沿革
当寺は、観応元年(1350)、足利一族の宮山城主一色修理大夫範光を開基に城下に創建された古刹である。
勧請開山は京都天龍寺開祖の夢窓国師を迎えた。本尊は千手観音(秘仏 観音堂安置)である。以来670年余の歴史と大名寺の格式を保って今日に至る妙心寺派の名刹の一つである。
当寺は不幸にも過去二度にわたり焼失している。初回は明德元年(1390)。この時は範光の子、一色左京大夫詮範が明徳三年に再建した。当寺がここ岡田に移築されたのはこの折りではないかと言われている。(かつてこの地には、真言宗の岡田千光寺があったと伝わる。)
明暦元年(1655)再び火災にあい、本堂であったいまの観音堂を除いて諸堂、什宝、古記録の大部分を焼失した。
その後しばらくの間、寺は無住が続いたが、当時の岡田村地頭であり、尾張藩年寄(重役)であった寺尾土佐守直龍が斡旋し、明暦三年(1657)、泉州岸和田の泉光寺から虎渓元長和尚を住職として迎えた。
直龍は虎渓和尚の一途な努力に感動し、寺の再建援助を決意。万治三年(1660)には本堂の修復を初め諸堂の再建を完了した。続いて寛文八年(1668)本堂の燈明料として六反歩の田畑を寄進する。こうした直龍の協力と支援により寺は昔日の姿を回復したばかりか、経営的な基盤をも確保することができるようになった。
この縁に因って当寺では、寺尾土佐守直龍を中興開基、虎渓元長和尚を中興開山として厚く敬っている。以降、寺尾家の家紋「三つ扇」を寺紋としている。
また寛文六年(1666)には相国寺末から妙心寺末へ転派した。当寺からは幕末以降、次々と名僧が輩出した。泰龍和尚は伊深の正眼寺住職、当寺十世莞応和尚は妙心寺住職、十二世寛慶和尚は大徳寺管長に就任した。また十一世敬方(白水)和尚は、書・画・詩文に優れ多くの作品を遣された。参道入口に立つ二本の石柱に刻まれた山号と寺号は、白水和尚の筆になるものである。
また、尾張地誌「張州雑誌」や幕末の尾張の名所旧跡を紹介した「尾張名所図会」には、当寺について詳しく取り上げられている。
諸堂・境内
万治三年再建された岡田最古の建造物で
江戸時代はこの観音堂が本堂でした。
恵心僧都作と伝わる秘仏の千手観音像は、12月のお礼観音祭にて年に一度だけ御開帳されます。
弘法大師をお祀りするお堂で、知多四国霊場第72番札所です。
参拝の方々が大師の御心に触れ、心静かに手を合わせます。
重軽き願い叶える抱き地蔵
このお地蔵さんを抱くと願いを一つ叶えてくださいます。
秋葉大権現、白山妙理大権現、行者様をお祀りしています。
参道の両脇には奉納された幟が立てられています。
銀杏の木は古くから水分を多く含み、火に強いことから、
火災から伽藍を守る「火を防ぐ木」と信じられています。
また、葉の形が末広がりであることから「繁栄」「長寿」
「家内安全」の象徴とされています。
堂々とそびえるその姿から「松の王」と呼ばれる大王松。
大きな大きな松ぼっくりと長くしなやかな三本葉が特徴です。
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