要塞都市エンクラティアの壁外で、人間は生きられない。

毒ガスだとか、クラッドが徘徊しているだとか、真相は定かではないが事実として、壁外に出た人間は死ぬ。

この世界に生きる人間にとっての最後の砦。その黒く、高い壁が視界から消える。

それはすなわち、死を意味するのだ。


「さてと、このへんのはずだったかな……」


小高い岩場の上で、少女が一人つぶやいた。

ときおり吹く強い風が、灰色の髪と、猫のような尖った耳を揺らす。

その橙色の瞳には、どこまでも続く荒野と、青い空のみが映っている。視界を阻む壁は、存在しない。


要塞都市エンクラティアの壁外で、『人間』は生きられない。

『魔女』であるミアにとっては、関係の無い話であった。


 ◆ ◆ ◆ 


壁外を歩くこと数時間。目当ての場所にたどり着いたミアは、何よりも先に弁当を取り出した。


エンクラティアの壁外には、古代の遺跡が残っていることがあり、発掘される遺物はしばしば高額で取引される。

数日前、ミアは気まぐれで壁外に出た際、たまたま遺跡を発見していた。

その時は足を負傷したため帰還したが、今日改めてその発掘に来た、というわけだ。


大地に走る大きな亀裂。深い崖の底にその遺跡はある。

前回は夜、暗がりで足を滑らせて怪我をしたが、今回は日中だ。身軽さには自信がある。同じ失敗はしない。

とはいえ、油断は禁物である。荷物は少ないほうがよい。


一日家を空けると言うと、姉が作ってくれたお弁当。ガチガチに固まったパンと、ギチギチに詰まった大ぶりの鳥肉を見たミアは、少し悲しそうに笑う。


--姉さんのために獲ってきたのに--


魔女の身体は人間よりも遥かに頑丈だ。多少食べなくても問題ない。何度そう言っても、姉はミアにばかり良い食べ物を回してくる。

おせっかいな姉の顔を思い浮かべながら、鳥肉に手を伸ばしたその時。


「そこのもの!待つのだ!そのおべんとう!我によこすのだ!」


突然、背後から声がかかる。いつの間に近づいたのか、黒い布を着た白髪の少女が立っていた。

歳はミアと同じか、少し下に見える。小柄なミアではあるが、少女の背丈はさらに頭ひとつ小さい。態度は大きいが。

その手には、小さな紙切れと、いくつかの金属片が握られている。


「どうしたのだ?これで足りんとは言わせないのだ!」


ミアはエンクラティアのスラム最下層、リュコスに拠点を置いている。

リュコスは便宜上、勢力とされてはいるが、その実態は都市の生活から弾かれた、ならず者達の掃き溜めだ。

盗み、殺しを咎める統治機構や法など存在しない。

個人の実力が最重要視されるリュコスにおいて、自身の財産を守ることも、また、他人の財産を奪うことも、その個人の実力として評価される。


「なにあんた、僕からこれを奪おうっての?」

「ち、違う!そうではない!……我はそれを……売って欲しいのだ……」



謎のチビはビビったのか目を逸し、口をとがらせながら言う。

襲撃であれば、それは生存競争だ。脅威なら、容赦はしない。

無理を言っている自覚はあるようだが……ギリギリ物乞いか?態度は最悪だが。


「そのクズ鉄で?おままごとって歳には見えないけど?」

「なっ!……き、共通通貨を知らんのか?……まさか、『ガムラ』が滅んだのか?ではなぜ、この世界はまだ……」


おかしなチビはブツブツと呟きながら、なにやら考え込んでいる。


「で、ではコレ……小さいけど魔石なのだ!さすがにこれは解るであろ?」


小さい、と差し出された魔石は赤々と光っており、通常の倍以上の大きさがある。どう見ても大型だ。

魔石は生活に欠かせない動力源だ。どこに行っても必要とされるため、金属や宝石を欲しがる中央の貴族以外には、よっぽど良い取引材料となる。

しかも、魔石は使用されるたびに輝きを失っていく。はじめは赤く、次第に紫にくすみ、最後は灰と化す。この魔石の輝きには、使用された痕跡がない。


「……へぇ……」


未使用の大型魔石は貴重だ。大切な弁当ではあるが、昼飯ひとつがしばらくの飯の種に化けるなど、願ってもない儲け話だ。


「それと交換?この鳥肉と?」

「ぬぅ……この程度の魔石ではダメか……仕方ない。合成でない天然のお肉、さぞ貴重であろうな……」



謎のチビの無知を悟ったミアは欲をかいた。


「ま、困ってるのはわかったよ。でも、僕もそんなに親切じゃない」


負けて一食。勝てば大金。有利な賭けだ。


「あんた魔女でしょ?かかってきなよ。あんたが勝ったら、弁当はあげるよ。僕が勝ったら、その魔石を貰う」


チビは一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐにその顔を満面の笑みに変えた。


「おお!それはよい!交渉は苦手なのだ!わかりやすいのはよい!よいぞ!」


戦闘の提案にも関わらず、その笑顔はさっきまでのビクビクした様子からは想像できない、強い自信と喜びに満ちていた。


 ◆ ◆ ◆ 


遮るものの無い荒野。5メートルほど離れて2人が立つ。


「我こそは!最大最強の魔女、クロイである!」


知らない奴との喧嘩の前は、名乗りをあげるのが礼儀だ。ラガルトの魔女、ロゼットの言葉である。

後ろからぶん殴ってやればいいのに、と思っていたが、どうやらそういうモノらしい。


「リュコスの魔女、ミア」


腰を落とし、武器である大鎌を握り締め、低く構える。

クロイと名乗った少女の武器は、身の丈を超えるねじれた大槍。構えは取らず、棒立ちのまま槍を肩に担いでいる。

名乗りが終われば、戦闘開始だ。


ミアは地面を蹴り、直進。一瞬で詰まる間合い。大槍の届くギリギリ外。その速力のまま足を地面に叩きつけた。

急停止したミアの足は、周囲の大地を削り飛ばし、強烈な砂煙をクロイに打ち付ける。


「ぶへぇっ!」


情けない悲鳴とともに体勢を崩したクロイ。ミアの身体は急停止したが、大鎌はまだ慣性を残している。

お互いの姿を、砂煙が隠す。ミアは更に体勢を低く、地面に這うように砂煙に潜み、クロイの立っていた場所に向け、逆袈裟に鎌を振り上げた。

自身の移動速度を重量武器に乗せる、単純で強力な一閃。


ゴリ という鈍い金属音。ミアの必殺の一撃は、予想外の手応えで停止した。

硬い?いや、重い!?

鎌を握るミアの手に、鈍器で鉄塊を殴ってしまったときのような、強烈な反動、痛み、しびれが走る。


「おお、はやい!はやいのう!おヌシ!」


ミアの頭上から声がする。晴れた砂煙の向こう。ミアの一撃は、地面に突き立った大槍に阻まれていた。

体勢を崩し、後ろに倒れ込んだように見えたクロイは、担いだ槍を地面に突き刺し、その上に退避していたのだ。

槍の上から見おろされたミアは、すぐさま後退して距離を取る。


「……あんたも、なかなかやるじゃん?」


軽く言い放ったが、ミアは動揺していた。

先程の攻撃は、クラッドの外殻すら破壊する。その一撃が、槍の重さだけで止められたのだ。

ミアが得意とするのは撹乱や連撃であり、一撃の威力を重視していない。

速度と重量の合わせ技は、ミアのほぼ最大火力。それが通じないとなると、相性は最悪だ。

ミアはさらに後方に跳び退いて距離を稼ぐが、クロイは再び槍を肩に担いだまま、一歩も動かない。

かわりに、武器を持っていない方の腕をこちらに突き出していた。


「ではゆくぞ!次は!我のターンである!」


その腕から吹き出した紫色のモヤが壁のように広がり、ミアの視界からクロイの姿を隠す。

魔力の霧?目隠し?それにしては遠すぎる。

ミアの鋭敏な五感は、モヤの向こうのクロイの気配を確実に捉えている。

まだ、そこにいる。静寂の数秒。奇襲に備え、耳を立てる。息を止める。


次の瞬間、ミアの身体は突然、弾かれたように真横に飛ばされた。

流れる景色に意識が追いつかない。受け身も取れず、地面に打ち付けられたミアの身体は、砂煙をあげながら壊れた人形のように地面を転がっていく。


「……ぐっ……っは……!?」


ようやく追いついた意識と共に、戻った痛覚が全身を蝕む。起き上がれない。右の脇腹、強烈なダメージで呼吸ができない。


「んワーッハッハッハ!思ったよりよう飛んだのう!ざーこ、ざぁーこ!」


声の方向、ケラケラと笑うクロイが見える。その傍らには、2つ目の紫のモヤが浮かんでいる。

自らの身体が地面を削って出来た跡は、2つ目のモヤから伸びている。

理解した。自分は大槍のフルスイングで弾き飛ばされた。

そして信じがたい事ではあるが、クロイはミアの背後に『瞬間移動』してきたのだ。


もし、アメリアやフレアが同じ状況に遭ったとしたら、この瞬間移動という荒唐無稽な現象を受け入れるのに、しばらく時間を要するだろう。

しかしミアは、スラムで今日まで生き抜いてきた、自らの五感に絶対の自信を持っている。

直前まで察知していた気配の在り処を、間違えるはずがない。そして何より、目の前の現実に疑いを持てるほどの学が無い。


「ハァ……ハァ……くそっ!」


ようやく呼吸が戻ってきた。ミアは大鎌を杖のようにして、なんとか立ち上がる。まだだ。まだ動ける。


「ゲート能力!この力こそが!我が最強たるゆえんであるぞ!んワーッハッハッハ!」


ミアは鎌を握りなおし、再び駆け出して距離を詰める。が、クロイは余裕の表情だ。

高笑いするクロイに向けて鎌を振るが、雑にブン回される大槍に軽く弾かれてしまう。

未だに全身に残る痛みに耐えかねてか、ミアの動きは明らかに鈍い。鎌を振るう力も、踏み込みの鋭さも、徐々にその勢いを失っていく。


「……強い……!」


助走を付けた初撃でも、クロイの槍はビクともしなかったのだ。

横薙ぎ、袈裟斬り、柄打ち、蹴り。得意の連撃でさえも、片手で振るわれる槍を超えられない。


「そうであろう?そうであろ……あ痛ぁ!!!」


始終余裕であったクロイの声と表情が、突然の苦痛にゆがむ。

その足首に、砂に隠れたトラバサミが食いついていた。


「かかったっ!」


ミアは余力の無い攻撃を装い、体力の回復と、クロイの立ち位置の誘導を行っていた。

クロイが悶絶している位置は、ミアが背後から襲われた位置。最初にゲートで視線を遮られた隙に、トラップを仕掛けていたのだ。

当然、クロイのすぐ横には、設置されたゲートがまだ残っている。


「『観て』解ったよ。これ、魔力を流してこじ開けるんだろ?……こうかな?」


ミアがゲートに触れて魔力を流すと、空間にエネルギーが満ちる、ピリピリとした感覚と共に、紫のモヤが僅かに揺らぐ。


「んなぁっ!このっ!ずるいぞ!我のゲートを!勝手に使うな!」


ゲートをすり抜けたミアは、クロイが設置した最初のゲートに転移する。

その位置は、身動きの取れないクロイからは大きく距離がある。


「おヌシ!逃げる気か!卑怯者!アホ!スカタン!」

「……バカ言うなよ」


少し長い息を吐き、呼吸を落ち着けるミア。その身体を、渦を巻くように練り上げられた魔力が包み込んでいく。



「助走距離が、欲しかったんだ」


本来、人体の移動速度には限界がある。空気の抵抗がその邪魔をするのだ。

いかに魔女の肉体が頑丈であっても、人体の構造と体重が変わらない限り、一定以上の速度で移動することは叶わない。


全身を魔力で包んだミアの踏み込み。同時に、その姿は消えた。

魔力で生み出した、爆発的な追い風を纏うことで可能となる、空気抵抗を無視した瞬間的な超高速移動。


--塵旋風[Dust Devil]--


風を、弾丸と化した自身の身体ごと相手に叩きつける。ミアの新しい『魔法攻撃』だ。


急速な接近と同時に振り下ろした大鎌は、とっさに立てたクロイの大槍に阻まれる。

しかし、打ち付ける凶悪な空気の塊は、大槍の防御をすり抜け、クロイの小さな身体を螺旋状に抉る。


「ぐぅぅぅううぅぅっっ!!」

「ぶっっっ飛べぇ!!」


ミアがトラバサミを解除すると、罠から開放されたクロイの身体は、風の殴打によって上空高くに吹き飛ばされた。

これで地面に叩きつけられれば、さすがに再起不能になるはずだ。


「……タメの長さは、弱点、か……」


勝利を確信したミアが空を見上げる。しかしそこに、クロイの姿は無い。

かわりに空中に浮かぶ、紫のモヤ。


「げぇっほ!うぐっ!……なんなのだぁあおヌシ……なかなか、つ、強いではないかぁ……」


背後から情けない声がする。振り向くと、最初のゲートの前にクロイが転がっていた。

……空中にゲートを設置して転移したか。落下によるダメージは皆無だろう。

いつのまにか、吹き飛んだ時に地面に残していた槍も回収され、クロイの手元に戻っている。抜け目の無いヤツだ。


「……まだ元気そうじゃん?もう一発、食らってみる?」

「んひぃっ……え、遠慮するのだ……で、でも、あんな大技、連発できんのではないか?ほれ、おヌシの足もガックガクではないか!」


バレた。降参してほしかったが。

大鎌を握り締め、腰を落とす。クロイも立ち上がり、今度は槍を両手で、正面に構えている。


「ここでやめるってんなら、見逃してあげるけど?」

「こっちのセリフなのだ!」


同時に駆け出した、ミアとクロイ。重量級武器の衝突。

二人の間に、一際大きな金属音と、火花が散る。


 ◆ ◆ ◆ 


「んぅ~っ!んまい!ぅんまいのだぁぁ!」


その後、さらなる白熱を見せるかと思われた試合は、あっさりとクロイの敗北に終わった。

新たに4つ目のモヤを作り出した途端、意識を失ったようにその場で倒れたのだ。


「まったく、人騒がせなもんだよ。殺しちゃったかと思った」

「ふん!我はそんなにヤワではないのだ!……あんまり覚えとらんが……たぶん、ちょーっとお腹が空いて!力が抜けただけなのだ!」


2人の手元には、鳥肉とパン。半分に分けられたミアの弁当があった。


「ま、僕もそんなに意地悪じゃない。一発、良いのもらっちゃったし、引き分けってことにしといてあげるよ」

「うむ!恩に着る!」


幸せそうに肉をほおばるクロイ。心なしか、泣いているようにも見える。それほど肉が嬉しいのだろうか。


「しかしおヌシの最後の攻撃、ずいぶんと本気ではなかったか?我はぜーんぜん本気じゃなかったのだ!半分も出してないのだぞ!」


腹が膨れて調子に乗ったか、勝手に倒れたくせに偉そうな口ぶりである。

ミアももちろん、本気ではない。大鎌に付いた、魔力によるブースターを使用していないのだ。

点火すれば、武器そのものが瞬時に加速する。一撃の初速も、連撃の速度も、先程の比では無い。

ミアの体重だけでは不可能な、慣性を無視した変則的な空中機動も可能になる。


「なに言ってんのさ。先に魔力使ったのはそっちじゃん。クラッドじゃないから腕力で打ったけどさ、僕がホントに本気だったら、半分になってんのはお前の身体だからね」


フン、と鼻を鳴らしてミアが答える。


「……よかろ、お互い半分で引き分けなのだ。お肉も馳走になったし、礼をせねばならんの」


クロイは黒衣の中でゴソゴソ動くと、先程の赤い大型魔石を取り出した。


「おい、まさか、お前」


両手で持ってぐっと力を入れる。


「ば、バカ!おい!待て!やめろ!」

「ほれ、これも仲良く、半分こするのだ!」


バキリ と真ん中で折れた魔石は、すっかり見慣れた、ちょっと珍しい程度の大きさになっていた。


「ああああああああ!なにやってんだよこのバカ!せっかくの超大型魔石がぁ……!」

「む?このクズが大型とな?……まさか、この世界の侵食はまだ……ということは!キサマ!我を騙しておったのではあるまいな!」


バレた。理由はよくわからんが。しかし、そんな事はもうどうでもいい。


「お前が勝手に勘違いしたんだろ!?あ~あ……魔石がぁ……」

「天然肉が食える身分にしては、やけに貧相な身体だと思ったのだ!ここはまだ家畜が生きて」


「貧相だと!?このチビ!」

「うるさいのだ!この盗っ人!」


どこまでも続く荒野。時折強く吹く風と、沈みゆく夕日に、伸びる影。

2人の罵り合いは、まだ、もう少し、終わりそうにない。