弁論の定義

論争テーマ

弁論の定義問題

▷①弁論の機能とは何か

▷②どのような弁論が望ましいか

提出者:上野真弘(明大4) 2018.2.12

テーマの意図

『定義』とは我々がある概念をどのように理解しているのかを言語化するために行われる作業である。定義は語句をべつの語句で言いかえる作業を通して行われる。

定義の効用は2点ある。論争の際に共通理解の基盤となることと、定義によって対象の性質が理解しやすくなることである。他の学問分野における多くの基本書や解説文が、まず語の定義解説からはじまるのはこのためであると思う。弁論界においても事情は同じはずだ、というのが私の考えである。『弁論』の定義を議論し一応ではあるが統一させようと試みることは、今後の論争における相互理解の可能性を高め、また思考の質そのものを向上させてくれるに違いない。

命題設定の趣旨

概念を構築する際におおまかに2つの方針があると言われる。形式的・機能的に対象を規定する方針①、規範的に対象を規定する方針②がそれである。

同じ『定義』をするにしても、この2つの論点はまるで違う。『時計』を定義する場合を考えてみよう。

方針①では「時間(変化)の流れを可視化する機能を持たせようと意図された一連のシステム」と定義できる。アナログ時計・デジタル時計・原子時計・ストップウォッチなどの時計の形態をできるだけ包括的に定義した形で、ほとんど万人に受け入れられる定義である。

一方、方針②では「正確な測定」「共通した単位」「わかりやすさ」「安定性」などの候補が挙げられるが、これは実際に時計を使用する場合にどのような時計が望ましいかという規範的な議論であり、それゆえ論争的である。たとえば、時間を正確に測れない壊れた時計は①の定義においては時計だが(壊れた『時計』と判断されるはずである)、②においては論争の余地がある(正確性を重視する論者にとっては『真の時計ではない』)。誤解を恐れずに簡単な言葉で言えば、方針①は「AはBである」という文で示され、方針②は「AはBであるべきだ」という文で示される。

この2つの定義は質的に異なった論点を議論している。前者は「どのような機能を持つのか/持たたせようとしているのか」というのが本質的な論点である。後者は「その機能を満たすためにどのような形であるべきなのか」という規範的な議論である。

弁論の定義を行う場合も同じことが言える。方針①における『定義』と方針②における『定義』は別の問題である。弁論を定義しようとすれば、『弁論とは何であるか』『弁論とは何であるべきか』という二重の論点に直面せざるを得ない。多くの議論はこの区別を行っておらず、結果的に混乱した議論になりやすい。

そこで、本サイトではこの2つを区別しやすいように論点を整理したい。方針①に関する議論は『弁論の機能とは何か』という命題に答えるものであるとし、方針②に関する議論は『どのような弁論が望ましいか』という命題に答えるものとする。

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