店主 大村 一誠(通称いっせー)
経歴 H12 北九州市生まれ
大分市育ち
R4 九州産業大学
住居・インテリア学科卒
R4,5, 6
地場の工務店で現場監督
R7 藍染の会社で生産管理
R8 galleryまる・めるを開業
まる・める の名前の由来
受動(〜まる)と能動(〜める)のどちらもが作用することで新たな発見が起きる場所にしたいという思いがあります。
女性と男性、店主とお客さんなど様々な立場や考え方の垣根を超えて人との人を繋ぐ場所、みんなをまるくまるめて、角のない場所作りをしたいという思いからつけた店名です。ロゴには逆風に負けず、上手くこのお店を転がして行く決意を込めています。
人が集まる・人を集める
モノが集まる・モノを集める
何かが始まる・何かを始める
昔からお面やだるまさんなどが好きで民族雑貨を集めたりしていたのですが、工務店退職後の転職期間中にインドを旅した際カラフルな染めや織りの工房を周り、染織り品を身に付けることの楽しさについて知りました。
いつしか、福岡で女性だけでなく男性でも着れる、飾れる民族ものを扱うお店がしたいという思いが芽生えるようになりました。そして、大学では建築・インテリアを学んだように、自分の手で作り上げた空間でお店をしたいという夢もずっと持っていました。
久留米の藍染の会社に転職したものの、お店をしたいという夢が消えることはなく、染織り文化の盛んな筑後地方で場所を探す中で、お寺が多く小道が密集した尾道や京都に近い雰囲気に惹かれ、柳川の京町(恵比寿町)でお店をすることに決めました。
九州最大の河川である筑後川の下流に位置し、有明海に面する干潟ではムツゴロウやワラスボ、エツなどの固有種の魚が多く生息し、それらを食べる食文化が今でも根付いています。
街のシンボルである水路は堀割(ほりわり)と呼ばれ、その昔湿地帯であった土地は堀割を作ることで水はけを良くし、生活用水や農業用水の確保にも役立ちました。そして、掘った際にでた土を盛り土としたことで住宅の建設を可能にしました。
戦国時代には蒲池鑑盛により柳川城が築かれ、堀割は城の外堀として整備されました。
明治時代になると、薩摩藩は大阪に砂糖を売って得たお金で、柳川藩から蝋や茶を買い、長崎を経由して上海へ送り西洋人に販売していました。長崎行きの海運業者の帰り荷には唐綿が多く積まれ、その綿を買って特産品を作っていました。
自然と文化のつながりが強いこの地でこそ、様々な文化を知ることのできるお店は受け入れられるのではないかと考えています。