はじめまして!
本日は<HAREBARE GALLERY>にご来場下さりありがとうございます。
さて、私ことHAREBAREは、油絵を通じて人生を学び遊んでまいりました。その遊びのひとつでもある海外旅行は、2年ごとに開く個展の取材も兼ねてこれまでに12回、9ヶ国となりました。
1993年12月のネパール・ランタン谷トレッキングでは、初めての異国に興奮しすぎ、発熱・頭痛などの高山病に見舞われました。
1995年11月のトルコ14日間のバス旅行や1999年8月のインドネシア・バリ島は、いずれもスケッチブックと画材を携えての、なんともエネルギッシュな旅でした。
1999年10月には、アメリカ・ニューヨークのアートの現状を実感すべく現地に飛び、2000年9月にはニューヨーク・ソーホー地区での個展開催までこぎつけました。予想以上の困難な作業でしたが、たくさんの人に助けられ、いい出会いもあり、素晴らしい経験をしてまいりました。マンハッタンの(今はなき)ツインタワーを下から見上げたのも、複雑ながら懐かしい思い出となっています。
2001年10月のギリシャ行きは、折りしもアメリカの9.11テロ事件の直後。かなり迷いましたが、白と青の色彩の誘惑には逆らえませんでした。
2003年11月は、視点を海外から海の世界へと向けて、沖縄・名護市の美ら海水族館に3日間通いました。この時に制作した大作「ジンベイ鮫」(130cm×486cm)は、発想、手法、構成などにおいて記念碑的作品となっています。
2005年3月には、娘を通訳にしてスペインのマドリッドとバルセロナを訪れました。憧れだったガウディの世界に魅了され触発されて、帰国後は螺旋階段を存分に描きました。
そして2008年2月末。フランスのパリから飛んで地中海沿岸の避暑地ニースに降り立った私の目的は、海岸沿いにある港町・アンティーブ。この町は、私の敬愛する画家ニコラ・ド・スタールの終焉の地です。岬に面したピカソ美術館の3階には彼の代表作品が展示してあり、身を投げたアトリエも現存しています。そのアトリエの前でスケッチし続けた数時間は、なにものにも変えがたい至福のひとときでした。この時の作品は第11回「フランス 地中海の光もとめて」の部屋をご覧ください。
また、当時学んでいた北海道大学文学部芸術学講座での研究成果を、2009年5月に 『ニコラ・ド・スタール 調和を求め続けた画家の軌跡』という本にして出版しました。この本は、スタールに関する日本で最初のモノグラフとの評価をいただいています。(book monograph の部屋を参照)
2009年11月はフランスに滞在しながら、週末をイタリアのヴェニスで過ごしました。今回は奇しくも、世界文化遺産である「モンサンミッシェル修道院」と「迷宮都市・ヴェニス」のふたつを訪れることができたのは幸せでした。
ヴェニスは想像していた以上に魅惑的で愛しい街。水蒸気が満ち満ちているせいでしょうか、中世のまま時間が止まっているせいでしょうか・・・秋の微妙な光が紫色のバリエーションを生み出し、石造りの建物が写る水面がゴンドラの波でハレーションを起こし、世界中から集まる旅人に、それは不思議な感動を与える街なのです。
第12回個展では、この水の街・ヴェニスを、私なりに表現してみました。
中でも165cm×200cmのコラージュ『仮面舞踏会』のでは、仮面の男女が踊る妖艶でユーモラスな世界を表現するにあたり、金・銀・黒・白・赤という色と素材をいかに調和させるかに苦心しました。この作品は札幌市立円山小学校の玄関ロビーに飾られています。
第13回の個展会場は、みゆき通りとすずらん通りに囲まれた東京の銀座6丁目にある小さなギャラリーです。あるご縁により急に決まった個展なので新作は間に合わず、手元にある、これまでの気に入った作品を展示しました。画家として憧れていた銀座で好きな作品に囲まれて過ごした6日間は、これまで・・・とこれから・・・を考えるにふさわしい時間でした。
第14回の舞台は、再度イタリアです。前回のヴェニスが水の町なら、今回のトスカーナ地方は緑の町とも言えるでしょう。美しく造形された広大な畑地や家屋がバスの窓から見え隠れするさまは、まるで回り灯籠の絵のよう。北のミラノから南のローマまで延々と続く初秋の田園風景は、期待感に満ちあふれて飽きることはありませんでした。
しかし個展案内ハガキは、ミラノの街角で見かけた意味ありげな男女・・・の2枚の絵なのです。そして幸いか否か・・・この女性はご縁があってお嫁に行き、男性はおいてけぼりにされました。多分彼は、永遠に独り寂しく画庫に眠ることになるでしょう。今回の165cm×200cmの新聞のカラー印刷部分で制作したコラージュ『トスカーナ賛歌』も、札幌市立屯田小学校に飾られました。輝く太陽と溢れんばかりの収穫物に囲まれた母と娘のはつらつとした姿形は、まさに未来を生きる子供たちにも通じる・・・と、自画自賛しています。
2013年10月末に開いたコラージュ展は、これまで北大黒百合会展にOGとして何度か出品した作品の集大成でもあります。さまざまな紙に、墨を主とした動的な線を自由奔放に描き、それを手で千切って台紙に貼っていくという私流の技法で制作しました。偶然が生む線や形態の面白さや美しさ、不思議さ、その妙に気づき、とうとう葛飾北斎の境地に達してしまいました。MY HOKUSAI というシリーズは、これからも機会があれば手がけていきたい分野です。
2015年9月15日からの第16回個展は、北海道の風物がテーマです。これまで向けていた海外の風物への目線を、思い切り近くに---自分の足元まで動かしてみたくなりました。近くの橋の上から見る冬の手稲山、夏の美瑛の花畑、函館や釧路の旅の情景、散策路でもある円山公園の巨木などなど。その制作過程は、私を育んでくれた郷土への感謝と慈しみにあふれた時でした。今回の「あしもとを旅して」は、原点回帰の予兆かもしれません。と言いながら感覚の方向性は定まらず、気がつくと原点回帰はどこへやら。あらぬ方向に興味が移ってました。スペイン旅行で、フリオ.ゴンサレスという鉄の彫刻家の存在を知ったのです。東京の美術館で彼の彫刻作品を鑑賞し、立体を平面で表現することに関心が移りました。
2018年の個展『ゴンサレスと遊ぶ』では、鉄の作品が私の手によって、針金と発泡スチロールによる別次元の作品に変身。大いに遊ばせてもらいました。
さて、2021年6月29日からの第17回個展では”彫刻の平面化”の感性を捨てきれずに再度挑戦。札幌郊外の芸術の森美術館に点在している野外彫刻の数々がモチーフです。奇遇ですが、第2回個展に出したF100号の『ダイナモ』という作品。あれから30年過ぎた今回、新たな気持ちで再度『ダイナモ』に挑戦し、F100号に仕上げました。当日会場では、過ぎ去った30年という時間を、しみじみと思い起こすことでしょう。
2019年から始まったコロナ禍で外出もままならず、諸々の情報が入り乱れ世の中が不安に怯える中、私も制作意欲を失ってました。しかし、この時をチャンスと捉えて成し得たことが2つあります。長年の夢だった画集制作と第二の故郷 横浜に於ける個展、です。
画集は横浜在の娘の指示と協力で、身の程にふさわしいものが出来ました。横浜市青葉区あざみ野で開いた個展では、Instagramのフォロワーさん、知人、友人などたくさんの方々にご観覧頂いて、改めて嬉しさと感謝の気持ちいっぱいの中で終始しました。
コロナが落ち着いたこれからは、15年来指導している札幌YMCA造形絵画の先生として、絵画を媒体とする表現者として、日々精進して参ります。
またどこかで、お目にかかることを楽しみにしています。