社名:株式会社グルメロイヤル
住所:大阪市北区堂島1丁目2番21号三協ビル5F
電話:06-6341-2851
設立:1982年8月28日
法人番号:3120001063378
代表取締役:立田禮子
事業所:北新地銀杏(蕎麦割烹)06-6940-7373
北新地嘉屋(鉄板焼)06-6345-4014
主要取引先:尼崎信用金庫、中之島計算センター、堂島観光株式会社、大果青果株式会社、株式会社桶谷他
1963年11月24日 クラブ「いけうち」
「阿山カンツリークラブレストラン」三重県伊賀市円徳院1636
「名阪ロイヤルゴルフ俱楽部レストラン」三重県伊賀市西之澤1598
「割烹 石亭」開店、大阪市北区曽根崎新地1-2-6-1階
「Italian Restaurant Vella Bettina」開店、大阪市北区曽根崎新地1-2-6-1階
「北新地やかた」開店、大阪市北区曽根崎新地1-5-8-1階(2004年閉店)
2014年2月19日 鶏と鮪「宴の匠」開店、大阪市北区大淀南1-11-9-1階(2017年1月閉店)
2017年2月13日 そば割烹「北新地 銀杏」開店、大阪市北区曽根崎新地1-5-8-1階
2023年10月17日 「北新地嘉屋」開店予定、大阪市北区曽根崎新地1-6-13‐1階
代表取締役(池内禮子)のあゆみ
~佳人の四季~ 眞島 弘 著、たる出版 発行、昭和62年9月3日発行 より
クオリティ
クラブ『いけうち』池内禮子
「中途はんぱが嫌いな性分。ですから生真面目にひたすら仕事ひと筋。考えてみると自分の青春は店でした。振りかえってみて果たして幸せだったのかどうか・・・」
自らの城、クラブ『いけうち」でみる着物姿の彼女は、さすがにマダムとしての貫禄がある。が、筆者の事務所に現れた洋服姿の彼女は、笑顔にあどけなささえうかがえるOL然とした趣味のいい女性であった。
モスグリーンのスカート、同色でやや薄目のブラウス、そしてグリーンのベストと薄茶のヒールが印象に残った。
六十三年十一月二十四日が『いけうち』の二十周年記念日。三協ビルのこの華やかな店がひときわ賑わうであろう。それは、やはり、彼女のキャリアのしからしむるところであろう。六十坪は優にある広い店内。比較的ツブの揃った二十四、五人のホステスの活躍する光景を、目に浮かべていただきたい。
あるキタのマダムは「池内さんはビルのオーナーでもある実力者。いまではラウンジのような池内ファミリーのお店が十軒以上もキタに誕生しているだけに、新しい勢力といえるのでは」と語っているが、たしかに筆者のキタ新地遍歴三十年余のつたない経験則に照らしても、彼女の足跡、実績は評価に価するものである。
「先だって桂浜に行ってきました。坂本竜馬生誕百五十年で地元は……」と語った彼女の語感の響きに微妙な変化をともなう地元とは高知、彼女の出生地。宿毛の産である。そして彼女も竜馬同様、脱藩(離婚)して出奔し、志をまっとうするに至るわけだが、その軌跡はズバリ”母は強し”を地で往くものであった。
地元の高校を卒業し、ややあって平凡な王婦業に入った彼女。が、おなかの子供を出産と同時に離婚成立というめぐり合わせ。「性格の不一致」が原因だが、ここへきて、「私の母のおかげで、すこやかに育った娘が、すでに社会人。いまでは、娘の母親としての幸福感に浸っています」とはいうものの、彼女二十歳の秋からの人生行路は羅針盤のない船出といえた。
幼児を抱えての明日からの生活。よりどころは、高校時代に商業科を専攻し、簿記ができるということぐらい。母親に娘を託して大阪の知人がやっている会計事務所を頼って来阪したのが、そもそもこの道入門の端緒である。
「会計事務所に籍を置き、ある日、『ブルボン』という喫茶店でアルバイト嬢に応募すべく、ぶらっと入っていったんです。そしたら当時、梅田ビルにあった『ユアーズ』という会員制のクラブのマネージャーに声をかけられてスカウトされたんです。
私に勤まるかな、と思いながらのデビューに刺激を与えてくれたのは、その店のナンバーワンの立居振舞とキャリアでした。まるで蝶のようにボックス席をわたり歩く彼女が十年でナンバーワンになった、というのを聞いて考えたのが、ガンバリたい、徹してみたい、そしてナンバーワンになってやろう、ということでした。」
ところが、そんな彼女の身辺に変化が起きた。先輩が当時、太融寺にあった『ラビアンローズ』に転籍したのについていったからである。そしてアッという間にナンバーワンになっていったというから、素質があったということだろう。
一年半。人との出会いがあった。キタ新地・堂島上通りのクラブ『水谷』の水谷美砂子マダムとのいわば貴重な出会いであった。そして、二年の歳月。
「教わったことはクラブ経営のすべてということ。時代の背景が良かったことも幸いでした。」
万国博の前景気に沸く四十三年十一月二十四日、棠島タウンビルで三十坪の店『池内』開店。わずか四年のキャリアでいきなり二十人のホステスを擁するクラブを開店しえたのは、やはり彼女の徳だといえようか。蓄えた自己資金と水谷マダムの銀行保証、幸田酒店の応援も大きな支えになった。
新地に吹いた石油ショックの嵐にもめげず、五十一年に移った現在の店は六十坪。ルックスの明るさがインテリアを映えさせ、ハーフの歌手のピアノの弾き語りがいいムードをかもし出す。新地にはいい店がたくさんあるが、この店『いけうち』には、独特の味があるといえるだろう。
五年前、新地本通りの割烹『水谷』の跡地四十二坪が手に入った。持ち主に「もし、店をやめるなら売ってほしい」と冗談まじりで声をかけていたものが現実のものになったとか。
「まさにひょうたんからコマ、という感じ。で、ビルを建てました。ピアース8ビル。でも店は移転せず、いろんなお人にお貸ししました。私にはあまり事業欲はありません。ただ、新地に大資本が入り込み、力があってもなかなかお店が持てない時代でしょ。後進を育てる、ということがおこがましいんですが、喜んでいただけることができたことがたことがとってもうれしい」という彼女の次の一手は人づくり。「子供にはあとを継ぐ気持ちがありません。となるとお店の内外を問わず、いい子を育てることに注力することで、私自身、女らしく生きられれば・・・」とは、まさにご立派。「仕事ひと筋、しっかり者」という巷の評判を裏づけている。とはいえ、彼女も女の盛り。「好きな人のために料理を作りたいと思うことも」と、もらす言葉は本音だろう。
大阪市東区のマンションに母親と娘の三人暮らし。たばこも酒もたしなまず、「趣味は読書と編物」と言い切る彼女にもうひとつ趣味がある。ハンディ18(小野国際)のゴルフである。毎週火曜日、江坂にある高島屋ゴルフスクール(坂本美代子プロ)に通う熱心さは、仕事熱心とも大いに関連性がある。
これもいい女の条件なのかもしれない。
『いけうち』大阪市北区堂島1-2-21三協ビル地下1F TEL(06)345-4497
出展:たる出版「佳人の四季」(鼎談「キタ新地讃歌」ネオン街の佳人たち )著者真島弘、巻頭言・佐治敬三、限定本 より