高松ふみ子の生い立ち
高松ふみ子の生い立ち
子どものころ、父の仕事の関係でイタリアの幼稚園に通いました。
アジア人は一人でしたが、珍しがられてとても大切にしてもらいました。
父は戦時中に苦しい疎開生活を体験したことから徹底した平和主義者で、
「あの戦争に反対したのは日本共産党だけだった」と話していました。
帰国後は茨城県で過ごし、大学進学を機に広島に来ました。
学生時代に民青同盟に出会い、原水爆禁止運動に取り組む中で、日本共産党に入党しました。
卒業して、可部の大和重工(株)に入社しました。住機部門に12年勤務し、
その間に結婚して子どもを育てました。小学校の留守家庭子ども会の保護者会では、
話し合って児童館にクーラーを付けたり、改善を求めて署名を集めたりしました。
市立大手町商業高校ではPTA会長を務めました。
その後、業者運動に飛び込み、広島北民商で業者さんと消費税増税に反対し、
インボイスの中止を求めて運動しました。土砂災害も経験しました。
広島民医連では国保料の値上げや介護保険制度の改悪、
入院病床の削減を許さないと声を上げてきました。
結婚するために戸籍名を変えて通称使用しました。しかし通称では本人確認が
できないので存在を否定されたような気持ちでした。いま選択的夫婦別姓制度の
実現を求めて活動しています。