本研究グループでは、相互作用する量子・古典多体系が非平衡に駆動されたときに現れる現象に興味を持って理論研究を行っています。非平衡系では、熱平衡系とは異なり、自由エネルギー最小化原理が一般に成立しません。このような非平衡系で生じる多体現象はどのように普遍的に理解できるでしょうか?また、非平衡に系を駆動することにより、どのような物性が生じ得るでしょうか?このような疑問を、冷却原子気体、超伝導回路、イオントラップなどの人工量子系から、固体電子系に光で強励起した系、及び、アクティブマター、生命系、生態系、化学反応等の非平衡古典系に至る幅広い研究対象に対して理論的にアプローチします。
【非相反フラストレーションの物理】(論文:[PRX 2024]; 特集:Physics "Viewpoint")
熱平衡状態は、自由エネルギー最小化原理により決定します。このことは、作用反作用の法則が成り立つことを意味しています。一方、外部環境から粒子・エネルギーが連続的に注入されている非平衡開放系では、その限りではありません。作用反作用の法則を破った非相反相互作用は、実際、生態系、生命系、脳科学から量子開放系に至る幅広い文脈で普遍的に現れます。
作用反作用の法則を破った相互作用は、多くの場合、それぞれの粒子の「願望」を同時にかなえられない状況が生じます。例として、非相反相互作用する2粒子系を考えてみましょう。「捕食者」粒子Aは「被食者」粒子Bに引力を感じ引きつけられる一方、「被食者」Bは「捕食者」Aから斥力を感じて遠ざかる、という状況を考えます。この際、粒子間距離が近くなることを「捕食者」Aは望む一方、「被食者」Bはその状況を嫌います。逆に、距離が遠い状況はBにとっては好ましいですが、Aにとっては都合が悪くなります。つまり、「捕食者」Aと「被食者」Bのどちらも同時に満足する状況は生じえないわけです。
この状況は、ある意味では、幾何学的フラストレーションのある状況と似ています。幾何学的フラストレート系は、例えば三角格子の上にのった反強磁性相互作用するスピン系に代表されます。スピンはお互い反対方向を向きたいところですが、三角格子上では、全てのスピンがそれを同時に反平行になることは不可能です。つまり、すべてのスピンの「願望」を同時に叶えることができないという意味で、非相反相互作用系と類似するわけです。
とはいえ、ここで述べた理由づけのみでは、「何となく似ている」の域を出ません。これに対し私は、これらの一見して関係のない概念が、実は直接的なアナロジーがあることを見出しました。具体的には、作用反作用の法則を破った極限では、ハミルトニアン系で知られるリウビルの定理が成立し、結果、生じうる軌道に初期条件依存性が現れます。これは、「偶然縮退」の動的対応物である、と言えます。この結果、幾何学的フラストレート系で現れることが知られている「無秩序による秩序現象」(ノイズを加えることで逆に秩序が現れる現象)が、非相反系でも生じることを明らかにしました。
【非相反相転移】(代表論文:[Nature 2021, PRR 2020, PRL 2019]; 特集:Nature; 解説記事:日本物理学会誌(日本語))
熱平衡状態における相転移の理解には、ランダウ理論が大きな成功を収めてきました。この理論は、自由エネルギーの関数形を対称性から規定し、エネルギー最小化の原理に基づき解析を行うことにより相転移の性質を同定するものです。単純な現象論ながら、連続相転移における比熱の飛びや感受率の飛びなど、多くの相転移の一般的な性質を簡潔に記述することに成功しています。一方、非平衡系では一般に、このような自由エネルギーは定義できないため、ランダウ理論をそのまま適用することはできません。非平衡系でも、ランダウ理論のような、対称性のみに規定される非平衡相転移の一般論は構築できないでしょうか?
我々は、ランダウ理論を一般の非平衡系に適用できる形に拡張することにより、上記の「エネルギー関数最小化の原理」に則らない新しいクラスの非平衡相転移現象が現れることを示すことに成功しました。非平衡状態では、集団モード間の非相反な結合により有限ギャップモードとゴールドストーンモードとが必ずしも直交しません。その結果、前者が後者へ「合体」する点が現れ(下図)、それが集団励起スペクトルに例外点と呼ばれるゼロ特異点の出現に特徴付けられる、特異な相転移点であることを示しました。
例外点の出現は一方のモードが他方のモードと一方的に結合することを示唆しています。そのため、例外点では詳細釣り合い条件を必ず破っている必要があるため、熱平衡状態の対応物のない相転移点であると言えます。さらにこの「臨界例外点」近傍において動的繰り込み群解析を行った結果、空間4次元以下で発散する異常に巨大な揺らぎが生じ上部臨界空間次元が8へと跳ね上がるという、特異な臨界現象を示すことを明らかにしました。その他、ヒステリシスや時間(準)結晶が現れるなど、例外点近傍で誘起される現象は多岐に及びます。
特筆すべきは、この理論の一般性の高さです。非平衡多体系が、(1)ギャップレスモードを有し(2)二つ以上のオーダーパラメータで構成されている限り、量子系・古典系問わず一般に臨界例外点が現れます。我々はこのことを、非相反相互作用する系へと拡張した、同調現象が現れる蔵本モデル、フロッキング現象が現れるヴィクチェックモデル、パターン形成が現れるスイフト・ホーヘンベルグモデル、及び非平衡量子多体系である励起子ポラリトン凝縮体等の具体的なモデルで上記の現象が起こることを例証しました。
【光により作用反作用の法則を破る】(論文:[Nat. Commun. 2025]; プレスリリース)
前述のように、原理的には、外部からのエネルギー注入がある非平衡開放系では一般に作用反作用の法則が破れた非相反相互作用が生じえます。ということは、固体中の電子も、生態系における捕食者と被食者のように、作用反作用の法則を破ることはあり得るのでしょうか?
我々は、非相反相互作用/相転移を固体電子系で光で誘起する方法を提案しました。具体的には、金属強磁性体の局在スピン間相互作用の素過程に光によりエネルギー注入することにより、局在スピン間の相互作用を非相反にする方法を提案しました。このアイデアを磁性体-非磁性金属-磁性体層に適用することにより、異なる層の間の磁性が非相反相互作用により多体の追いかけっこをする相へと非相反相転移することを示しました。
【励起子ポラリトン凝縮体における謎の解明】(代表論文:[PRL 2019, PRB2018])
励起子ポラリトン凝縮体は、条件によっては室温でもボース・アインシュタイン凝縮が実現する多体系として、注目されています。半導体量子井戸を微小共振器に挟んだ構造に光を照射すると、電子正孔対である励起子と、共振器に捕らえられた光子とが強く結合した、励起子ポラリトン気体が生成します。この準粒子は半分光でできており非常に軽く、量子性が現れやすいため、比較的容易にボース・アインシュタイン凝縮(BEC)が実現します。興味深いことにこの系は、光子が系の熱緩和と同等の時間スケールで共振器から漏れ続ける、非平衡性の著しい系です。
このような非平衡性と強相関効果が同居する系を解析すべく、我々はケルディッシュ・グリーン関数法を用いて、それらを同時に取り込んだ理論的枠組みを構築しました。この枠組みを用いて、我々は、励起子ポラリトン系において長年謎とされてきた二つの観測事実に対し、理論的に明快な説明を与え、解決に導くことに成功しました。
一つ目の謎は、不可解な「第二閾値」の出現です。照射する光強度を徐々に強くしていくと、ノーマル相から凝縮相への相転移が起こったことを知らせる「第一閾値」に加えて、別の相転移点の存在を示す「第二閾値」が現れることが、数多くのグループによる実験で確認されています。非常に強い光照射強度では、この系は半導体レーザーデバイスとして作動することが知られているため、長らくこの二つ目の閾値はポラリトンBECから半導体レーザーへ転移したことを示すシグナルだと信じられてきましたが、どちらも共通のオーダーパラメータにより記述されることが知られており、対称性の議論のみからでは第二閾値の存在を説明できません。
この第二の相転移の起源を解明すべく我々は、ミクロな模型からオーダーパラメータが従う厳密な運動方程式を立て、その一般的な構造を解析しました。結果、この系の非平衡性が、【非相反転移】と同様の機構により、例外点を終端点に持つ一次相転移線が必ず現れることを示しました。この理論が予想する相転移線のおおよその位置は、現存する実験の報告と合致します。
二つ目の謎は、「負の分散」が測定されたスペクトルに現れない、という謎です。この系では従来、 多体系の量子揺らぎがもたらす「量子ディプリーション」により、負のエネルギーを持つ分散がスペクトル強度に現れると理論的に予想されてきました。これが検出されれば、量子多体揺らぎを直接見る画期的な観測となるためその検出に期待が高まっていましたが、この「負の分散」はほとんどの実験で現れず、その原因は長年、不明でした。我々は、これが従来の理論に非平衡性が考慮されていなかったことが原因であるとにらみ、構築した非平衡強相関理論を用いてスペクトル強度を計算し、その結果、非平衡性が 「負の分散」を強く抑制することを見出しました。この研究で得られた結果は数多くのグループで観測されたスペクトル強度の特徴の多くを再現し、特にGaAsを用いた実験とは半定量的に一致しました。