ふみの丘について
ふみの丘は昭和30年代に、長野県信濃町神山の
南斜面に開発された別荘地です。
ふみの丘を分譲したのは、戦前、インドネシアで実業家として活躍し、
「南方の貿易王」とまで呼ばれた岡野繁蔵でした。
岡野は神山南斜面の土地を所有し、 終戦の食糧難の時代には、
一部を畑として開墾していました。
一方で、野尻湖国際村に別荘を所有し、その質素でストイックな生活に
大きな魅力を感じていました。
岡野が、国際村をモデルとして、
日本人 向けの理想の別荘地として開発したのが、ふみの丘でした。
「ふみの丘」という名称は、早世した岡野の愛妻、 ふみにちなんだものです。
信濃町大平の馬頭観音(標高710m)を起点に、
神山ロッジ下の標高760m地点まで続き、
北から西にかけてはグリーンタウンに隣接しています。
ふみの丘内の道路ほとんどが私道であり、
現在の建築基準法の接道条件を満たしていないため、
大部分の区画は家屋を新築することができません。
ふみの丘は、「ふみの丘の会」が管理しています。