恐ろしいことを考え続けるための都市実践
恐ろしいことを考え続けるための都市実践
この写真展のタイトル「恐ろしいことを考え続けるための都市実践」とは、写真そのものにつけられた名前ではなく、私自身の撮影態度に対する名付けであり、決意である。この写真展で表現しようとしていることは「3・11以後」なのだが、私は「3・11以後」ただ茫洋として時間を費やしたに過ぎなかった。
多くのカメラマンが津波の被災地に出かけて行って、戦線の前衛としてすばらしい撮影をしたが、その後衛においても、被災者たちの困難に立ち向かおうとする精神性を写真メディアは伝えようとしている。
一方私は、前衛にも後衛にも立たず、街の中でただ漫然としたスナップを撮っていたわけだ。なぜなら、所与の物語を再構成する共犯者のような気がして、私はどうしても新鮮なものに立ち向かう気が起こらなかった。しかしこの一連の時間の中で、新鮮なる表層には立ち現れず、だが、私たちを忘却の穴から救う何ものかを撮影したいという欲望が、私の精神的空白の中から生まれた。
24枚のこのシリーズは以上の過程から生まれたものである。種を明かしてしまえば、私はその中の「たった1枚」の写真を見てほしい。だからその他の23枚は1枚の輪郭を際立たせるための「地」に過ぎないのだ。しかし「たった1枚」とは24枚全てにその資格があるし、逆に24枚全てが「地」になる可能性を持っている。つまり24枚の成り立ちは私たちの生きる世界と同じように相互依存的であり、中心のない構造である。よって名付けは、私もあなたも、自分自身の力で行うべきなのだろう。