登場人物
浩司(こうじ) 男性
20代前半~半ば。
恋愛に疎く、関係が進展しない傾向がある。
過去の失恋を引きずっている。
仕事先の後輩である、皐月の幼馴染、ゆりに一目惚れをする。
※苗字:白渡(しらと)
桃香(ももか) 女性
20代前半~半ば。
浩司の幼馴染。既婚者。
尻に敷かれている夫がうざいと無意識に惚気る。
男どもの背中を叩いて喝を入れる役割をよく担っている。
道弘(みちひろ) 男性
20代前半~半ば。
浩司の幼馴染。
結婚間近の婚約者がいる。
思い詰める浩司を酒の席によくよく誘う。
皐月(さつき) 女性
20代半ば~後半。
浩司の仕事先の先輩で、教育係を勤めている。
部下思いで、よく相手を見ている。
ゆりの幼馴染。
※苗字:藤代(ふじしろ)
ゆり 女性
20代後半。
大人しくお淑やか。
恋愛に対して積極的ではない。
何故か相手と距離を置くようにしている。
皐月の幼馴染。
茜(あかね) 女性
道弘の婚約者。同棲している。
浩司と桃香は、幼馴染として婚約の際に挨拶済み。
※名前のみ登場
レオ 男性
フランス人。桃香の旦那。
尻に敷かれている。愛情表現豊か。
留学中に桃香と出会い、帰国後外資系企業に就職。
仕事の取引先で桃香と再会し、猛烈アタック後付き合い、スピード結婚。
現在はフランスと日本、別々で暮らしているが、国籍取得の為に日本への異動届を提出中。
※名前のみ登場
今井 塁(いまい るい) 女性
学生時代の浩司の初恋相手。
結婚式の招待状を、今でも付き合いがある桃香に送る。
※名前のみ登場
宏人(ひろと) 男性
故人。ゆりの婚約者だった。
交通事故により、ゆりを庇い命を落とす。
毎日愛情表現をするくらい、ゆりを溺愛していた。
※名前のみ登場
配役表
浩司:
桃香:
道弘:
皐月:
ゆり:
浩司M
「あの日、俺の世界に光が差した。
モノクロでしかなかった世界に、色が付いた。
支えたい。傍にいたい。諦めたくない。
そう思ったのは、初めてだった」
-回想-
浩司
「い、今井!あのさ……俺、今井に言いたいことがあるんだ。
えっと、その、今井。す、す……スキー教室、今度あるだろ?
確か今井、家族旅行でスキーをよくするって言ってたよな?その、コツとか聞いても、いいか?」
-遠くで見てる桃香と道弘-
桃香
「(溜息)」
道弘
「あの様子じゃ、今回も無理そうだなぁ」
桃香
「そうだねぇ」
浩司
「(スキーのコツを教わり)ありがとう、今井。また分からないところあったら聞くな」
道弘
「おーい、浩司。ちょっと来い」
浩司
「なんだよ」
桃香
「なんだよ、じゃないわよ。このままじゃ取られるよ?」
浩司
「……分かってる。でも、俺なんかに告白されたら今井だって困るだろ。
それに、もし告白を受けてくれたとしても、振られたとしても、今後の関係がぎくしゃくするのは、嫌だしな」
桃香
「あんた、馬鹿正直なくせに変なところ真面目だよね。恋にそんな余裕ないわよ」
道弘
「そこが浩司のいいところなんだろうけどな。
それになぁ?関係がとか、まだ大丈夫だって思ってても、お前の他に今井のことを好きな奴がいるかもしれないぞ」
浩司
「それは、分かってる。次は、ちゃんと告白するよ」
-夢から覚める-
浩司
「……なんて夢だよ。もう、随分前なのにな。
(時計を見る)やっべ。今日入社式だ!急いで支度しないと!」
-会社 入社式-
皐月
「先程ご紹介にいただきました。藤代皐月と申します。
皆さんと一緒に働けること、とても嬉しく思います。
私も新入社員の時は分からないことだらけでした。悩むこともありました。
ですが、先輩方のおかげで成長することができました。
自分が先輩方にしてもらったように、今度は自分が皆さんの力になれるよう努めていきたいと思っています。
慣れない環境で不安もあるかと思いますが、困ったらいつでも頼ってください。
以上で、挨拶を終わります」
-営業部署-
浩司
「おはようございます。本日入社致しました。白渡浩司です。
こちらで新社会人生活をスタートできることに、大変喜びを感じています。
大学時代に行った、ボランティア活動での人との関わり方を活かして、少しでも会社に貢献できればと思っております。
至らない点もあるかもしれませんが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
皐月
「丁寧な挨拶だな。入社式でも挨拶したが、藤代皐月だ。教育係を努めることになる。
厳しくすることもあるが、業務で分からないことがあったらすぐに聞くように」
浩司
「分かりました」
皐月
「座席は、入社の際に配られている書類に書いてあるから、確認するように。
今日は簡単な業務説明だけだから、そんな緊張しなくてもいいよ」
浩司
「はい!」
皐月
「明日からは簡単な書類作成。それから徐々に営業周りにも行ってもらう」
浩司
「はい。よろしくお願いいたします」
浩司M
「俺の指導に付いてくれたのは、藤代皐月先輩。
第一印象は、とても厳しそうな人だと思った。
仕事内容は覚えることが沢山で、メモを取るのに必死だった。
分からないことがあれば皐月先輩に聞くと、丁寧に答えて分かるまで教えてくれたよ。
この会社でうまくやっていけるか不安だったけど、この一瞬で、頑張れるって思ったんだ」
-居酒屋-
桃香
「ぁ、こっちこっち!」
浩司
「悪い。遅くなった」
道弘
「大丈夫だって。気にすんな。俺達も今さっき来て飲み始めたばかりだしな」
浩司
「そっか。(店員に)ぁ、すいません。注文お願いします。
えっと、唐揚げとハイボールをお願いします」
桃香
「あ、このお刺身盛り合わせもお願いします」
浩司
「道弘はなんか頼むか?」
道弘
「あー、じゃあ唐揚げもう一つお願いします」
-店員が注文を受け、戻っていく-
浩司
「(一息つく)」
道弘
「今日入社式だったんだろ?どうだった?」
浩司
「今日は業務説明だけだった。本格的な仕事は明日からだな」
桃香
「最初はそうだよねぇ。けど、内定取れて良かったね」
浩司
「お前らとは一年ずれだったからな」
道弘
「まさか面接落ちまくるとはなぁ」
浩司
「仕方ねぇよ。就職難の時期だったしな」
桃香
「まぁまぁ、今日は浩司の入社祝いも兼ねての飲み会!ぱーっとはっちゃけようよ!」
浩司
「そうだな」
道弘
「(注文した料理が運ばれてくる)お、きたきた。じゃ、浩司の入社を祝して、乾杯!」
桃香、浩司
「乾杯」
-飲む-
桃香
「ぷはぁ!あー、美味しい」
道弘
「あー、仕事終わりのビールってなんでこんなうまいんだろうなぁ」
桃香
「中年オヤジみたいなこと言わないでよねぇ」
道弘
「しょうがねぇだろぉ。うまいんだから」
桃香
「あ、入社して早々、こんなこと聞きたくないだろうけど、パワハラ上司に当たるかもしれないから気を付けなさいよ」
浩司
「あー、確かに厳しそうな女性だったけど、そんなパワハラなんてするような人には見えなかったなぁ」
桃香
「ま、最初はパワハラする上司かどうかなんて分からないわよ。
でも、浩司がそう言うなら、ちゃんとした上司の人なのかもね」
浩司
「ああ。分からないこと聞いたら、俺が分かるまで教えてくれたよ」
道弘
「へぇ。いい上司じゃん」
浩司
「そうだな。この会社でやっていける気がする」
桃香
「それなら良かった」
浩司
「俺のことより、桃香の方はどうなんだよ」
桃香
「ん?仕事のこと?順調だよ」
浩司
「そうじゃなくて……」
桃香
「あー、レオ?」
浩司
「そうだよ」
道弘
「いやぁ、まさか男勝りな桃香が一番最初に結婚するとはなぁ」
桃香
「男勝りは余計でしょ」
道弘
「だってそうだろ?高校の頃、男の噂一つもなかったんだぞ?
それが久しぶりに連絡がきたと思ったら、結婚式の招待状はさすがに驚くだろ。
天変地異でも起きるかと思ったし、連絡してきたの桃香じゃねぇだろって疑ったわ」
桃香
「失礼過ぎない?
結婚式は二人とも来てくれてありがとう。スピーチも感動した!」
道弘
「幼馴染の為ならなんでもするさ」
浩司
「そうそう。スピーチをお願いされた時は嬉しかったよ」
桃香
「そう言ってくれて嬉しい」
浩司
「旦那さんとは大学時代に知り合ったんだよな?」
桃香
「そうだよ。日本留学で私の在籍する大学に来てたんだよねぇ。
就職先はそれぞれ日本とフランスだったんだけど、まさかの同グループの外資系企業に就職してたんだよね。
そのまま取引先として再会して、とんとん拍子に告白されて交際して国際結婚。今じゃ新婚ほやほやの人妻よ」
道弘
「今は日本とフランスで別々に暮らしてるんだよな?」
桃香
「そうだよ?」
浩司
「将来どうするんだ?フランスに移住でもするのか?」
桃香
「ううん。このまま日本で暮らす予定」
道弘
「え、でも旦那どうすんだよ」
桃香
「レオが日本国籍取得するって言ってて、こっちの支社に移動願い出したんだよね。
認められたらこっちで暮らす予定だよ。帰化申請するんだって張り切ってる」
道弘
「まじか。旦那すげぇ行動力だなぁ」
浩司
「桃香が幸せならフランス移住も温かく見送ろうって思ってたけど、日本に残るって聞くと嬉しいもんだな」
桃香
「レオが日本好きだしね。私の両親もレオのこと気に入ってるから、フランスに行くことはないかなぁ」
道弘
「そういやご両親、銀行員だったか」
浩司
「英語バリバリだったよな」
道弘
「英語のテストの時、お世話になったわ。まじ怖かったけど」
浩司
「懐かしいな」
桃香
「そんなことより、道弘はどうなのよ」
道弘
「まだ婚約したってだけで、式を挙げる予定だいぶ先だしなぁ」
桃香
「式場の候補挙げとくだけでもだいぶ楽だよ」
道弘
「あー、それは茜にも言われたから二人で選んでるよ。
式場っていっぱいあるんだな。調べてビックリしたわ。
下見に行く式場と、招待客のリストアップがすげぇ大変」
桃香
「分かる」
浩司
「婚約報告の時にご挨拶させてもらったけど、茜ちゃんいい子だったよなぁ」
桃香
「またお話したいね」
道弘
「茜もまた話したいって言ってたよ」
浩司
「それなら、今度は茜ちゃんもいれて食事かな」
桃香
「そうね」
道弘
「浩司。茜に惚れるなよ」
浩司
「惚れねぇよ」
桃香
「浩司は好きな人いないの?」
浩司
「いないよ。てか(お酒を飲み干す)、恋愛はいいよ」
桃香
「まだ引きずってるの?」
浩司
「引きずってるっていうか……まぁ、引きずってるか」
桃香
「素直すぎてもあれだけど、相手のこと考えすぎて自分の気持ちを伝えないのも、考えものよねぇ。
時と場合によるけど、恋愛の時は素直に言った方がいいわよ。
好きなら好き。伝えなきゃ相手がどう思ってるかも分かんないんだから。
受け入れてくれるとか、振られたら、とか考えなくいいの」
浩司
「……そうだなぁ。あの時、痛いほど理解したよ。お前らが"早く告白しろ"って言ってた意味」
道弘
「だろー?大学は別々のところに行ったけど、今井より好きな奴はいなかったのか?」
浩司
「……いないなぁ」
道弘
「告白したことは?」
浩司
「ない。告白されたことならあるけど」
道弘
「お、付き合ったことねぇの?」
浩司
「あれ付き合ったって言えるのか?返事待ってもらってる間に何回か遊んだことあるけど、返事しようと思ったら振られたな」
桃香
「はぁ?なんで?」
浩司
「よく分かんねぇよ。優しすぎるんだってさぁ、俺」
桃香
「あーね?大学の時?」
浩司
「うん」
桃香
「そのくらいの年齢の子って、安心よりドキドキ感を求めるからねぇ。
浩司の優しさは、旦那にするには大正解なんだけど、その年齢の女の子からしたら彼氏としてはダメなんだろうね。
惜しい男逃してるなぁ。その子たち」
道弘
「その言い方、浩司のこと好きなのかー?」
桃香
「恋愛じゃなくて、幼馴染として、友達として好きだよ?そういう道弘も同じじゃない」
道弘
「そうだな。俺もお前らが好きだぞー?」
桃香
「ふふっ」
浩司
「それは嬉しいな」
道弘
「(茜から連絡が入る)ぁ、茜から連絡来たからそろそろ帰るわ」
桃香
「じゃあ、今日はお開きかな。また飲もうね」
道弘
「あ、今日は俺と桃香が奢るから、浩司は財布出すなよ」
浩司
「分かってるよ。ご馳走様」
道弘
「おう。いいってことよ」
浩司M
「いい幼馴染を持ったと思う。
こいつらが居たから、就職で挫折しても頑張ってこれた。
会社もこれからだけど、桃香が心配していたようなパワハラ上司ではない気がする。
あくまで俺の勘。どうなるかは分からないけど、うまくやっていけるだろう。
……恋愛は、きっと前には進めないと思う。吹っ切れてると思ってたけど、どこかしら胸に閊(つか)えている。
俺は、このままでいいと思ってる。苦しい想いをするなら、最初から好きにならなければいい。
そうすれば、あんな思いをしなくて済むんだ」
-夢-
-回想-
浩司
「(深い溜息)」
桃香
「……」
道弘
「……」
浩司
「(再び深い溜息)」
桃香
「だから言ったじゃん」
道弘
「とうとう、今井に彼氏、出来ちまったかぁ」
浩司
「……今井が幸せなら、それでいい」
桃香
「まだ大丈夫って思ってても、恋愛なんて分かんないのよ。これで分かったでしょう?
相手が告白されて嫌かもしれない、関係がギクシャクするかもしれないじゃないのよ。
恋愛にそんな馬鹿正直で真面目な思考は要らないの。
伝えたい時に伝えないと、今回みたいに手遅れになるわよ」
浩司
「……痛い程分かった」
道弘
「まぁ、次があるさ」
浩司
「次があればいいな」
-回想 終了-
-夢から覚める-
浩司
「……嫌な夢だなぁ」
浩司M
「幼馴染とあんな話をしたからだろうか。初恋の相手に、彼氏が出来ていた時の夢をよく見るようになった。
別に恋愛をしたくないわけじゃない。出来ないだけだ。
今井のことがあって、誰かを好きになるのが怖いんだと思う。
あいつらが心配してくれているのは分かってる。
いつか、本気で好きだと思える人に会えるんだろうか……?」
-会社-
浩司
「皐月先輩!」
皐月
「浩司、聞いたぞ。一人で契約取れたって?」
浩司
「はい!これも、皐月先輩が丁寧に教えてくれた賜物です!
本当に、ありがとうございます。俺、自信が持てました」
皐月
「褒めすぎだ。だが、契約が取れたからってぬか喜びするなよ」
浩司
「はい。分かってます」
皐月
「だが、研修期間を終えてすぐに契約を取ってくるのは凄いことだぞ。期待している」
浩司
「はい。頑張ります」
皐月
「契約を取ったのは浩司だ。しっかり担当者として、丁寧に取引先と接するように」
浩司
「何事も信頼関係、ですよね」
皐月
「教えたことを忘れずに活かしていて何よりだ」
浩司
「ありがとうございます。
それでは、業務の方に戻りますね」
皐月
「ああ。根詰めず、休憩挟むんだぞ」
浩司M
「ここに入社して2年。
社会人としての基礎。営業のこと。取引先との信頼関係の大切さ。
皐月先輩から、色々なことを教わった。
研修期間が終わってすぐ、俺のことを気に入ってくれた会社が契約をしてくれた時は、嬉しかったな。
これからも、この会社の為に頑張ろうって思ったんだ。
そして、ある会社との打ち合わせを終えた時、俺は出会ったんだ」
浩司
「ご契約、ありがとうございます。
本日は会議室ではなく、カフェでの打ち合わせになってしまって申し訳ありません。
……いえ、喜んでいただけて良かったです。それでは、また改めてご連絡いたします。
(取引先が先にカフェを出ていく)……よし。すぐに帰社して書類を作らないと……」
-皐月とゆりの声が聞こえてくる-
ゆり
「季節限定あってよかったね」
皐月
「ほんと、ベリー好きにはたまらないよ。ゆりが頼んだのも美味しそうだった」
ゆり
「少しあげる」
皐月
「いいの?なら私も少し分けるね」
ゆり
「ありがとう」
浩司
「あれ、先輩?」
皐月
「え?あんた、なんでここに?」
浩司
「打ち合わせをここのカフェでやっていたんです。って言うかすいません。オフの日に話しかけてしまって」
皐月
「いや、いいよいいよ」
-店員が飲み物を持ってくる-
皐月
「あ、ありがとうございます。カフェラテはあっちで……はい、分かりました。ありがとうございます」
ゆり
「皐月、この方は?」
皐月
「あぁ、仕事先の後輩」
ゆり
「こんにちは」
浩司
「ぁ、は、はい!こんにちは」
ゆり
「ゆりです。いつも皐月がお世話になってます」
浩司
「ぁ、こ、浩司と申します!いえ、いつも先輩にお世話になっております」
皐月
「お世話してるのは私。ゆりは私の幼馴染で親友」
浩司
「(ゆりを見つめ心ここに在らず状態)……」
皐月
「……おい」
浩司
「は、はい!」
皐月
「打ち合わせが終わったら本社に帰社!新人の頃教えただろ」
浩司
「す、すいません!」
皐月
「あと、明日話がある。昼休憩空けときな」
浩司
「分かりました。それでは失礼します」
-会釈してカフェを出ていく-
浩司
「オフの日に声掛けるって、失礼なことしちゃったかなぁ。
……にしても、ゆりさん、かぁ。綺麗で、可愛くて、優しい人だったな」
浩司M
「不思議な気持ちだった。
心がじんわりと温かくなって、熱くなったんだ。
俺は知ってる。この胸の高鳴りを。この正体を。この、気持ちの"名前"を。
もう、出会えないと思っていた。あの日以来、俺の心は真っ暗だった。
二度と、あの気持ちが沸き上がることはないと……。
……あぁ、自分が一番よく分かっている。俺は、あの人に、"恋"をしたんだ」
-翌日-
-会社 営業課-
浩司
「先輩」
皐月
「んー?」
浩司
「これ、クライアント先からの書類です」
皐月
「あぁ、ありがとう。他にはなんか言ってた?」
浩司
「別案件の発注をかけていた商品の納品が、配送途中の事故で遅れているそうです。
企画書の練り直しと、商品代案を提示し直すので、プロジェクト会議の日付をずらせないか、とのことです」
皐月
「あー、配送事故か……正規のプロジェクト会議が二日後だから、仕方ない。
後で私が先方に電話する。詳しく現状を把握しないと詰められないからな。ありがとう。休憩入っていいぞ」
浩司
「はい。あの、先輩。先日言ってた話っていうのは……」
皐月
「……あぁ、ちょうど昼休憩だし、いいか。
(背筋を伸ばし椅子から立ち上げる)飲み物奢るから、ちょっと話しようか」
浩司
「は、はぁ」
-休憩室-
皐月
「ほら、コーヒー」
浩司
「ありがとうございます」
-缶コーヒーを開け、飲む-
皐月
「……あんた、ゆりに惚れたでしょう」
浩司
「ぶっ!(むせる)ゲホッ、ゴホッ!」
皐月
「……はぁ、マジかぁ」
浩司
「ゲホッ。は、話ってそれですか!?」
皐月
「それ以外に何がある。あんた、バレバレなのよ」
浩司
「す、すいません」
皐月
「一目惚れ?」
浩司
「は、はい。一目惚れです」
皐月
「……新人の頃から面倒を見てきた可愛い後輩の恋を応援したいし、ゆりを好きになってくれる人が現れたのは嬉しいことだけど」
浩司
「?」
皐月
「やめときな」
浩司
「ぇ、ど、どうしてですか?」
皐月
「お互いが、しんどい思いをするだけよ」
浩司
「……先輩は、何を知ってるんですか?知ってるなら、教えてほしいです」
皐月
「教えられない。あんたの為だし、ゆりの為よ。
私は先方に連絡しなきゃいけないから、あんたはこのまま休憩に入りなさい」
-休憩室を去る-
浩司
「……なんなんだよ」
浩司M
「言っている意味が分からなかった。
お互いがしんどい思いをする?俺の為だし、ゆりさんの為?
何度考えても、皐月先輩の言葉の意図は読めなかった。
その日はずっと、意味を考えていたと思う。
気付けば終業時間を迎え、俺はスーパーにいた。
その時、ゆりさんに再び出会ったんだ」
-スーパー-
浩司
「あれ、ゆりさん?」
ゆり
「え?」
-振り返ると浩司が買い物カゴを下げている-
ゆり
「えっと……(思い出す)ぁ、確か皐月の仕事先の」
浩司
「あ、あの時は急いでご挨拶をしてしまいましたね。
皐月先輩の後輩で、浩司と申します」
ゆり
「改めてご丁寧に自己紹介ありがとうございます」
浩司
「いえ、お夕飯の買い出しですか?」
ゆり
「あ、今度皐月と遊んだ時にご馳走しようかなって」
浩司
「なるほど。結構買われてますけど、カゴ重くないですか?よかったら持ちますよ」
ゆり
「ぇ、でも……」
浩司
「あ、そんな面識ないのにいきなり失礼でしたよね。すいません」
ゆり
「い、いえ。少し驚いてしまっただけで……お願いできますか?」
浩司
「は、はい。喜んで持ちますよ」
-ゆりのカゴを受け取る-
ゆり
「ありがとうございます」
浩司
「いえいえ」
ゆり
「浩司さんも、料理されるんですか?」
浩司
「あはは、苦手ですけど多少は。自炊頑張ってます」
ゆり
「私も、昔は料理が苦手でしたけど、楽しいですよね」
浩司
「そうなんですよ。今まで食べてた料理がこんな大変な工程を得て作られてるんだと初めて知った時は感動と感謝でいっぱいでした」
ゆり
「ふふっ、浩司さんは優しい人なんですね。
将来は何か作りたい料理とかあるんですか?」
浩司
「和食が好きなんで、肉じゃがとかですかね。
おふくろがよく作ってくれてて、自分でも何回か挑戦したんですけど、中々同じ味が出来なくて……」
ゆり
「お母様の味……きっと、何か隠し味があるんでしょうね」
浩司M
「ゆりさんの言葉に、俺は覚えてる限りおふくろの味を思い出した。
隠し味、か……久しぶりに、おふくろに会いに行こうかな。
ゆりさんは、皐月先輩のことをとてもよく思っていて、その優しさが、好きだなって思った。
もっともっと、ゆりさんを知りたいって……でも、それがいけなかったんだ」
-ゆりの家の前-
浩司
「陽が落ちる前にお送り出来てよかったです」
ゆり
「いえ、荷物まで持っていただいてありがとうございました」
浩司
「俺が好きでやったことですから、気にしないでください」
ゆり
「今日はありがとうございました。それでは」
-家に入ろうとする-
浩司
「ぁ、あの!」
ゆり
「……?」
浩司
「あの、俺、会ったばかりでそんな面識もないのに失礼なことを言うのは重々承知しておりますが、言わせてください!
俺、ゆりさんに一目惚れしました!」
ゆり
「……」
浩司
「ゆりさんの笑顔に(惚)れました。(好)きになってしまったんです。
良ければ俺と、(付き合って)いただけませんか?」
※()の部分は、ゆりには聞こえていないので、言わないでください
ゆり
「……ごめんなさい。
送っていただいてありがとうございます。それでは、さようなら」
-家の中に入る-
浩司
「……え」
浩司M
「どうやって帰ったのかは覚えていない。
気付いたら家にいて、何も食べずにベットに横になっていた」
浩司
「……振られたん、だよな。
……"ごめんなさい"か。やっぱ、恋愛なんてうまくいかないな」
-翌日-
-会社 営業課-
皐月
「浩司!」
浩司
「(吃驚)は、はい!?」
皐月
「お前、今すぐ会議室来い」
浩司
「ぇ、は、はい」
-会議室-
浩司
「あの、先輩。一体何が……いっ!」
-ネクタイを掴まれ壁に押し付けられる-
皐月
「あんた、ゆりに告白しただろ」
浩司
「ぇ、ぁ、はい」
皐月
「やめときなって言ったよな?」
浩司
「言われましたけど、先輩に俺の恋を止める義理はないと思います!」
皐月
「泣きながらゆりが私に電話してきたんだよ!」
浩司
「……ぇ」
皐月
「あんたのエゴで言った言葉は、全部ゆりに取ったら苦しいんだ!」
浩司
「け、けど!俺の告白はゆりさんに聞き入れてもらえなかったんですよ!」
皐月
「愛の言葉が聞こえないんだから告白しても受け入れてもらえるわけないだろ!」
浩司
「愛の言葉が聞こえないって……どういう意味ですか?」
皐月
「(舌打ち)ここまできたら、打ち明けるしかないか……」
-ネクタイから手を離す-
皐月
「いいか。ゆりには、婚約者がいる」
浩司
「え?でも、指輪はしてなかったですよ?」
皐月
「……出来ない理由があるんだよ。
婚約指輪を受け取りに行った時、事故に遭ったんだ」
浩司
「事故?」
皐月
「ああ。ゆりは婚約者が庇ってくれたから軽傷で済んだ」
浩司
「こ、婚約者さんの方は?」
浩司M
「皐月先輩の口から語られたゆりさんの過去は、想像もつかない程だった。
婚約者がいて、二人で婚約指輪を取りに行く途中で事故に遭い、婚約者が亡くなった。
その事故がきっかけで、ゆりさんは"愛の言葉"が、他人から自分に対する"好意の言葉"が、聞こえなくなっていた。
そんなゆりさんを皐月先輩は支え、俺みたいにゆりさんを好きになる人が現れたら、同じ話をしていたらしい。
けれで、自分の言葉が伝わらないと知ると、みんなゆりさんから去っていった。
俺は、真実を知っても尚、ゆりさんを知りたいと思った。
ゆりさんの想い人も、知っておかないとと思った。
それが、ゆりさんを好きになった俺の、責任だと思うから」
-自宅-
-電話がかかってくる-
浩司
「もしもし」
道弘
「おう、浩司。仕事終わったか?」
浩司
「今帰ってきたところだよ」
道弘
「んー?なんか元気ねぇな?なんかあったのか?」
浩司
「いや、なにもないよ」
道弘
「……なぁ、今家出れるか?飲み行こうぜ」
浩司
「はぁ?茜ちゃんいるんだろ。俺なんかと飲みに行かずに茜ちゃんと一緒に居ろよ」
道弘
「(傍にいるのか話し出す)茜。今から浩司と飲みに行っていいか?
……うん。そう。婚約者だって紹介した時にいた、俺の幼馴染。
……分かった。サンキュー。日付変わる前には帰るけど、先寝てていいからな。
ってことだ浩司。聞こえたかー?」
浩司
「相変わらずだな。茜ちゃんにありがとうって伝えておいてくれ」
道弘
「おう。じゃあいつもの駅前の居酒屋な」
浩司
「分かった」
-居酒屋-
道弘
「お、来た来た。おーい、浩司!」
桃香
「遅いぞー?」
浩司
「なんで桃香もいるんだよ」
道弘
「誘ったら来た」
浩司
「既婚者を誘うなよな」
桃香
「レオも許してくれてるから大丈夫だよ。
それで?道弘から聞いたけど、なんかあったんだって?」
浩司
「なんかあったって訳じゃ……」
道弘
「仕事かー?それとも親御さんと喧嘩したか?」
浩司
「……」
桃香
「……恋愛?」
道弘
「それはないだろ。あの浩司だぞ?」
桃香
「好きな人でも出来た?」
浩司
「……桃香には、バレバレだな」
道弘
「……まじ?」
桃香
「どんな人?」
浩司
「綺麗で、優しくて、親友想いの人」
桃香
「ふぅん?」
道弘
「告白するのか?」
浩司
「いや。……なぁ、もし。もしだぞ?自分の好きになった相手が、愛の言葉が聞こえないとしたら、どうする?」
桃香、道弘
「?」
浩司
「……変なこと、聞いてるよな。悪い。忘れてくれ」
桃香
「そのもしも話と、浩司の好きな人がどう繋がるのかは分からないけど、"好き"って言葉に執着しなきゃいいんじゃない?」
浩司
「どういう意味だ?」
桃香
「好きって気持ちを伝えるのって、"好き"って単語だけ?
他にも、"好き"を伝える言葉、あるでしょ?
なにもその言葉だけに拘る必要ないよ」
浩司
「……」
桃香
「レオからのプロポーズも、好きとか愛してるとか言われてないもん」
道弘
「え、まじで?なんて言われたんだ?」
桃香
「"この先も隣を歩きたい。君の隣にいる男は僕がいい"だってさ」
道弘
「ははっ、そりゃ愛で潰れそうなプロポーズだ」
桃香
「うざすぎる愛だよ。毎日毎日、"どんな君を見ても、僕の心は踊る一方だ。どうして君はそんなに僕を喜ばせるのがうまいんだい?"って」
道弘
「流石はフランス人。熱烈だな」
浩司
「……好きって言葉以外にも、伝わるんだな」
桃香
「伝え方次第じゃない?」
浩司
「そうだよな。ありがとう、桃香」
桃香
「浩司の気持ち、受け入れてくれるといいわね」
浩司
「……そうだな」
道弘
「安心しろ。振られたら慰めてやる」
浩司
「気持ちだけ受け取っておくよ」
桃香
「そういえば、この流れで言うのは悪いと思ってるんだけど……塁、結婚するって」
浩司
「……」
道弘
「あー……今井?」
桃香
「うん。招待状、つい先日届いたんだ。
浩司に伝えようか悩んでたんだけど、この流れで言ってごめんね」
浩司
「いや、いいよ」
桃香
「どうする?出席するなら、塁に伝えておくけど」
浩司
「やめておく。招待状届いたのは桃香だしな。
それに、招待されてたとしても、告白出来なかった後悔が湧いてきそうだから、行かない方がいい」
桃香
「そう。伝えておきたいこと、ある?」
浩司
「いや。なにも」
桃香
「分かった」
道弘
「なんかしんみりしちまったなぁ。気取り直して飲むぞ!」
浩司
「日付変わる前に帰るって茜ちゃんに言ったんだろ。それまでには解散するぞ」
道弘
「そういえばそうだったな。まぁ、なんだ。浩司。後悔するくらいなら、全力でぶつかれ」
浩司
「……ああ」
浩司M
「二人のおかげで、前に進める気がする。
なにも"好き"に拘る必要はない。それは告白する側の拘りだ。
伝わらないなら、伝わる言葉に言い換えればいいだけの話。
気持ちを伝えたいだけなら、いくらでも伝えられる方法はある。
付き合えなくてもいい。告白を受けてくれなくてもいい。
ただ、ゆりさんが人の好意を聞こえるようになるまで、俺も傍で支えたいんだ。
改めて気持ちが固まった俺は、翌日、皐月先輩に電話をした。ゆりさんに、謝る為に」
-皐月に電話をかける-
皐月
「もしもし?」
浩司
「もしもし。お仕事中にお電話して申し訳ありません」
皐月
「いや、いいよ。どうした?」
浩司
「あの、すいませんでした。自分のエゴで、ゆりさんを傷つけてしまって」
皐月
「その話は昨日終わっただろ。
それに、浩司の気持ちも分かったし、私は何も言わないよ」
浩司
「……はい」
皐月
「用はそれだけ?」
浩司
「いえ。もう一つあります」
皐月
「なに?」
浩司
「ゆりさんに、謝りたいんです。
事情を知らなかったとはいえ、ゆりさんを困らせてしまいました。
きっと俺の告白に対しても、ゆりさんは俺を傷つけないように配慮してくれていたはずです。
今思い返せば、自分が一番つらいはずなのに、俺を気遣ってくれてたと思うんです。
謝りたい。でも、自分だけだとゆりさんは会ってくれないかもしれません。
だから、皐月先輩。ゆりさんのところまで、ついてきてくれませんか?」
皐月
「私情とはいえ、上司を使うとはな」
浩司
「す、すいません」
皐月
「賢明な判断だ。駅前待ち合わせでいい?」
浩司
「は、はい!」
皐月
「午後休だから、午後一に待ち合わせしようか」
浩司
「分かりました」
皐月
「それじゃあ。また後で」
浩司M
「皐月先輩と合流した後、ゆりさんの家に向かった。
俺は、何度も心の中で謝罪の言葉を呟いていた。
許してもらおうとは思わない。
それでも、ここでゆりさんから離れたら、今までの男と同じになってしまう。
それだけは、嫌だったんだ」
-ゆりの家の前-
皐月
「ゆりに連絡入れたから、携帯見たら玄関開けると思うよ」
浩司
「はい」
皐月
「……大丈夫。誠心誠意伝えればいい」
浩司
「分かりました」
-暫くすると、ゆっくりと玄関ドアが開かれる-
皐月
「浩司」
浩司
「先日は申し訳ありませんでした!」
ゆり
「え?」
皐月
「ごめん、ゆり。全部話した」
ゆり
「……なら、諦めてください。
皐月に全部聞いたなら、分かったはずです。
私には、浩司さんのお気持ちに応えることができません」
浩司
「(被らせて)それでも構いません」
ゆり
「え……」
浩司
「聞こえなくていいです。応えなくていいです」
ゆり
「なん、で……」
浩司
「自分でも分かりません。けど、諦めてくださいと言う言葉は聞けません。
ゆりさんの事情を知っても、諦めるという気持ちは消えませんでしたから」
ゆり
「さ、皐月……」
皐月
「ごめん、私もお手上げ。初めてだよ。話してもゆりを受け入れるって言った奴は」
ゆり
「……」
浩司
「今日一日でいいんです。俺に時間をくれませんか」
ゆり
「え」
浩司
「無理強いはしません。もしお時間をくださるならばお願いがあります。
もし、俺の好意の言葉が少しでも聞こえたならば、前向きに考えてくれませんか。
答えは出さなくていいです。今すぐ聞きたい訳じゃありません。
ゆりさんのペースに、俺も合わせていくんで」
ゆり
「……あ、の」
皐月
「どうする?私も無理にとは言わないよ」
ゆり
「……お時間、作ります」
浩司
「本当ですか?」
ゆり
「……はい」
皐月
「無理して言ってない?」
ゆり
「大丈夫。それに、今日宏人に言われたの。前に進んでって。
多分、このことなんだと思う。だから、怖いけど、進んでみる」
皐月
「……そっか」
ゆり
「皐月、お願いしていい?」
皐月
「分かった。ゆりの支度付き合うから、あんたはここで待ってな」
浩司
「はい、分かりました。ぁ、ゆっくりでいいですからね。改めて気持ちが変わったのなら、言ってください」
ゆり
「……はい、ありがとうございます」
-皐月が家の中に入る-
浩司M
「皐月先輩と、家の中に入っていくゆりさんを見ながら考えていた。
どうやったら俺の気持ちが伝わるんだろう。どう言ったら、今のゆりさんに聞こえるんだろうって。
考えたところで何も言葉なんて出てこなかった。
今日一日で、何がゆりさんに聞こえない言葉なのか、理解していこう。
そう思いながら、閉められたドアを見つめ、二人が出てくるのを待った」
-家から皐月とゆりが出てくる-
皐月
「お待たせー」
ゆり
「すいません。時間がかかって……」
浩司
「い、いえ!大丈夫です!
(ゆりの姿に見惚れるが自分の頬を叩く)い、行きましょうか!」
ゆり
「は、はい」
皐月
「もしもの為に私は少し後ろからついていくから、安心して」
ゆり
「う、うん」
浩司
「ぁ、そうだ。ゆりさん」
ゆり
「?」
浩司
「俺の言葉が聞こえなかったら、遠慮なく言ってください。
どれがゆりさんにとって聞こえない言葉なのか、理解したいので。
罪悪感とか申し訳なさとか、俺には感じなくていいです。大丈夫ですから」
ゆり
「……はい、分かりました。お気遣いありがとうございます」
浩司
「とりあえず、少し歩きましょうか。その後、ゆりさんが行きたい場所でも行きましょう」
ゆり
「はい」
浩司M
「少し歩きながら、ずっと聞いておかないとと思っていたことを聞いた。
皐月先輩から真実を聞いた時、無意識にゆりさんの婚約者の名前が出てたんだ。
"宏人さん"……その名前を言った時、ゆりさんは驚いた表情をしていた。
きっと、他の人はそんなこと聞いてこなかったんだろうな。
俺は、ちゃんと聞きたいんです。ゆりさんの心の中にいる人のことを。
ぽつぽつと宏人さんの話をてくれてるゆりさんの表情に、見覚えがあった。
買い物の時、料理の話をしていた時を同じ顔だった。
だから、気付いた。ゆりさんに料理のことを教えたのは、宏人さんだって。
そう言ったら、ゆりさんは照れていた。
その顔がとても可愛くて、思わず口から"可愛い"って言葉が出てしまった」
浩司
「(呟く)……可愛い」
ゆり
「え?あの、ごめんなさい。今の、聞こえなかったです」
浩司
「ぇ、あ、これは聞こえないのか。分かりました」
浩司M
「素直に聞こえないって言ってくれたことが嬉しかった。
確かに"可愛い"は好意を示す言葉にもなるし、愛情を伝える言葉にも成り得るよな。
ゆりさんを溺愛していた宏人さんなら、毎日言ってそうだから、きっとゆりさんからしたら拒絶したい言葉だ。
俺は頭の中で必死に考えた。他の表現で、可愛いが伝わる言葉。
ふと思い出したのは、小さい頃のこと。近所で猫を飼っていた人がいたんだ。
その猫が子猫を産んで、見せてもらったことがある。
その時、湧き出てきた感情は"可愛い"だった。
全員が同じように思うかは分からないけど、この聞き方は試してみる価値があると思った。
俺の気持ちを無理矢理伝えるんじゃない。俺が思った感情を、ゆりさん自身が思う感情に置き換えて考えたらいい。
その気持ちと俺の気持ちは同じですよって言えば、伝わるんじゃないかって」
浩司
「そうですね。ゆりさんは子猫の寝顔とか見てどう思いますか?」
ゆり
「子猫の寝顔……そうですね。とても可愛いと思いますし、癒されます」
浩司
「俺がさっき言ったのはそういう意味です」
ゆり
「(照れ笑い)!?ふふっ」
浩司
「(独り言)こうすれば、伝わるんだ。嬉しいな」
ゆり
「初めてです。そういう伝え方があるんですね」
浩司
「どんな手を使ってでも伝えますよ」
浩司M
「こんな風に伝える人は、ゆりさんの中でも初めてだったようだ。
そりゃそうだろう。真実を知った人は、こんなこともせず去っていたんだから。
だから、伝わったのが嬉しかった。伝わらない辛さや苦しさより、嬉しさの方が強かった。
もっと、伝えたいって思ったんだ。違う言葉で、俺が感じた想いをゆりさんにも感じてほしい。
そう思いながら、ゆりさんが行きたいと言ってくれた、海浜公園へと向かった」
浩司
「はぁ、海近いですね。ぁ、足元、気を付けてくださいね」
ゆり
「ありがとうございます。
……何も変わってない。この場所は、あの時のままなんです」
浩司
「宏人さんとよく来られてたんですか?」
ゆり
「……プロポーズをされた場所なんです。
プロポーズをされた時は夜だったので、今とだいぶ違いますけど……」
浩司
「そうだったんですね」
ゆり
「ごめんなさい。こんな話をして」
浩司
「気にしてませんよ。寧ろ、もっと話してもいいですよ。
今まで言えずにいたでしょうから、自分にだけでもいいから話してください」
ゆり
「……ありがとうございます」
浩司
「プロポーズされた時は夜だったんですよね?なら、もう一度夜に来ましょう?」
ゆり
「……いいんですか?」
浩司
「せっかく来たんですから、想い出に浸ってもいいと思います」
ゆり
「……本当に、浩司さんは不思議な人ですね」
浩司
「不思議、ですか?」
ゆり
「はい」
浩司
「自分じゃ、分からないですね。けどゆりさんから見て不思議だと言うことは、俺は不思議な人なんですね」
ゆり
「ごめんなさい」
浩司
「いいんですよ。夜まで時間潰しましょうか。近くに何かないか調べますね。ちょっと待っててください」
浩司M
「吹き抜ける海風を感じながら、観光スポットを探した。
どういう場所がいいか分からなかったから、"女性、デートスポット"って探したのは我ながらリサーチ不足だな。
でも、こうやって誰かのことを考えて行く場所を決めるのは、楽しいなって感じた。
近場に水族館があるらしく、そこに行きませんか?って聞いた時のゆりさんの顔は、驚いていた。
どうしてそんな顔をするんだろうと思っていたら、宏人さんと、同じことを言ってしまったらしい。
泣くゆりさんに、どうしていいか分からなかった。
いきなり触れたら驚いてしまうだろうと、声を掛けてから震える肩を抱き寄せ、背中を優しく摩った。
後ろから感じる皐月先輩の視線が痛かったけど、どうでも良かった。
ゆりさんに泣かれるのは辛い。俺は、泣かせる為に時間を貰ったんじゃない。
彼女に、少しでもいいから言葉を届けたかった。
それなのに、泣かせてしまったことが、申し訳なかった。
泣き止んだゆりさんの気持ち次第では、ここでやめようと思ったけど、彼女の意思で水族館に行きたいと言ってくれた。
たったそれだけでも、俺はとても嬉しかったんだ」
浩司
「こういうところに来たのは初めてです」
ゆり
「そうなんですか?」
浩司
「はい。恥ずかしいんですけど、女性とこういうところに来た経験がないんです。
俺、恋愛には疎いんですよ。初めて好きになった人に告白する前に、俺は逃げてしまいました。
勇気を出して告白しようと決めた時には、既にその人には恋人がいて……ぁ、すいません。勝手に話をして」
ゆり
「いいえ。話してください」
浩司
「……勝手に自分の中で答えを出して、何も行動せずに諦めるなんて逃げだなって思ったんです」
ゆり
「……」
浩司
「だから、逃げずにゆりさんと向き合おうと決めました」
ゆり
「ありがとうございます」
浩司
「自分の話をして申し訳ありません。今は水族館、楽しみましょうか」
ゆり
「はい」
浩司M
「ゆりさんの話を聞きたかったのに、自分の話をしてしまった。
あの時のことは、吹っ切れたはずだったんだけどなぁ。
ゆりさんには、聞いてほしいと思ったのかもしれない。
それくらい、俺を知ってほしかったんだ。
色々な水槽を見ながら、ゆりさんは嬉しそうに宏人さんとの想い出話を語ってくれた。
それが凄い幸せそうで、それだけ二人は愛し合っていたんだなと実感した。
……それが少し悔しかった。死して尚も、ゆりさんの心に深く刻まれている宏人さんが、羨ましいと思った。
でも、不思議と苦しくなかった。ゆりさんと宏人さんの想い出は、とても綺麗で、生き生きとしていて、もっと聞いていたいと思ったんだ。
俺は、宏人さんという人を、ゆりさんと皐月先輩の話の中でしか知れない。
けど、その話だけでも、宏人さんの人柄は伝わってきた。
宏人さんの、ゆりさんに対する想いも、深く……。
……俺は、あなたには勝てない。それも痛い程分かった。
勝てないなら勝たなくていい。これは、紛れもない、変えようのない事実なんだから。
なら勝とうとせずに、受け入れればいい。
ゆりさんに対する俺の想いと、宏人さんの想いが一緒だなんて、烏滸がましいことは言わない。
けれど、同じ女性を好きになった男として、彼女を好きだという気持ちを持つことは許してください。
あなたがゆりさんの一番であることには変わりません。
だから、あなたの想いも抱えて、ゆりさんの傍にいます。
改めて、ゆりさんに対する想いと、宏人さんに対する想いと覚悟を強く決めた俺は、二人の想い出の場所へと戻った」
ゆり
「やっぱり、ここの夜景は変わってない。
あの時から、あの瞬間から、一度も……」
浩司
「こうして夜景をじっくり眺めたことがないですが、綺麗なのは分かります」
ゆり
「……ここで、プロポーズされたんです」
浩司
「はい」
ゆり
「この夜景を背に、宏人が小さい箱を持ってたんです。
それだけで、次に宏人が何を言うか分かってしまいました。
実際、その言葉を言われた時、涙が溢れました。
あぁ、私この人のお嫁さんになれるんだって、嬉しかったんです」
浩司
「……はい」
ゆり
「小さい箱に入ってたの、指輪じゃなかったんですよ?」
浩司
「え?(皐月の話を思い出し)あ……」
ゆり
「ネックレスだったんです。婚約指輪は一緒にデザインを選びたいからって宏人が」
浩司
「いいじゃないですか」
ゆり
「デザインが出来て、やっと受け取れるって思ったんです。
指輪を受け取ったら後は式場の下見をして、式を待つだけだったんですよ?
やっと、この人と結婚できるって思っていたのに……」
浩司
「……ゆりさんは、皐月先輩が笑顔でいると嬉しいですか?」
ゆり
「え?」
浩司
「俺は、皐月先輩が笑顔でいると嬉しいです。
あの人が落ち込んでるところ、想像出来ないですが……」
ゆり
「……皐月が笑顔なのは、嬉しいです。
落ち込んでても、皐月が傍にいてくれると元気が出ます」
浩司
「俺も、そうです。ゆりさんが皐月先輩に対して思ってることを、俺はゆりさんに対して思ってます」
ゆり
「え……こ、浩司さんは、皐月のこと尊敬してるって言ってましたよね?」
浩司
「はい、言いました。ゆりさんに対しても同じように思ってますよ?」
ゆり
「ど、どうしてですか?皐月のことを尊敬するのは、仕事とかで分かるんですけど、私なんて……」
浩司
「そうですね。なるべくゆりさんに聞こえるように話しますが、もし聞こえなかったからすいません」
ゆり
「だ、大丈夫です」
浩司
「綺麗な人だなって思ったんです」
ゆり
「綺麗?」
浩司
「はい。それは勿論、見た目だけじゃなくて心も綺麗な人だなって、皐月先輩からゆりさんの過去を聞いて改めて思いました」
ゆり
「……私は、綺麗じゃないですよ」
浩司
「いいえ、俺はそうは思いません。ゆりさんの口から宏人さんのお話を聞く度に思ってたんです。
本当に宏人さんのことを大切にしてたんだな。したかったんだな。
俺は宏人さんとは話せませんが、宏人さんはいなくなってなくて、ちゃんとゆりさんの中に生きてるんだ。
心が他の人の言葉を拒絶するくらい、宏人さんのことを一番にゆりさんは思ってるんだなって、ずっと思ってました」
ゆり
「ッ……」
浩司
「俺は、一番にはなれません。二番にもなれません。二番目は皐月先輩だと俺は勝手に思ってます。
ゆりさん。叶うのならば、皐月先輩と同じように貴女のことを支えさせてほしいです」
ゆり
「……浩司さんの、気持ちに、今すぐはお応えはできません」
浩司
「(被らせて)最初にも言いましたけど、そのままのゆりさんでいいんです」
ゆり
「でも、それは流石にっ……」
浩司
「俺、今とても幸せなんです」
ゆり
「ど、どうしてですか?」
浩司
「だって、ちゃんと俺の言葉、通じてたじゃないですか」
ゆり
「そ、それは……浩司さんが、伝え方を工夫してくれたから」
浩司
「はい。工夫しました。めちゃくちゃ考えました。
俺、ゆりさんの一番になろうとは思ってないんです。
宏人さんには勝てません。勝とうとも思ってません。
でもいつか、ゆりさんの二番目の男として隣に立ちたいです」
ゆり
「……もし、そうなったとしても、私は宏人を忘れられないです。
宏人のことを思い出して過呼吸になったり、宏人の話をして浩司さんを困らせてしまうかもしれません」
浩司
「俺、宏人さんの話されて困ってるように見えましたか?」
ゆり
「見え、なかったです」
浩司
「それでもいいって言ったじゃないですか。宏人さんが一番でいいんです。
宏人さんのことを思い出していいですよ。過呼吸になっても俺や皐月先輩がいます。
宏人さんのお話も沢山してください。今日みたいに聞きますから。
ゆりさんの宏人さんに対する気持ちを否定はしません。
忘れてほしいとも思っていません。そのまま抱えてていいんです。
俺も、忘れません。宏人さんのゆりさんに対する想いを抱えて生きていきたい。
そういうのも全部含めて、皐月先輩と一緒に支えていきたいって言ったんですよ?俺」
ゆり
「(泣く)浩司、さん」
浩司
「(おどおどする)ぇ、え?ど、どうしました?」
ゆり
「(泣きながら)宏人のことを忘れなくていいって言ってくれたのは、浩司さんだけでした。
過去に私に好意を向けてくれた方は、宏人のことを忘れさせようとしてきたんです。
いつまでもいない人に縛られてても意味ないよって。でも私は忘れたくなかった。宏人を、宏人との想い出を忘れたくなかった。
でも浩司さんは、それでもいいって。こんな私でもいいって。
浩司さんの気持ちが嬉しかったんです。
聞こえないって思ってた好意の言葉も、浩司さんは別の言葉で伝えてくれました。
それが、嬉しかったんです。ありがとうございます」
浩司
「……ゆりさん。また、こうして俺と会ってくれるなら、今から言う言葉に応えてくれますか?」
ゆり
「?」
浩司
「また俺と、お出かけしてくれますか?」
ゆり
「(微笑む)……はい、またお出かけしましょう」
浩司M
「俺が伝えたい言葉の意味と、ゆりさんが受け取ってくれる言葉の意味が同じになるとは限らない。
この一日で、どれだけ言葉を伝えられたか分からない。
今度はちゃんと、"デート"がしたい。そういう意味を込めて、"お出かけしてくれますか?"って。
ゆりさんの答えが、とても嬉しかった。
一番にも、二番にもなれないけど、これからも傍にいよう。支え続けよう。
誰も知らないところで、俺は強く胸に誓った」
-居酒屋-
-桃香と道弘と飲んでいる-
桃香
「それでー?好きな人に告白したのー?」
浩司
「聞きたいことってそれかよ。その為だけにわざわざ呼び出したのか?」
桃香
「いいじゃん。で?で?どうなの?告白した?」
浩司
「……したよ」
桃香
「お?」
道弘
「どうだったんだ?」
浩司
「返事は、貰ってない」
道弘
「振られたのか?」
浩司
「いや。複雑な事情がある人なんだ。
返事は待つから、今すぐしなくていいって言ったよ。
……あの人には、時間が必要だから」
桃香
「……浩司がそんな顔するなんて、よっぽど好きなのね」
浩司
「ぇ、俺どんな顔してるんだよ」
桃香
「んー?大好きって顔してる」
浩司
「ッ、まじか。俺そんな顔に出てる?」
桃香
「私達以外には分からないかもね?けど、分かるよ。
その人のこと話してる浩司の顔、嬉しそうだもん」
浩司
「そ、そうなのか。なんか、そう言葉で言われると恥ずかしいな」
道弘
「とうとう浩司にも春が来るかぁ」
浩司
「今度、デート……ではないけど、一緒に出かける約束はしたよ」
道弘
「二人で出かけるなら、それはもうデートだろ」
浩司
「ぁ、そっか。デートか……」
桃香
「デートかデートじゃないかなんて、どうでもいいのよ。
気持ちを伝えられて、返事は貰えてないけど、受け入れてくれたのは事実。
焦らないで、その子と向き合っていけばいいのよ。そうでしょ?浩司」
浩司
「……そうだな。ありがとう。
ゆっくり、向き合っていくよ。そして、彼女のこと、知っていきたい」
桃香
「うん、それでいいよ」
道弘
「にしても、今日の飲み、本当に浩司の奢りでいいのか?」
浩司
「いいよ。話聞いてくれたお礼ってことで」
道弘
「よっしゃ」
桃香
「ちょっと。アドバイスしたのは私だからね?そこ忘れないでよ?」
道弘
「思い悩んでることに気づいて連れ出したのは俺だろー?」
浩司
「どっちにも感謝してるよ。だから喧嘩すんな」
桃香
「まぁ、いいけど。
……立ち止まらずに、前に進めそう?」
浩司
「……うん。進めそうかな」
桃香
「良かった」
道弘
「浩司がしんどそうなの、見てられなかったしな。
過去の恋愛のこともあるけど、浩司を前に進めてくれたその人に感謝だな」
浩司M
「彼女に出会ったことで、俺は前に進めた。
俺の心を覆っていた暗闇も消え、光が差した。
あなたが、俺を救ってくれたんです。
だから次は、俺があなたを救いたい。
自分が選んだ道は、とてつもない茨の道だ。
それは俺が一番よく分かっている。
それでも、彼女と一緒に進みたいと思った。
重い過去だけど、彼女の想いも、宏人さんの想いも抱えていきたい。
そんな人一倍優しい彼女だから、惹かれたんだろう。
だからもう、独りで抱え込まなくていいんです。泣かなくていいんですよ。
ゆりさんが今まで抱えていた苦しみも、悲しみも、痛みも……全部俺にも分けてください。
この先どうなるかなんて分からないけど、俺はずっとゆりさんの傍にいる。支え続ける。
そう皐月先輩と、ゆりさんと……あと一人……そう、あと一人……誰かと、約束した夢を見たから。
いつか、本当の言葉で、愛を伝えられるその時まで。彼女の世界に、愛が戻るまで。
……願うならば、その先もずっと」
ゆり
「ぁ、浩司さん!」
浩司
「お待たせしました。さ、お出かけしましょうか。ゆりさん」
ゆり
「はい!お出かけ、行きましょう!」
-幕-