戦争時代の広告マッチ

 図1 満州国の建国5周年(1937年)を祝う広告マッチ.右上に日本国旗,左下の国旗は現在では見ることが無い満州国旗である.「親善マッチ」と書かれている.

 図2 図1の別面には「五族協和 王道楽土の夕べ 人も馬も我が家さして急いで帰る」と満州国のスローガンになぞらえた牧歌的な歌が書かれている.当時の日本国民が,満州国に対し強い希望や憧れ持っていたと感じさせるデザインといえる.「祝 建国五周年 大日本廣島 菅波無當」とある.

 図3 昭和10年(1935)に,関東大震災からの復興を記念して開催された横浜大博覧会の広告マッチ.山下公園約10万平方メートルを会場に開催され,来場者330万人の大規模な博覧会だった.非常に爽やかで躍動感があるモダンなデザインが印象的である.

 図4 昭和13年(1938)3月に広島県呉市で開催された支那事変大博覧会の広告マッチ.昭和12年(1937)7月に起きた盧溝橋事件のわずか9ヶ月後に,この博覧会は全国各地で大規模に開催された.陸軍省の強い後押しがあり,国威発揚を促すものであった.前述の横浜博覧会のデザインに比べると,戦時色を強く感じさせるデザインであり,この頃から日本は一気に戦時体制に突入して行ったのだろう.

 図5 広島県呉市の地酒「水龍」の広告マッチ.今でもこの酒は作られていて,人気があるらしい.中央に日の丸,飛行機と軍艦のイラスト,そして「皇軍萬歳」と書かれている.デザイン性が高く,非常にポップな印象を与える.

 図6 泉屋の広告マッチ.陸軍御用達と書かれている.おそらく広島にあった料亭と思われる.日の丸と銃を持った進む兵士姿と「遂けよ聖戦 輝く東亜」のスローガンが書かれている.これは,支那事変1周年を記念して陸軍省が作成した絵葉書のデザインを元にしている.当時はこのような軍隊をモチーフにしたデザインが一般にも人気だった.

 7 当時「銀座会館」など多くのカフェーを経営した榎本正が日比谷公園の眼の前にオープンさせた「味のデパート美松」の広告マッチ.昭和10年(1935)頃のものと思われる.地下1階から2階まである巨大なカフェーで,1階には音楽バンドも入っていた.当時銀座に約140軒の「カフェー」があったらしい.洋装の男女や,印象派絵画のようなおしゃれなイラストは,まだ戦争の影響を受けることのなかった自由な時代を物語っている.(図8も参照)

 8 (詳細は 図7 参照)

(田村 野維)