先刻を行い中国・西側・東側に攻められる。結構強くて7分くらい粘っていた。13分めくらいでスイスが全滅、その後は殲滅戦に。
午前第一ゲームを開始。考えたら午前を撮影会、午後を暗くなるまでゲームにしたほうが良かったかなという気がした。オペフリは中央に高地砦があり、分隊戦参加者の「810高地」という俗称が参加者全体に広まる。各分隊長は無線を持ち、交戦、撤退、分隊長負傷などを報告した。
その際マイクを主催無線機にくっつけていたので各分隊の行動が全体に伝わったが、そのおかげかかなりスムーズにゲームを運べたので良かったと思った。なお中立と西側の一部が個人無線機で内通していたらしくやはり誓約同盟ゆるさんという思いを強く再確認した。
810高地の争奪戦は(戦略的価値がほぼないのにも関わらず)壮絶を極め、まず最初にスイスが占拠、10分ほど確保していた。その間中国と西側はそれぞれ南東砦と森に篭りきりで、810高地に突入を繰り返す東側のみが被害を出していた。
東とスイスの撤退の隙を縫い20分め程に中国が確保。
しかし中国はスイスほど火力がなく、狙撃兵の奮闘もむなしく東側に810高地を明け渡した。その頃欧州の狂犬スイスは銃の不調とMGの補給で拠点に留まり、その隙に西側が一気に810高地を陥落させる。その後スイスは中国との戦闘に突入し、本拠地を西側に制圧される珍事が生じた。
スイス拠点を落とし810高地と連絡路を確保した西側は篭りっぱなしで動く気配がなかったので神の宣告(主催権限)で中国スイスの同盟が復活、西側を蹴散らし、東側の勢力圏にも深く食い込んだ。その後決別、四勢力入り乱れ、最終的に12:10に810を西側が確保、終戦へ。
スコア的には西側勝利
オペフリは曲を流せたが忙しさにかまけて流す暇がなく、xxさんが80年代の曲をいっぱい用意してきてくれていたのに流せず、昼休憩はバンドオブブラザーズを聞きながらカレーを食べる
午後はルール改訂、それまで分隊長戦死まで分隊員無限復活だったのを改定、定員×2までに制限。
午後の戦いが始まり、
西側は①米日同盟②英連邦同盟、
中立は①スイス②中国、
東側は①ソ連ベトナム②ワルシャワ条約機構
の分隊構成で戦う。
スイス中国は常に反目しあい、東側二分隊はほぼ独立して動いていた。
のちに西側に聞き取ったところ東側①のソ連ベトナム分隊が滅法強かったそう
午後はまず東西の罵倒合戦から始まり、主催が「サバゲは紳士のスポーツなので罵倒は紳士的に」とたしなめる。
眠かったのであくびをしたら東側に「今欠伸したの誰だ!」と怒られ「主催です」と返すと「失礼しました」と言われやはり神になった心地であった。
午後戦はそれぞれの勢力がそれぞれ深く侵入しあい810の争奪戦はさらに熾烈に。午前とは打って変わって主催がハッパや侵攻命令を出すことは少なく、むしろ他勢力のリスポン地点に近づきすぎて撤退命令を出す事が増えた。
西側は連携で、東側は遊撃戦で戦う。森林を好む西側は被害少なめ。
全体的に見て東側がかなり押していたが、陣地的にスイス、中国にはさまれる形となり大きな被害を出していた。途中で東側と中国が和解し、スイス西の「消極的中立」同盟と対抗、撤退を強いていた。神の宣告でスイスと西に戦闘を命じる。
13:40、プラハの春によりチェコが脱走、西へ亡命。
どうやら先に西側と共謀していたらしく、ソ連分隊長YY氏は怒髪天に、
無線で「スイスは突き出せ!」西には「チェコはどこだ!」と問い詰める。
西のローデシア兵は「知らな~い」とにべもない。
結局チェコ人は米日分隊へ、東側第二分隊は東独とベトナムが構成することになった。
ソ連にせっつかれた東側第二分隊はそれなりの活躍を見せ、特にベトコンの狙撃兵が敵の首印を挙げていた。
810高地は東側が占拠し、砦を東独が、周りをソ連が固める。そこに突撃する東側、妨害しあうスイス中国というのが後半戦の大勢だった。
その中でも中国スイスは810を何度か制圧した。
最後に戦場は東側の奥地へと移り、スイスががら空きとなった810(高地)を占拠、時間が来て終了となった。東西はカウンターをかなり回したことから大きな犠牲が伺え、僅差でスイスの戦術的勝利となった。その後は記念撮影と撮影会をした。
撮影会では煙幕なども使用したが、多分携帯型の扇風機を持っていったほうがいいなとか、専用ポーチを作成して持たせたほうがそれっぽくなるななどの気付きがあった。2時間ほどで暗くなってしまい、全員が満足できたとも言いがたいので次回はもっと明るいうちにやりたい。
今回参加者がはじめて30人を越えたが、やはり60人くらいいた方が面白そうと感じた。あと広くて戦場把握が意外と難しかったので、ドローンとか(高価だけど)あると楽そうだなあ・・・などと感じた。
また来年の夏か今頃にやりたいので、今回参加された方も是非とも参加していただけると嬉しい。
カメラマン様紹介