キャリア開発って何?
「開発」という言葉の語源をたどってみた。「開発」とはそもそも、どういう意味の言葉なのか?
「開発」の語源から
「開」は、閉じているものを開くこと。「発」は、放つ・起動させること。
古典中国語では、荒れ地を切り拓くこと、あるいは人の才能や知恵を啓くことを指していたよう。明治以降に "development" の訳語として定着し、意味が広がったのだという。
そこで思ったのは語源に立ち返ると、「開発」はこう解釈できる。
「閉じられ、埋もれているものを開き放ち、その潜在的な力を引き出すこと。」
これを思ったとき、「キャリア開発」という言葉の解像度が一気に上がった気がした。
キャリアは「作る」ものじゃなく「開く」もの
僕はずっと、自分のキャリアについてある感覚を持ち続けてきた。うまく言語化できていなかったのだが、それは「キャリアは外側から設計するものではない」という感覚だ。
自分の中に、ぼんやりとした何かがある。完全には見えていないけれど、確かにそこにある。近づけばもう少し見える。でも全体像はまだわからない。それでも、その方向に向かって歩を進めることはできる。
僕はそのぼんやりを「天竺」と呼んでいる。
西遊記の三蔵法師が天竺を目指したように、ゴールは遠く霞んでいる。でも歩みを止めない。その感覚こそが、キャリアの本質に近いと思ってきた。
未来キャリア ダイレクション
ぼんやりとある自分の中の天竺を言語化し、その方向へ向けて半歩を踏み出す。それを繰り返すことがキャリアを積み上げること——これを僕は「未来キャリア ダイレクション」と呼んでいる。大きな一歩ではなく、半歩。解像度に応じた歩幅で、少しずつ進んでいけるように。
「キャリアデザイン」に感じていた違和感
一方で、「キャリアデザイン」という言葉には、以前からずっと違和感があった。今回の語源の話を通じて、その違和感の正体がようやく掴めた気がする。
◦デザイン
外側から形を与える。まだ存在しないものを図面で描く。「構築」の発想。
◦開発
内側にあるものを信じる。すでにそこにある可能性を掘り起こす。「発掘」の発想。
デザインは建築物をつくるように、ゼロから設計するイメージだ。それはそれでとても大切なことだが、キャリアにそのまま、それだけを当てはめると、どこか窮屈に感じる。
なぜなら、キャリアの源泉は「自分の外」にあるのではなく、「自分の内」にあるからだ。才能でも、志向でも、原体験でも——それはすでにそこにある。ただ、まだ形になっていないだけ。
開発とは、その眠っている何かに気づき、少しずつ形にしていく営みだ。荒れ地を耕すように、時間をかけて、丁寧に。
「半歩」という解像度
この流れで、もう一つ気づいたことがある。「一歩」ではなく「半歩」という言葉の大切さだ。
天竺はまだぼんやりとしか見えていない。だから大きな一歩は踏み出せない。でも、動かないでもいない。今ここで見えている分だけ動く。それが半歩だ。
これは「キャリアの解像度に応じた歩幅」と言い換えることができる。完全に見えてから動くのでも、闇雲に走るのでもない。今の自分に見えている分だけ、誠実に動く。
そうやって半歩を積み重ねるうちに、天竺の輪郭は少しずつ鮮明になる。それがキャリア開発という営みだと思っている。
キャリア開発とは
「開発」という言葉には、もとから「内側にあるものを開き放つ」という意味が宿っていた。キャリア開発もまた、自分の中にある可能性を開いていくことだ。
外付けのスキルや資格を積み上げることも大切だ。でもそれだけでは、何かが足りない。内側の天竺を見つめ、そこへ向かって半歩ずつ歩くこと——そのプロセスこそが、本来の意味でのキャリア開発なのだと、今は思っている。